
今月のスポットライトは、ハスキーかつパワフルなもんたよしのりのボーカルが強烈なインパクトを残した、もんた&ブラザーズの「ダンシング・オールナイト」を取り上げます。



神戸出身のもんたよしのり。中学生の頃から音楽活動を始め、洋楽ロックやR&Bを好んで聴いていた。もともと女の子に間違われるほど細く高い声だったが、ソウルフルな声に憧れ、海辺で大声で叫ぶことを半年以上も続け、わざと声をからし、あの特徴あるハスキーな声を作ったという。1971年、「この足の鎖ひきちぎりたい」でソロ歌手としてデビュー。レコード会社の移籍を2度も経験しつつ、シングル4枚とアルバム1枚をリリース。だが思うようなヒットが出せず、いったん地元・神戸へ戻る。
しかし再起のチャンスを窺い、1978年春頃から1年以上かけて曲作りに集中。100曲近くもデモテープを制作した中から選ばれた1曲が「ダンシング・オールナイト」だった。当時、多くのアーティストのサポートミュージシャンとして活動していた水谷啓二が依頼を受けて詞をつけ、これが作詞家デビューとなった。歌詞に「俺」「お前」といった一人称・二人称が一切使われていないのも特徴。もんた自身がデモテープで仮に歌っていた「ダンシング・オールナイト」というサビの歌詞はそのまま生かされた。ミュージシャンが集められ「もんた&ブラザーズ」として1980年4月にデビュー。当時もんたは29歳。「30歳になっても売れなければ実家に帰ろう」と思っていた彼にとって、最後の賭けだった。
「ダンシング・オールナイト」は発売前から全国の有線放送で流されて人気に火がつき、大阪をはじめ各地で有線ランキングの上位に。それまで聴いたことのない高くしゃがれた歌声に、「あれを歌っているのは女性?男性?」といった問い合わせもあったという。
発売から約1ヶ月後の5月下旬、「夜のヒットスタジオ」に出演して歌唱。翌日、行きつけのパン屋へ行ったところ、もんたはサインを求められた。しかし他の客に気付かれ、あっという間に数百人の人だかりが。髪の毛を引っ張られ、もみくちゃにされながらも、売れた幸せをかみしめたという。
「ザ・ベストテン」には、6月12日に第8位で初登場。6月26日には第1位に上り詰める。山口百恵「ロックンロール・ウィドウ」から追い上げられ、いったん1位を明け渡したものの、再び1位に返り咲くという根強い人気を見せ、計7週にわたって1位を獲得。17週ランクインし、年間ベストテンでも2位を記録。同年、「NHK紅白歌合戦」にこの曲で初出場した。最終的な売上枚数は200万枚に達し、発売年の1980年はもちろん、「80年代で最もヒットした曲」ともいわれる。
もんたが当時所属していたのは、北島三郎のいる北島音楽事務所。当時は演歌以外の歌手も手がけており、「たそがれマイ・ラブ」や「シルエット・ロマンス」で知られる大橋純子も所属していた。83年には大橋ともんたによるデュエット「夏女ソニア」がコーセー化粧品の夏のキャンペーンCMソングとなり、ヒット。また同年、もんたが西城秀樹のために作詞・作曲した「ギャランドゥ」がヒットし、西城の代表曲の一つになった。
そんな活躍の一方、多忙を極め、酷使したもんたのノドにはポリープができていた。メンバーも疲弊ぎみになっており、活動を休止することを決断。1984年、「もんた&ブラザーズ」は解散した。
その後、もんたはソロ歌手として活動再開。「THE夜もヒッパレ」に出演し、唯一無二のハイトーンボーカルでさまざまなカバーを披露したのを鮮明に記憶している人も多いだろう。「ダンシング・オールナイト」のヒットから40年近くたった今も、パワフルなボーカルは健在。大阪を拠点に音楽活動を続けている。