このコーナーでは、当時のランキングやエピソードと共に、「ザ・ベストテン」に出演した歌手のヒット曲を紹介していきます。第32回は1979年4月5日のランキングを紹介。
今月のスポットライトは、ワイルド&情熱的な魅力で女性ファンを熱狂させた西城秀樹の代表曲で、誰にも破られることのない大記録を打ち立てた「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」を取り上げます。
番組史上最高の9999点! 両手で「YMCA」を作る振り付けに誰もが夢中
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 西城秀樹は広島県出身。小学生の頃からドラマーとしてアマチュアバンドで活動するなど、洋楽を聴いて育った。スカウトされ16歳で上京し、1972年3月に「恋する季節」で歌手デビュー。まだ直立不動で歌う歌手が多かった当時、スラリとした180cm超えの身長、腕や腰、長い足を使った大きく派手な振り付け(当時は「アクション」と呼ばれた)を取り入れ、独自のスタイルを確立してゆく。1973年に発売した5枚目のシングル「情熱の嵐」が大ヒット。掛け合いに入る女性ファンの熱狂的な「ヒデキー!」コールが話題に。ワイルドでセクシーな魅力で女性を虜にし、バラード、GS風、台詞を交えた絶叫などさまざまなタイプの曲を発表しヒットさせていった。74年8月発売の「傷だらけのローラ」は狂おしく絶叫する楽曲の一つの完成形で、この曲で第25回NHK紅白歌合戦に初出場。一方でドラマ「寺内貫太郎一家」にレギュラー出演するなど、俳優としても活躍。またハウス食品をはじめとするCMにも多数出演し、幅広い世代に親しまれた。同学年の郷ひろみ、野口五郎とともに「新御三家」と呼ばれ、絶大な人気に。

 「ザ・ベストテン」が放送開始された1978年1月当時、既にトップスターだった西城秀樹は、第1回放送から「ブーツをぬいで朝食を」がランクイン。以後も出す曲すべてがランクインし、番組の常連だった。  中でも最大のヒットとなったのが79年2月発売の「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」である。これは米国のグループ、ヴィレッジ・ピープルの曲をカバーしたもの。原曲は一応、Young Men's Christian Association=キリスト教青年会(が各地で運営する宿泊施設)の素晴らしさを讃える内容になっているが、そもそも彼らは当時のゲイカルチャーをディスコサウンドに乗せてユニークに歌うグループで、この曲も例外ではなかった。そのためアメリカ滞在時にこの曲を聴いてカバーを思い立った西城に対し、反対する声も多かったという。

 日本語詞は、多数の候補の中から当時の西城のマネージャー・あまがいりゅうじが作ったものが選ばれ、青春を謳歌する若者へ向けた力強いメッセージソングに生まれ変わった。西城の爽やかな笑顔で歌われることで、日本では楽曲の本来の意味は完全に薄れ、サビ部分で頭上で4つのアルファベットを形作る振り付け、楽曲に参加する楽しさで、子どもから大人まで盛り上がったのである。あまりにも有名なこの振り付けは、オリジナルアーティストであるヴィレッジ・ピープルは元々やっておらず、西城の多くの楽曲で振り付けを考案した振付師・一の宮はじめと西城自身によって考え出されたもの。後にヴィレッジ・ピープルが来日した際にこの振り付けを知って大変気に入り、自分たちのステージにも取り入れたことで全世界に広まった、とされている。

 「ヤングマン」はベストテンに3月8日に初登場、3月15日には早くも第1位に。この時、TBSのスタジオにはハチマキ姿の女性ファン数百人が集結し、小さな円形ステージに立って歌う西城を取り囲んで大いに盛り上がった。9週にわたって第1位をキープする間、4月5日には番組史上最高得点となる9999点をたたき出した。ハガキによるリクエスト、レコード売上げ、各地のラジオ放送局でのランキング、そして有線放送のランキングという4つの要素で得点が決定するこの番組において、9999点というのはすべての部門で「満点」になったことを意味する(翌週4月12日も9999点に)。これは番組終了時まで誰も越えられなかった偉大な記録である。

 後に寺尾聰が「ルビーの指環」で12週連続1位を記録し、それを記念して赤いソファーが作られた時、西城は少し不満だったらしい。後年のインタビューで「『ヤングマン』が9999点の時には何も作ってもらえなかった」「今からでも遅くないので作りませんか?」と冗談めかして語っている。

 2017年12月現在、「ヤングマン」は替え歌となって携帯電話「ワイモバイル」のCMソングに使われている他、GENERATIONS from EXILE TRIBEが新アレンジでカバーして発表するなど、発表から約40年が経過しても世代を超えて愛され続けている。

 西城は2003年、48歳の時に脳梗塞を発症して倒れてしまう。この時は一ヶ月程度で復帰したものの、2011年に再び脳梗塞に。現在は後遺症と戦いつつリハビリを続け、「同窓会コンサート」等で歌っている。たとえ全盛時のようなパフォーマンスができなくても、彼が歌への情熱を燃やし続ける限り、客席から「ヒデキ」コールが絶えることはない。

ザ・ベストテン☆エピソード
 この番組における西城秀樹の初ランクイン曲「ブーツをぬいで朝食を」には苦いエピソードがあります。イントロ部分で手に持ったライターに火をつけ、その腕をゆっくり横に回すという振り付けを子どもがまね、火がカーテンに燃え移ってボヤになる事件が実際に起こり、社会問題となったのです。西城は、番組中で真似をしないよう異例の呼びかけを行い、その後はライターを持たない振り付けに変更されたのです。
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