
今月のスポットライトは、サングラスがトレードマークの杉山清貴のボーカルと、爽やかなサウンドで大人の夏ソングをヒットさせた杉山清貴&オメガトライブの代表曲、「ふたりの夏物語」を取り上げます。



1970年代後半、横浜のライブハウスを拠点に活動していたアマチュアバンド「きゅうていぱんちょす」。80年5月、静岡・つま恋で開催されたヤマハ主催の第19回ポプコン本選で入賞。これを機に彼らは音楽プロデューサーと出会い、バンド名を「杉山清貴&オメガトライブ」に変え、83年4月「サマー・サスピション」でデビューした。
8月4日、「ザ・ベストテン」のスポットライトのコーナーに初出演。オメガトライブというバンド名の意味を問われて、杉山は「最後の人種」<ギリシャ文字のオメガ(=最後)+トライブ(部族、人種、仲間)>と説明している。その後「サマー・サスピション」は、ベストテン内に初ランクイン。3作目「君のハートはマリンブルー」もランクインし、着実にヒットさせていく。ちなみにこの頃、杉山はまだテレビ出演時にも素顔で歌うことのほうが多く、サングラスは時々かける程度だったようだ。
シングル曲を手掛けたのは、すべて康珍化・林哲司の組み合わせだった。大人の恋愛を描いた歌詞に散りばめられた、若者が憧れるビーチリゾートやクルマ関連のキーワード。印象的に挟まれるキャッチーな英語のフレーズ。サウンドは都会的でウエストコースト風でありながら、美しいメロディーにはどこか哀感があった。何より、力強く透明感のある杉山のボーカルが人々の心をつかみ、「ドライブで聴きたい曲」として彼らの名前が挙がるようになっていく。
5作目となる「ふたりの夏物語」は、日本航空・JAL PAKの夏のキャンペーンイメージソングとして作られた。サビの「オンリーユー」は、キャッチフレーズに対応したものである。これまでの作品が切ない曲調であったのに対し、明るく爽やかで軽快だった。CMタイアップの効果もあってたちまちヒットする。
ベストテンには、85年4月11日に第8位で初登場。じわじわと順位を上げていく。テレビ露出が増え、杉山のサングラス姿も完全に定着。爽やかな白いジャケット姿で出演することが多かった。9週目の6月6日、ついに第1位を獲得した。真っ白なタキシードでスタジオに登場した彼らは、金銀のくす玉を割って祝った。さらに1位の記念品として、メンバーの写真と番組ロゴが入った特製オリジナルトランプが番組から彼らにプレゼントされた(ちなみにジョーカーは黒柳徹子)。またこの時、「もし1位になったら、杉山さんにぜひサングラスなしで歌ってほしい」という視聴者からのリクエストに応え、杉山は終始サングラスをかけずに歌っている。
「ふたりの~」は、計12週間ランクイン。ヒットしているさなかに杉山は婚約者の存在が明らかになり、6月下旬に結婚。話題性を高めた。結婚直後の放送では披露宴の模様も紹介され、祝福。出演の度、黒柳徹子から「新婚生活はいかがですか?」と冷やかされていた。
「ふたりの~」が10位圏外になったのと入れ替わるように、次の新曲「サイレンスがいっぱい」がランクイン。大ヒットが続き、まさに人気絶頂。しかし杉山は突然、オメガトライブの解散を発表する。
ヒットしていたとはいえ、楽曲はすべて外部の作家の手によるもので、方向性を握るのはプロデューサー。多忙を極める中、与えられた曲を演奏するだけとなり、自分の作った曲でじっくり勝負したいという気持ちが湧き上がっていたのかもしれない。11月に最後のシングル「ガラスのPALM TREE」を発表。10月から始まったツアーの最終日、12月24日の横浜公演をもってオメガトライブは解散。「ふたりの夏物語」は1985年の年間ベストテン第2位という輝かしい成績を残したが、それが発表された頃、既に彼らは解散した後だった。
翌年5月、杉山清貴は自身の作曲による「さよならのオーシャン」でソロデビュー。「最後のHoly Night」「水の中のANSWER」「風のLONELY WAY」など、次々とヒットさせていく。一方、オメガトライブはメンバーを入れ替えながらプロジェクトとして存続。新たなボーカルに、日系ブラジル人のカルロス・トシキを迎えて「1986オメガトライブ」としてデビュー(88年に「カルロス・トシキ&オメガトライブ」に改名)。「君は1000%」「アクアマリンのままでいて」などをヒットさせたが、1991年に解散している。
杉山清貴は現在も、衰えをまったく感じさせないボーカルで、精力的に活動中。各地でアコースティックライブを行っている他、96年からは毎年夏に日比谷野外音楽堂でライブを開き、全国からファンが集結するのが恒例となっている。