このコーナーでは、当時のランキングやエピソードと共に、「ザ・ベストテン」に出演した歌手のヒット曲を紹介していきます。第24回は1986年3月6日のランキングを紹介。
今月のスポットライトは、可愛らしさと高い歌唱力を兼ね備えたアイドルとして活躍、その後ミュージカル女優として地位を築きながら、2005年に夭逝した本田美奈子のヒット曲「1986年のマリリン」を取り上げます。
生涯を歌に捧げた「歌姫」・アイドル時代の代表曲
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 1985年4月に「殺意のバカンス」でデビューした本田美奈子。等身大の恋をテーマにした可愛らしい曲を歌う女性アイドルも多かった中、チャーミングな笑顔と伸びやかな声で、大人びた曲を歌っていた。「ザ・ベストテン」には、6月6日にスポットライトのコーナーで初出演。この年、4枚目のシングル 「Temptation(誘惑)」 で日本歌謡大賞およびFNS歌謡大賞の最優秀新人賞に輝くなど活躍。一方で、ザ・ベストテンには一度もランクインできていなかった。

 さらなるヒットを目指し、他のアイドルとは違う個性的な楽曲を歌いたいという本人の意向を汲んで制作されたのが、5枚目のシングル「1986年のマリリン」だった。作詞を手掛けた秋元康は、マリリン・モンローや、当時セックス・シンボルとして大人気だった米国の歌手・マドンナをイメージしたといわれる。歌番組出演時の衣装は様々なタイプがあったが、いずれもワイルド&セクシーで、ヘソ出しルック。きわどいミニスカートで、スラリとした脚を惜しげもなく見せ、しかも大胆に腰を動かすダンス。前作までのイメージから脱皮したビジュアルは強烈な印象を残し、2月20日にこの曲でザ・ベストテンに初のランクインを果たした。7週間ランクインし、最高2位を記録。セールス的にも本田にとって最大のヒット曲となる。3月20日の放送は、宇都宮市文化会館のコンサート会場から中継。割れんばかりの美奈子コールが会場を揺るがす中、黒いワイルドな衣装で客席を煽りながらこの曲を熱唱。まるでロックコンサートの様相を呈していた。

 9枚目のシングル「Oneway Generation」も、田村正和主演のドラマ「パパはニュースキャスター」主題歌としてヒット。丸いハットとステッキがトレードマークで、女性ダンサーと共に可愛らしいステップを踏みながら歌っていた。ベストテンには、カラフルな葉っぱや花を飾り付けたピーターパンのような衣装で登場。番組スタッフは毎回、色の違うステッキをわざわざ用意し、本田に喜ばれたそうである。本田も番組に対して強い愛着を持っており、「ベストテンで同じ衣装を二度着ることはしたくない」と、毎回自分で衣装のイメージデザインを描いていたほどだという。

 「1986年のマリリン」「Oneway Generation」「孤独なハリケーン」の3曲で最高2位を記録したものの、1位を取ることはついにできなかった。本田は後にインタビューで「ザ・ベストテンで絶対に1位を取ってやる、と意気込んでいた。その悔しさがあるから今まで歌い続けてこられた」と語っている。

 1988年には女性ばかりのメンバーをオーディションで選び、本格的なロックバンドMINAKO with WILD CATSを結成。見事なシャウトを聞かせ、クオリティーの高い楽曲を残している。しかしセールス的には成功せず、2枚のアルバムを発表後、89年いっぱいで事実上解散。ソロ活動に戻ったものの、歌手としては壁にぶつかってしまった。

 そんな中、1990年にチャレンジしたのがミュージカル「ミス・サイゴン」のオーディションだった。1万人超の中からキム役に抜擢され、92年5月から約1年半にわたってロングラン公演を務める。その実力が高く評価され、オファーが殺到。努力によって歌唱力・表現力を飛躍的に開花させつつ、以後「屋根の上のバイオリン弾き」「レ・ミゼラブル」等に出演し、ミュージカル界に欠かせない存在となっていく。また歌手としてもクラシック曲に歌詞を付けて歌うアルバムを発表するなど意欲的に活動した。しかし当の本人は決してアイドル時代の楽曲を封印することなく、イベントライブやテレビ歌番組に出演した時には「1986年のマリリン」を歌っていた。もとより彼女の中で、歌にジャンルの垣根などなかったのであろう。2004年には画数を考慮して「本田美奈子.」に改名。よき運勢がひらけるはずだったが…。

 2005年1月、急性骨髄性白血病と診断され、緊急入院。10カ月の闘病の末、11月6日に38歳という若さでこの世を去ってしまう。誰からも愛された人柄と歌の才能を、多くの人が惜しんだ。
 幼少時から亡くなるまで過ごした埼玉県朝霞市の朝霞駅前には、自筆のメッセージが刻まれた記念碑が建てられている。また命日に近い11月3日には毎年、親しかった歌手たちが集まってメモリアルコンサートを開催。2017年5月には、彼女の半生を描いた舞台「minako-太陽になった歌姫-」が上演された。

 アイドル、ロック、ミュージカル、そしてクラシックと、デビューから20年の間に幅広い音楽を駆け抜けた本田美奈子。その細い身体を振り絞るように、文字通り全身全霊で歌う姿は、残された音源や映像を通じて今も我々に感動を与えてくれる。

ザ・ベストテン☆エピソード
 「1986年のマリリン」がヒットしていた当時、本田美奈子は番組中で「アイドルではなく、アーティストと呼ばれたい」という発言をしています。当時から衣装や振り付けを自分で考えるなどセルフプロデュース志向が強かった彼女。今思えば真っ当な発言ですが、当時はそれをうまく言葉にすることができず、一部で「生意気だ」と反感を買ったのでした。3月6日の放送で、あらためて真意を聞こうとした黒柳徹子がアイドルとアーティストの定義の違いについて尋ねると「自分のやりたい事について意見をはっきり言えて、それを実現できるのがアーティストだと思います」という意味のことを答えています。その後、努力の末にミュージカル界で活躍し、作詞も手掛けるなど、名実ともに「アーティスト」として認められる存在になったのは言うまでもありません。
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