このコーナーでは、当時のランキングやエピソードと共に、「ザ・ベストテン」に出演した歌手のヒット曲を紹介していきます。第13回は1981年6月25日のランキングを紹介。
今月のスポットライトは、同番組史上に燦然と輝く12週連続1位記録を打ち立てた、寺尾聰の「ルビーの指環」を取り上げます。
これぞ大人の世界! 男の哀愁をニヒルに歌った名曲
spot_photoです。

 日本アカデミー賞の主演男優賞を2度も受賞するなど、映画やドラマで活躍する寺尾聰。そんな彼が生み出した、日本の歌謡史に燦然と輝くヒット曲が「ルビーの指環」だ。
 劇団民藝を創立した名優・宇野重吉を父に持つ寺尾だが、芸能界デビューは俳優ではなくミュージシャンとしてだった。「いつまでもいつまでも」のヒットで知られるフォークグループ「ザ・サベージ」のメンバーとしてベースを弾いていたが脱退。映画『黒部の太陽』(1968年公開)に出演したことを契機に石原プロモーション入りし、俳優としてドラマで活躍するようになる。

 「ルビーの指環」発売当時、寺尾は1979年秋スタートの『西部警察』で、「リキ」こと松田猛刑事を演じてレギュラー出演中だった。ヨコハマゴムのCMソングとして流れたこともあって徐々に人気に火が着き、「ザ・ベストテン」には3月19日に初登場。4週目である4月9日に、ついに1位に登り詰めた。ここから快進撃が始まり、1位をキープし続けていく。5月21日には、「ルビーの指環」の人気に引っ張られるように、前年に発売していたシングル「シャドー・シティ」「出航 SASURAI」もランクインし、ベストテン内に3曲がランクインするという快挙も。

 『西部警察』撮影現場からの中継で歌うこともあり、サングラスをかけたドラマの中のリキと、歌手の寺尾聰は視聴者の中で重なっていた。他の歌手の華やかな衣裳と比べ、ジーンズにジャケットと、やや地味な服装。1位になっても喜びを爆発させることはなく、常に謙虚で、穏やかな表情だった。連続1位記録のプレッシャーもあったはずだが、「俳優として、歌手も役の一つとして演じるような気持ちだったので緊張はしなかった」という意味のことを語っている。
 連続1位記録を伸ばす度に、番組内では記念の品が作られてプレゼントされた。コーヒーカップ、コーヒー豆、サングラスをかけたダルマ…。最も有名なのは、特製オリジナルパッケージのタバコ(寺尾が好んで吸っていたハイライト)であろう。これらは、放送日よりもはるか前に発注して作り始めなければならず、連続1位記録が途切れればすべて無駄になってしまうため、担当スタッフはハラハラしながらランキング集計の行方を見守っていたという。

 6月18日、それまで世良公則&ツイスト「銃爪」が持っていた連続10週を抜いて、ついに連続11週1位の新記録を達成。特製のルビー色のソファーが登場し、大記録を称えてソファー席の中に組み込まれた。翌週も1位となり、連続記録を12週に伸ばす。この時は、黒柳徹子がなぜかパンダの着ぐるみを着て祝福し、2人で記念撮影。この記録は、番組終了まで破られることはなかった。
「ルビーの指環」は1981年のザ・ベストテンの年間1位となり、日本レコード大賞も受賞。この年の音楽界を代表する大ヒット曲となり、寺尾は歌手としての人気を不動のものにした。
 アイドル全盛だった当時の歌謡界で、この曲のヒットは異彩を放っていた。松本隆による、モノローグで描かれる詩には、男の強がりと哀愁が滲む。それを洗練されたアレンジにのせ、感情の抑揚を付けず、口ずさむように歌う寺尾のニヒルな魅力に、視聴者は「大人」を、あるいは「都会」を感じ取ったのであろう。

ザ・ベストテン☆エピソード
「ルビーの指環」に阻まれる形で、田原俊彦「ブギ浮ぎI LOVE YOU」は1位に届かず、4週連続で2位に。そのうち松田聖子「夏の扉」がランクインしてきて2位の座も奪われ、追い抜かれる形に。これが田原にとってはかなりショックだったようで「チクショー!」と悔しがっていました。その松田も4週連続で2位となり、結局1位に届きませんでした。この番組におけるランクイン週数ランキングで、
「ルビーの指環」は通算19週で2位タイ(五木ひろし「倖せさがして」も19週)となっています。
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