1979年10月、TBS系で「3年B組金八先生」がスタートした。武田鉄矢主演で、後に30年余にわたって続くことになるこの人気ドラマの第1シリーズに生徒役で出演していたのが田原俊彦、近藤真彦、野村義男の3人。いわゆる「たのきんトリオ」である。彼らは10代の女性を中心にブームを巻き起こし、現在に至る数々のジャニーズグループの系譜の源流となった。
実は田原は、歌手デビューする前に一度「ザ・ベストテン」に顔を出している。80年3月13日、「金八先生」の主題歌「贈る言葉」が初ランクインした武田鉄矢率いる海援隊の応援のために、3年B組の一員として駆けつけたのだ。
その3カ月後、田原俊彦はたのきんトリオの先陣を切って「哀愁でいと」でソロデビュー。新人ながらザ・ベストテンでは3週連続で第1位を記録する人気だった。その後も絶えず新曲をランクインさせ、80年代の歌謡界を盛り上げていくことになる。
同時期にデビューして次々にヒット曲を送り出した松田聖子とは、ザ・ベストテンで顔を合わせる機会も多かった。演出上のこととはいえ、スタジオで並んで座ったり、親しげなトークをしたりするだけで「二人を近づけないで!」というファンの悲鳴のような声が番組に殺到したというエピソードが、当時の二人の人気がいかに凄まじかったか物語っている。
1988年、田原俊彦はドラマ「教師びんびん物語」で主演を務める。その主題歌となったのが「抱きしめてTONIGHT」だ。イントロの派手なブラスの音が印象的なナンバーで、ドラマの人気と共に大ヒット。田原はこの曲を男性ダンサー2人と共にキレのあるダンスを見せながら歌った。ターンしても脚を高く振り上げても決して身体がブレない華麗な姿は、男女問わず見る者の心をつかみ、ザ・ベストテンでは計14週ランクイン。うち4週にわたって1位を獲得した。
このヒットを受けて、田原は88年のNHK紅白歌合戦出場者に選出されるのだが、彼は突如紅白からの卒業を宣言し、出場を辞退してしまう(代わりに男闘呼組が出場)。いったんNHKが発表した後に紅白の出場者が変更された数少ない例の一つである。かくして、大ヒットしたにもかかわらず「抱きしめてTONIGHT」が紅白の大舞台で歌われることはなかった。
一方、88年のザ・ベストテンの年間ランキングで「抱きしめてTONIGHT」は堂々の1位に輝いている。毎週のランキングは、リクエストハガキ、レコード売上、ラジオ、有線放送という4つの各ランキング要素を総合して決定されていたことで知られるが、このうち田原が最も気にかけていたのは、ハガキによるリクエストだったという。最もダイレクトにファンの熱意が現れるハガキの多さこそ、常にファンの期待に応えたいと願う彼にとって重要なバロメーターだったのだろう。ひょっとしたら、紅白で歌うことよりもザ・ベストテンでの年間1位のほうが、彼にとってうれしい勲章だったかもしれない。