



岩崎宏美は1975年に「二重唱(デュエット)」でデビュー。その卓越した歌唱力で、10代のうちから「ロマンス」「思秋期」など、清純な彼女らしさを活かした幅広い楽曲がヒット。作品は徐々に大人びてゆき、「万華鏡」「すみれ色の涙」などもヒット。アイドル歌手のイメージに留まらず、大人の実力派歌手へと見事に変貌を遂げた。
そんな彼女の人気を確実なものにしたのが「聖母たちのララバイ」だ。1981年9月から放送がスタートした日本テレビ『火曜サスペンス劇場』のエンディングテーマ用に作られたもの。憎しみ、裏切り、復讐、殺人…殺伐としたストーリーの2時間ドラマを見終えた視聴者の心を、岩崎宏美の歌声は優しく包み込んだ。当初レコード化の予定はなかったが反響は大きく、テレビ局に問い合わせが殺到。この曲のカセットテープを200本限定で制作し視聴者プレゼントを実施したところ、約30万通もの応募があったといわれる。そんな熱い声に後押しされ、翌1982年5月に満を持して発売され、自身最大のヒットとなった。都会を戦場に喩え、男たちに優しく呼びかける歌詞は、あらゆる働くビジネスマン男性たちの癒しとなったのである。
「ザ・ベストテン」では1982年6月10日に初登場。6月24日から5週連続で1位を記録し、通算14週ランクイン。岩崎自身にとって、この番組で1位を獲得した唯一の作品となった。1位になった時、当時のレコード会社、ビクター音楽産業の担当ディレクター・飯田久彦はヘルニアで入院中。ベストテン生放送中のTBSのGスタジオと病院を電話でつなぎ、飯田と喜びを分かち合った岩崎は涙をこぼすのであった。
その涙の理由は単純なものではない。「聖母たちのララバイ」の作曲は木森敏之。前述した『火曜サスペンス劇場』の、誰もが知る有名なオープニングテーマとアイキャッチ(CMに入る前の音楽)の作曲者でもある。しかし様々な事情から、外国人ジョン・スコットも作曲者として併記されることになった。日本レコード大賞の選考対象は日本人が作曲したものでなければならない決まりがあり、この曲は、実は既に発売段階でレコ大にはノミネートされない運命だったのである。そんな複雑な背景を抱えつつも獲得した「ザ・ベストテン」1位には、格別な思いがあったに違いない。