恋愛においての「終電」という言葉。

 2022年3月27日に“Thinking Dogs”が新曲「Collage」をリリースしました。本楽曲は、ひかりTVのオリジナルドラマ『ラブシェアリング』の主題歌にも起用されております。MVでは、見られる者と見る者を客観的な視点から、現代におけるソーシャルな監視社会を抽象的に表現。ぜひ、ドラマ、歌詞の世界観と合わせてお楽しみください。
 
 さて、今日のうたコラムではそんな最新作を放った“Thinking Dogs”の大輝(Dr.) による歌詞エッセイを3回に渡りお届け!今回は第2弾。綴っていただいたのは、楽曲「24:55」にまつわるお話です。彼の「歌詞・溜め」から生まれたこの歌。終電を目の前にした<わたし>は、一体どんな選択をしたと思いますか…? ぜひ、想像を膨らませながら、このエッセイと歌詞をお楽しみください。


僕のiPhoneのメモには「歌詞・溜め」というフォルダがある。
 
日々を過ごす中で自分が見て、聞いて、体験して感じたことをホイホイ投げ込んで溜めておく場所。言い換えれば、歌詞へと成長し得る種を溜めておく場所。
 
単語が1つ書いてあるだけの物もあれば、入った飲食店で隣の席のカップルがこんな話をしていてどう思った、とつらつら書いてある物もある。
 
その瞬間に感じたことをとりあえず殴り書きしているだけなので、見返すと何のこっちゃ分からない物も多々…。
 
色々な物があるけど、僕が書いてきたThinking Dogsの歌詞は、そんな数ある種の中から芽を出した物だということには変わりない。
 
 
そんな「歌詞・溜め」の中に、ずいぶん前からあった種の1つに「終電」という物があった。そこから芽を出したのが「24:55」という歌詞。
 
 
「終電」という言葉は、それを迎えた時のその人の境遇によって、受ける印象が変わる不思議な言葉だ。
 
仕事をして終電を迎えた人は
「今日もこんな時間になっちゃったよ。くそー。」
なんて、嫌な物だったり。
 
友達と遊んでついつい飲み過ぎた人は
「やべー、明日も朝早いのに。やっちまった…。」
なんて、悔いる物だったり。
 
基本的には煩わしい物、意識のどこかで越えてはいけない、越えたくないリミットとしての印象があると思います。
 
だけど、恋愛においての「終電」という言葉は、時に他とは少し違う印象を孕む場合がある。
 
 
歌詞の中に登場する主人公の女性。
 
この女性にとって「終電」は、意中の人との関係を進展させる可能性を持った、言わば「切り札」なんです。まあ「切り札」というよりは「諸刃の剣」かもしれませんが…。
 
どちらにせよ、誰かにとっては煩わしい物でも、違う誰かにとっては希望だったりもする。言葉にはそんな面白さがあると思います。
 
 
主人公の女性が最終的に「切り札」を使ったのか、そしてこの恋愛が成就したのかまでは歌詞中にはあえて書きませんでした。
 
その先は曲を聴いた方、歌詞を見た方の妄想で物語を紡いでもらう為の余白として残しました。
 
仲の良い友達のままでいるのか、やっぱりその1歩先の関係を望むのか。自分のことに当てはめたりして楽しんでもらえたら嬉しいです。

<Thinking Dogs 大輝(Dr.)>
 


◆紹介曲「24:55
作詞:大輝
作曲:わちゅ~