私たちにとっての魔法とは一体なんなのでしょうか?

 2020年12月16日に“MAGIC OF LiFE”がニューアルバム『MAGIC』をリリース!今作のタイトルについて、ボーカルの高津戸信幸は「今の大変な時代を生きる助けとなる魔法となればいいという意味を込めた」とコメント。コロナ禍に喘ぐ現代の糧となってほしいというMAGIC OF LiFEらしいポジティブな想いが詰まった今作、是非ご堪能ください…!
 
 さて、今日のうたコラムではそんな最新作を放つ“MAGIC OF LiFE”の高津戸信幸による歌詞エッセイを2週連続でお届けいたします!今回は【前編】です。綴っていただいたのは“MAGIC=魔法”についてのお話。今作のタイトルであり、彼らのバンド名にも含まれているこの言葉。彼にとって魔法とは一体どんなものなのでしょうか。そして、あなたにとっての魔法とは一体どんなものですか?

~歌詞エッセイ【前編】~

魔法とは一体なんなのでしょうか? 画面の向こう側で活躍する魔王の方々の、メラゾーマのような殺傷性のあるものもあれば、魔法のランプの中に潜んでいる魔人みたいに、願いを叶える系のあれもきっと魔法の類なのでしょうね。私たちの世界線ではなかなか見受けられないですよね、恐らく、非科学的な存在なのでしょう。

それでは私たちにとっての魔法とは一体なんなのでしょうか? タネや仕掛けはあっても良いものなのでしょうか? ハンドパワーは魔法なのでしょうか? はたまた努力の結晶なのでしょうか?

ドイツの小説家ゲーテはこう言います。

Magic is believing in yourself,
if you can do that, you can make anything happen.

“魔法とは自分を信じる事だ、
もしそれが出来れば何をするのも可能だ”

心情の動きを魔法と表現しています。素晴らしい考えだと思いますが、本当に信じれば何でも可能なのでしょうか? 私は自分に自信が無く、信じられなかった時間が今の自分を構成していると考えるタイプです。

コンプレックスは向上心を生み、「葛藤」といった類の熱量で行う不断の練習の中で能力は向上し、そこで手に入れた挫折や成功体験は一生物だと信じています。現在も成りたい自分目掛けてまっしぐらな私です。

すぐ手に入るものは、不思議とすぐに無くなります。しかし煩悩は止められない、あれも欲しければこれも欲しいですし、もっと欲しいですしもっともっと欲しいですよね。“あと一回だけ”は、また“もう一回“を生み、欲求は欲求を呼び続けます。なので一生満たされない。

魔王の超絶悪魔的な魔法も、魔人の必殺的なひとつだけ願い事を叶えてあげるやつも、丸眼鏡くんのエクスペクトパトローナムも、きっと一時的な快楽でしかない。それは本当に魔法なのでしょうか?

私は贅沢する程のお金も、願いを叶えてくれる猫型ロボットも持ち合わせてはいませんが、毎朝ヨガの練習を終えた後に飲む、一杯の珈琲で幸せを感じられる心は持ち合わせているようです。この一杯の珈琲があるのとないのではまるで別世界なんです。ダイヤとビー玉くらいの差があります。窓から漏れる光の中を漂う微粒子も、換気扇の震えた音も全く別物なんです。

何気ないもの程、輝きます。これは本当なんです、だから私にとっての魔法は、この一杯の珈琲です。私にとっては不可思議で非科学的な存在であり、とても興味をそそられる存在なんですね。ささやかに続いていく事柄程、大切なんです。私たちの音楽があなたにとってのこの一杯の珈琲のような、理由や根拠や論理などと言うモノが無い場所で、ほんの少しだけでも日常を彩り続ける“魔法”であれたら嬉しい。

さて、次回は何を書こう。

<MAGIC OF LiFE・高津戸信幸>