羊文学

人が思う存在とは結局「信じるかどうか」なのかもしれない。

 2020年12月9日に“羊文学”がメジャーデビューアルバム『POWERS』をリリースしました。今年8月に配信限定リリースした「砂漠のきみへ」、「Girls」(YouTubeドラマ『DISTORTION GIRL』主題歌)のほか、昨年末に数量限定販売したCDが即日完売し話題を呼んだロングヒット曲「1999」を含む、強さと優しさをもった全12曲が収録されております。

 さて、今日のうたコラムではそんな最新作を放った“羊文学”の塩塚モエカによる歌詞エッセイをお届け!綴っていただいたのは、今作の収録曲「mother」に通ずるお話です。みなさんは“存在”とは、一体どんなものだと思いますか? 存在する、存在しない、それはどうすればわかるものなのでしょうか。是非、その答えを考えながら、彼女の想いに触れてみてください。そしてエッセイを読み終えたら、改めて歌詞をじっくり味わってみてください。

~歌詞エッセイ:曖昧な存在(「mother」ライナーノーツ)~

ミュージシャンは意外と一人の時間が多いさみしい仕事だ。特に夕方、ご飯を作っている時間はさみしさがピークに達するのでいろいろと考えることがある。その中でも最近よく浮かんでくるのは「存在」とはなんなのだろうか、ということ。

「存在」と聞いてパッと思いつく単純な確認方法は「目に見え、触れられる」ということ。なんでも目に見えて触れるものは存在しているような気がする。今紅茶を飲んでいるマグカップや、机の上で咲いているきれいなお花、文字を打っているPCのキーボード…。全部見えるし、触れるから存在しているような気がする。しかもかなり確かに。

でもあるものが「見えない、触れない」となると急に存在の確からしさは曖昧になる。例えば、心。こんなに誰もが持っているものなのに目に見えないし触れない。毎日感じるものだから「心なんて存在していない!」という人はいないかもしれない。でも実態が分からないと物理的に制御できないから、泣いたり、笑ったり、病んだり、いろいろと苦しめられる。

心が、ボールみたいに右に押せば右に転がればずっと楽なのに。もっと言えば、言葉が通じない人間以外の生き物に心があるのか私は全く分からない。もしあるとしたら犬や猫、金魚やカラス、ドブネズミや私の部屋にでてくる蜘蛛は一体何を思っているんだろう。彼らの毎日の幸せな時間や、生きていくうえでの葛藤についてインタビューしたい。

他にも、今過ごしている時間、毎日使っているお金の価値や、私の暮らしを支えてくれている音楽なんかも目に見えない。それでも、それらを表す言葉や制度、あるいは「時計」や「紙幣」、「楽器」といった目に見えるものを根拠にして、なんとか「ある」ということになっている。最近はやりの「データ」なんかも、目に見えない。「数字で証明されています」なんて言われると、なによりも信憑性のあるような気がしてしまう。本当は見えなくて、とても流動的であいまいなものなのに!

一方で「目に見えて触れられるもの」もまた、往々にして古くなっていく。少しずつ色褪せたりして、最後にはなくなってしまうものもある。例えば、昔おばあちゃんの家で飼っていた猫の千代(ちよ)は、ものすごく年を取って私が10歳くらいの時にいなくなってしまった。または、古くならなくても急に目の前から消えていくこともある。昔好きだった人とおそろいだったネックレスは、別の好きな人とお酒を飲んで酔っ払っているうちにどこかに行ってしまった。

形があって確かだったものも、あるときその形が失われると「記憶」になる。そして「記憶の中で生き続ける」という表現もあるように、ものが記憶に変わったからといって、簡単に存在しないものにはならない気がする。おばあちゃんの家に行くたび、私は死んだはずの千代の気配を感じるし、あのネックレスもなくしたことを忘れて時々探してしまう。

なるほど、もしかしたら人が思う存在とは結局「信じるかどうか」なのかもしれない。見えないけど聞こえるような気がする声、誰かとの関係、自分の顔、どれもそのものを見たことがないけれど自分が「ある」と信じていればあるし、そう思わなければない。たったそれだけのシンプルなことなのかもしれない。私たちは「存在している」ことを確かなものだと考えがちだけれど、本当は「信じるか信じないか」という、ものすごく曖昧な話なのかもしれない。

そしていつも最後に考えるのは、自分は自分のことを存在していると思っているけれど、本当にそうなのかということ。部屋にこもって長い間自分が他者に認識されずにいると、自分の存在が曖昧になってくる(そんなとき「あ」と声を出して確認してみたりする)。でももし、「この世界に存在している/いない」の前に「この世界」そのものが勝手な思い込みだったとしたら。すなわち、「私の存在を確認してくれている誰か」の存在を認識している私、の目の前に広がるすべてがそもそもフィクションだったら。

私の目から見えている世界は全部、私が信じているだけの幻想で、本当は海みたいな大きな水槽の中にすごい性能のVRゴーグルをしてぷかぷか浮いているだけだったりして。今部屋に一人で夕暮れを迎えて、ちょっとさみしい気持ちで自分の存在について懐疑的になってもいるけれど、そもそもこの世界が大きな物語だっていう可能性も否定できないし、もしそうだとしたら、誰かに認識されたいとか愛されたいとか、そんなことに無理にこだわる必要もないのかなあ……とかとか。ごちゃごちゃ考えているとよくわからなくなって、そのあたりで夕飯ができる。

見えているものだけがすべてではない、認識は曖昧である、世界は白か黒かだけではない。本当に一人であることを知って、それでも誰かに守られたくて不安になったとき、存在の曖昧さに身をゆだねて無限の可能性をぐるぐる考えていると、なんとなくどうにでもなるようになる気がしてきて、ちょっと安心する。そんな曖昧な場所にいる心地よさや切なさを「mother」という曲に書きたかったのかもしれません。

<羊文学・塩塚モエカ>

◆紹介曲「mother
作詞:塩塚モエカ
作曲:塩塚モエカ

◆アルバム「POWERS」 DL&STREAMING

https://fcls.lnk.to/powers1209

◆アルバム「POWERS」CD購入

https://fcls.lnk.to/POWERS

◆メジャーデビューアルバム『POWERS』
2020年12月9日発売

<収録曲>
1.mother
2.Girls
3.変身
4.ハロー、ムーン(album mix)
5.ロックスター
6.おまじない
7.花びら
8.砂漠のきみへ
9.powers
10.1999
11.あいまいでいいよ
12.ghost
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