小貫信昭のコラム一覧
第84回 コラム画像です。 JUDY AND MARY「そばかす」 今回は、JUDY AND MARY の「そばかす」を取り上げる。ちょっと前にもカゴメの『野菜生活100 Smoothie』のCMで使われていたので、リアルタイムで知らない人も耳にしたことある作品だろう(CMで流れていたのは、ソロ・ユニットAlfred Beach Sandalとしても活躍する北里彰久がカバ-したヴァ-ジョンだった)。
第83回 コラム画像です。 THE YELLOW MONKEY「JAM」 今月はTHE YELLOW MONKEYの「JAM」を取り上げる。ちなみに“jam”という言葉、道路に車がびっしりのトラフィック・ジャムも、瓶には果肉がいっぱいのパンに塗るジャムも、同じ言葉である。音楽の世界ではジャム・セッションなんて言葉もあるが、こちらはまた別の意味(“jam”=“楽しむ”)のようだ。
第82回 コラム画像です。 エレファントカシマシ「俺たちの明日」 初めてエレファントカシマシの宮本に会ったのは、バンドがデビューして間もない頃だ。取材場所にひとりで現れた彼は、椅子に座り、そのまましばらく動かなかった。表情は怒っているように思え、一瞬、“コイツはけんか腰なのか”と身構えた。そうではなかった。インタビューの最初の質問に、集中してくれてたのだ。
第81回 コラム画像です。 米津玄師「Lemon」 昨年の紅白も新たな契機となり、再び注目されている米津玄師の「Lemon」。多くの人がこの歌を愛し、歌詞の世界観も語り尽くされた感があるが、ここでは新たな耳で聴き直し、紹介してみることにしよう。
第80回 コラム画像です。 槇原敬之「遠く遠く」 槇原敬之の人気曲のひとつが「遠く遠く」である。この歌が世に出た頃(1992年6月のアルバム『君は僕の宝物』収録)は、まだ世の中に“桜ソング”なんてジャンルはなかったが、筆者は今でも、このジャンルでこれを越える歌は書かれていないと思っている。
第79回 コラム画像です。 Aimer「カタオモイ」 “片想い”は歌のテーマになることが実に多い。歌ネットでタイトルとして検索すると、40曲近い作品が出てきた。(片想い・完全一致で検索)モロにそのタイトルじゃなくても、内容的にそんな歌なら五万とあるだろう。ちなみに“両想い”はどうかと思い、このタイトルを検索すると……、1曲だけだった。でも、あっただけでも驚いた。
第78回 コラム画像です。 CHAGE and ASKA「SAY YES」 CHAGE and ASKAの「SAY YES」といえば、彼らを代表する楽曲のひとつ。言わずと知れた、ドラマ『101回目のプロポーズ』の主題歌である。80年代を代表する曲だと思っている人もいるが、ヒットしたのは1991年。作詞作曲はASKAで、彼はドラマ台本を読み込んだわけではなく、スタッフから概要だけ聞き、この歌を書いたという。
第77回 コラム画像です。 あいみょん「君はロックを聴かない」 それは2月16日のMステに、あいみょんが初出演した時のことだった。曲は「君はロックを聴かない」。彼女が歌い終わったあと、司会のタモリさんが映された。“おっ、やるな”。サングラス越しに、そんな表情に思えた。タモリさんは音楽マニアでもあるし、いつでもこんな表情をするわけではないだろう。
第76回 コラム画像です。 back number「瞬き」 今月は「瞬き」。歌のなかに[瞬きもせず]という表現が出てくる。ところが最後まで聴くと、これはあくまで伏線であって、最後にちゃんと別の意味へと回収されるのが分かる。最初に結論を書くなら、この歌は“瞬き”に関する歌ではない。
第75回 コラム画像です。 忌野清志郎「君が僕を知ってる」 生前、忌野清志郎には何度も取材でお世話になった。レコーディング中のロンドンを訪ね、スタジオでチキン・カレーのご相伴にあずかったことなど、実に楽しい想い出である。 そういえば、「キヨシローさんて、普段はどういうヒトだったんですか?」と、若い人から訊かれることもある。
第74回 コラム画像です。 [ALEXANDROS]「ワタリドリ」 たまたま、というと、なんか彼らに失礼かもしれないが、昨年と今年、たまたま連続して野外フェスで[ALEXANDROS]を観た。 ちなみにフェスには、ファン以外の観客もいるわけで(まさに僕がそうだった)、その際、武器となる要素がふたつある。ひとつは誰でもすぐにノレる演奏の切れ味であり、もうひとつは、初めて聴いてもイイナと思える楽曲のクオリティだ。
第73回 コラム画像です。 aiko「花火」 今回はaikoの「花火」をとりあげる。言わずと知れた、彼女の初期の名作だ。ところで今年、デビュ-20周年だそうだ。実は最初のころ、彼女によく取材していた。 まずはその頃のaikoの思い出を。覚えているのは、インタビューしやすいヒトだった、ということ。よく気がつくし、頭の回転も早い。

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プロフィール 小貫 信昭 (おぬきのぶあき) 1957年東京は目黒、柿ノ木坂に生まれる。音楽評論家。
1980年、『ミュージック・マガジン』を皮切りに音楽について文章を書き始め、音楽評論家として30年のキャ
リアを持つ。アーティスト関連書籍に小田和正、槇原敬之、Mr.Childrenなどのものがあり、また、
J-POP歌詞を分析した「歌のなかの言葉の魔法」、自らピアノに挑戦した『45歳、ピアノ・レッスン!-実践レ
ポート僕の「ワルツ・フォー・デビイ」が弾けるまで』を発表。