第105回 太田裕美「木綿のハンカチーフ」
photo_01です。 1975年12月21日発売
 今月は、太田裕美のヒット曲「木綿のハンカチーフ」を取り上げる。オリジナルのリリースは1975年12月と冬だったが、“別れの季節”たる春に聴いてこそ、胸に届くものも大きいだろう。過去に様々なアーティストがカバーしてきた。最近では、女優の橋本愛がオリジナルとは別の解釈でカバーし、話題である。

往復書簡の歌


 特徴ある歌詞だ。旅立つのは「ぼく」で、地元に残るのは「私」。この両者のやりとりで構成される。太田裕美が、“男女二役”で歌っていく。普通なら、デュエット・ソングとして発想しそうな構成だ。そして“二役”のみならず、コーラスごとに前半は男性、後半は女性の気持ちを表している。なので1番から4番まで、四通ずつの書簡が交換されるのだ。

歌の後半には、サビがある。歌のなかでも強く届く部分だ。そこは女性目線のパートである。なので歌全体としては、「ぼく」より「私」の気持ちのほうが、より印象づけられる結果にもなっている。

1975年当時、これは掟破りで画期的な作詞法だった。それまでは、例えば昭和のカラオケの定番「銀座の恋の物語」のように、男は男の気持ち、女の女の気持ちをデュエットという形式で表した。

作詞の松本隆は、どのようにしてこのアイデアを得たのだろうか。そこには太田裕美という歌手の特性も関係していたようだ。彼の回想を引用する。

「(彼女は)しとやかなルックスだけど、竹を割ったような性格。だから「ぼく」という歌詞にも違和感がない」(スポーツニッポンのコラム連載「我が道」1月13日紙面より。なおカッコ内は筆者が加筆)。

モノとココロ。大切なのはどっち?

 往復書簡なので、順を追っていくことにする。「ぼく」は旅立つ。行き先は、[東へと向う列車]とだけ記されている。もしここで「東京」などと地名を出していたら、むしろ歌の世界観を狭めていた。ちょっとしたことだが,実に巧みだ。

「ぼく」は旅立って新天地での暮らしを始めるが、自分が居なくなってしまった代償として、[贈りもの]を探そうとする。しかし「私]が望むのは、以前のように相手が側に居てくれることだった。このあと、実に有名なキラー・ワードが飛び出す。[都会の絵の具]に[染まらないで]、という表現だ。

都会の流行に馴染み、垢抜けていく相手の様子は、地元に残った彼女にとって、心の距離を拡げてしまう出来事だったのだろう。それは望まない。ただ、ここで“絵の具”という表現に注目したい。彼女は相手を信じ続けているからこそ、“絵の具”だったのだろう。。それは一時の気迷い、表面的なものなので、シャワーで洗い流せるかもしれない。

2番は半年後のエピソードだ。都会暮らしにも少し慣れてきた「ぼく」は、行動半径も広がり、相手への贈り物を見定める。具体的に、それは指輪。ここでこの歌を、旅立った男の側からみてみよう。指輪というのは、もちろんここでは格式張ったものではないにしろ、「ぼく」にしてみたら、将来のエンゲージへの布石だったかもしれない。

しかし「私」が欲しいのはモノではなく、あなたの[キス]なんだという、はっきりした返事が届く。ここで改めて判明するのは、両者の関係がプラトニックではなく、既に恋人同士と呼べるくらいのものだったことだ。

彼女が欲したハンカチの素材は、なぜ木綿だったのだろうか?

 3番はさらに時間が経過する。1~2年後…、いや、もっとかもしれない。「ぼく」は[見間違うような][スーツ着た]自分になっている。[写真を見てくれ]と言っているくらいなので、自信もついたのだろう。

都会で仕事もきっちりこなし、地歩を固めたのだ。どんな職業なのかは不明だが、この歌が70年代のものであることから察するに、地元から都会にやってきた時の「ぼく」は、長髪にジーンズといった感じだったと想像できる。リッパな社会人になったわけだ。

しかしこの3番。「ぼく」の言い分は、やや辛辣とも言える。地元にいる「私」対して、[くち紅も つけないままか]などと、まるでそこは時間が止まった場所であるかのような言いぐさなのだ。

しかし「私」も負けてはいない。地元在住は地元在住の価値観で対抗する。[草にねころぶ]あの頃のあなたのほうが好きだったと反論するのだ。とはいえ文面の最後では、[からだに気をつけて]と、相手をきづかう彼女だった。

さて、ついに最終の4番。ここにきて、彼は[君を忘れて]しまったし[ぼくは帰れない]などと大胆発言をしている。そうなると、ちょっとこの「ぼく」は冷たくないかぁ、地元にいる「私」が可哀相、となる。

そしてこの4番の後半が、この歌のクライマックスなのである。モノの代償より彼が側にいてくれることを切に願い、[贈りもの]など何も要らないと言い張ってきた彼女が、[最後のわがまま]と前置きして、ついに相手にねだるのだ。繰り返すが、1番、2番、3番と、この流れ、その伏線が、一気に回収されるのだ。

みなさんご存じの通り、欲しいもの、それは[涙拭く]ための「木綿のハンカチーフ」だった。とても切ない幕切れだ。

彼女が欲したハンカチは、なぜ“木綿”のものだったのだろう。“木綿”が象徴するものとはなんなのか? それはまさに、二人が楽しく過ごした地元での日々、だろう。自然豊かな故郷の景色。その象徴としての木綿。しかも、彼女が流す涙を、充分に受け止める飾らない洗い晒しの普段づかいのハンカチ。これをコットンと、横文字にしても違うし、絹などの高級素材はもっと違う。

ここで想像してみよう。もしこの歌に5番、さらに6番があったなら、さらなる結末はどうなっていたのだろうか。この二人は、けっきょくヨリを戻さずそのままだったのか? もし、地元に残された「私」に思い入れするのなら、都会にいる「ぼく」が、“西へと向う列車”に乗ることを願うだろう。でも、リッパに仕事もこなすようになった「ぼく」のもとへ駆けつけるため、今度は「私」が“東へと向う列車”に飛び乗ることだって出来るのだ。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

コロナ禍で苦境なのはエンターテインメント業界だけではないが、僕もその末席に身を置く人間として、聞こえてくるのは未だ先がわからぬ状況である。もちろんみなさん、様々に創意工夫し、新たな音楽の届け方を模索しているわけであり、その努力には頭がさがる。春から夏には、なんとか光明がさして欲しいものだ。というのも、音楽を演奏する場所が屋外へと開放されていくからだ。ステージ前に密集し、一体となって盛り上がるのは少し先でも、ぜひこの夏は、気持ちいい風に吹かれつつ音楽を楽しみたいものである。