第80回 槇原敬之「遠く遠く」
photo_01です。 1992年6月25日発売
 槇原敬之の人気曲のひとつが「遠く遠く」である。この歌が世に出た頃(1992年6月のアルバム『君は僕の宝物』収録)は、まだ世の中に“桜ソング”なんてジャンルはなかったが、筆者は今でも、このジャンルでこれを越える歌は書かれていないと思っている。

春は別れと出会いの季節と言われるが、実はふたつの感情が“ない交ぜ”になっている。一般的に“桜ソング”は、咲く、または散る花びらを“季節の時報”と捉え、物語の終点や起点とし、展開する。

しかしこの歌は、歌詞やメロディは郷愁たっぷりでありつつ、あえて楽曲アレンジには快活なレゲエを選び、“ない交ぜ”かつ“どっちつかず”な春の本質を描く(ちなみに、なぜレゲエだったのかといえば、この頃、槇原がブリテッシュ・レゲエにハマってたという、個人的な嗜好が反映された結果であった)。

個人的といえば、もともと書かれた歌の内容自体、そうだった。進学とアーティスト活動のため東京へやってきた槇原が、自分のことを心配もしてくれた故郷の友人達を想い、綴った歌である。[どんなに高いタワー]からも見ることができない[僕のふるさと]とは、起伏に富み、低地も多い、彼の故郷、大阪・高槻市のことだろう。

さらに自伝的な歌として解釈するならば、遠く離れてても[僕のことがわかるように]とは、アーティストとしての地歩を固め、作品を発信し続ければ、故郷の友人達も、必然的に“僕のことがわかる”と考えたからではなかろうか。実際、彼は程なくして、そんな存在となり、大きく飛躍するのであった。

この歌のドラマチックなシーンといえば、同窓会の案内の[欠席に丸をつけた]とこだろう。ここで眼に浮かぶのは、どちらにしようか一瞬迷う、主人公のペン先だ。しかし欠席にする。少しの迷いは伝わるが、次の瞬間の主人公は、毅然としてる。もちろん、楽なのは出席に丸のほうだろう。馴染みの風景に身を戻したなら、どこにでも居場所が見つかるだろうし…。

SNSが発達した現在は、歌詞のこの部分とか、違った響き方かもしれない。しかし、いつの時代も自分を創るのは自分だし、時には必要なのが、(ちゃんと相手に伝えた上での)“この期間は自分に集中したいことがあるので、既読はスルーしますよ”宣言だ。

歌詞の乗せ方で、なんてことないけど実に印象的なのは、[まるで七五三の時のよに]である。“シチ・ゴ・サン・ノ・トキ・ノ・ヨニ”という律儀なコトバの刻み方が効いている。七五三の時、普段とは違う畏まった服装をさせられて、子供ながらに感じた窮屈が、ふと蘇るかのようだ。

さらに細かなことだが、今ではスーツもわりと似合っているというくだりで、ネクタイも“結べる”ではなく、[上手く選べる]としている点も優秀である。まさにこの歌、隅々にまで意味が詰まっている。

ネクタイを[選べる]とは、社会人としてのTPOも、わきまえられつつあることを示す。ジーンズからスーツへ、みたいなことは、若者が社会へ出て行く時、よく用いられる表現だが、ここではスーツとネクタイの取り合わせにより、社会への適応を、段階的に描くことに成功している。

敢えてコトバを「“”」で括ることの意味

 ところで今回のコラム、ダブルクォーテーションマークの「“”」を、多用して書いてみた。これは反面教師としての例だ。「遠く遠く」では、決定的なキラー・フレーズで、そこに込められた意味を伝えやすくするために、「“”」が使われている。

そう。[“変わってくこと”]と[“変わらずにいること”]だ。どちらも表現としては平易だが、まさに真理をついている。具体的にどういうことなのかを書くのは無粋であるが、まさしく春という季節は、このふたつが十字路のように交差する季節かもしれない。

この原稿を書く少し前に、2月13日リリースの新作『Design & Reason』を聴いた。彼の音楽ほど、時代の空気を吸って変化してきたものもない。でも、彼の音楽ほど、デビュー以来、不変なものもない。槇原敬之は今も、「“”」の中のふたつのことを、しっかり胸に刻みつつ、音楽し続けているのだろう。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

先日、昨年の暮れに近くの駅に出来たミニシアター・コンプレックスに行ってきた。確かに街の映画館ではあるのだが、たまたまお目当てが上映されてたスクリーンは、なんとキャパがたったの30席。たまに仕事で伺う映画会社のマスコミ向け試写室でも、これよりもっと大きい。なので上映中、音をたてたら非常に目立つので、緊張しながら観た。でもなんか、狭い飲食店での客同士の連帯感的なものに近い感情が、退出時には(ちょこっとだけ)湧いてきた。