第127回 Saucy Dog「シンデレラボーイ」
photo_01です。 2021年8月1日発売
 大晦日の『紅白歌合戦』での熱演も記憶に新しいSaucy Dogは、歌詞を扱うコラムにとって救世主ともいえる存在だ。

改めて彼らの作品(歌詞)を眺めてみると、歌だから言える本音と、行間で伝えるべき心の内面とのバランスが、上手くとれてる作品が目立つ。巧みな日常観察から描かれる風景描写も、リアルに伝わってくることが多い。非常に頼もしく思う。作詞者はメンバーの石原慎也である。


改めて「シンデレラボーイ」の歌詞を

 祝・紅白もあったので、やはりこの曲を中心に書いていく。石原が女性の立場から書いた歌詞であることはよく指摘される。

ただ、目線が男性であろうと女性であろうとジェンダーレスであろうと、人間がうまく描かれてなければ魅力的な歌にはならない。

最近10代にも人気が高いといわれる昭和歌謡は、男性のプロの作詞家が女性目線で書くことが珍しくなかった。それでもヒットしたのは上記の理由である。

では「シンデレラボーイ」の、どのあたりが魅力なのか。まず最初に挙げるべきは、タイトルのつけ方と、そこから伝わる歌の状況設定だ。

夜の12時に顔を出す相手の本音とは?

 “シンデレラ”なのだから、当然のこととして、日付が変わる夜の12時がポイントだ。そこで魔法が解けてしまう。元の物語の場合、きらびやかなドレス姿からボロボロの現実へと戻るのだが、この歌の場合、どうやら相手が繕う自分への愛が時間切れを迎え、本音が顔を出す時刻のようだ。

こんなことまで書くと新年早々シーンとしてしまうが、元の物語とこの歌との決定的な違いは、この歌の場合、苦労するのは“シンデレラ(ボーイ)”のほうじゃなく、その相手の自分だということ。

でも女性は、なんらかの証拠をつきつけ告発しようとするわけではない。相手の異変を、なんとなく感じてしまったわけである。[気づかないふり]の[タバコ]のあたりは、その具体的な描写といえる部分だ。

それを知った主人公の女性は、心にまとった“恋愛”の甘美なドレスを脱がざるを得なくなり、その瞬間は、心がボロボロとなってしまう。しかもそれが[夜な夜な][未だに]とあるように、12時の出来事は幾度か繰り返され今に至っている。

ここでふと想う。“シンデレラ”であるなら、重要なアイテムが必要だ。

この歌の“ガラスの靴”はどこに存在するのだろうか

 “シンデレラ”であるなら、“ガラスの靴”にあたる要素が存在して当然だろう。それはいったい何なのか。

ここからはあくまで仮説だが、改めてこの作品の、有名な冒頭部分に着目してみよう。[カラダは単純][男なら尚更]。ドキッとする表現でもある。女性目線の歌ではあるが、作者が男性だからこそ出てきたフレーズかもしれない。つまり…、性愛もテーマのひとつ、なのだ。それが“ガラスの靴”の正体だ、とまでは言わないが…。

さて、気づけばめっきり相手の女性に加勢している筆者だが、そうなると、彼女に恋愛の未来があるのかないのか心配になってきた(ほとんど親戚のおっちゃん状態)。

しかし救われるのは、[あたしは平気そう]と言ってること(“平気よ”じゃなく“平気そう”という表現についホロリ…)。さらに、[意地悪]として、相手にたまに連絡する、などと宣言しているあたり、もしや涙も乾き始めているのだろう。

書きたい作品は山ほどあるが、2曲ほど…

 まずは「東京」。このタイトルの歌を書くと、正直、実力がハダカになっていく。ステレオタイプに陥りがちなのもこのテーマ。東京という都市ほど、溢れかえる情報により“知った気に”なれる場所もない。それらをひっ剥がし、自らの感性を発動させるのが困難なのだ。でもSaucy Dogの「東京」には、キラリと光るものがある。

不安により[丸くなるつま先]というのがまず秀逸だ。手の指と足の指を比較すると、圧倒的に足の指のほうが“しぐさ”という点では劣る(当たり前)。

でも、足の指にこそ奥深いところに仕舞っていた感情が表れもするわけであり、そのあたり、お見事な表現なのである。

[急行、すれ違う音]に何度も驚かされる、というのも素晴らしい。あの音には、瞬間、ちょっとした恐怖を感じてしまう。圧縮された空気と空気がぶつかる音。何気ない都市のノイズを、印象深い歌詞にしている。

もう一曲、「魔法にかけられて」を選んでみた。『恋する 週末ホームステイ』への提供曲ということもあり、逢えなくてもテレビ電話でつながる恋人たちが主人公である。歌詞にテレビ電話という言葉が出てくる。僕はてっきりこの表現は死語かと思ったら、今も使われているらしい。

当然、テレビ電話なら相手の表情が伝わる。電話だけの時代にはなかったことだ。「魔法にかけられて」も、そのあたりは反映されている。話題が尽きたら[無言で良い]のもまさにそう。

ただ、やはり重要なコミュニケーションは、今も昔も言葉に託される。相手が[意外と毒舌とこも好き]という、ここは非常に印象に残る部分だ。自分も同じように毒舌だったらロマンチックじゃないけど、この場合の“毒舌”は自分にはない相手の性質だろう。だから惹かれるのだろう。

でもこの歌。リモート恋愛がテーマかと思っていたら、あれあれあれ…。後半では、[痺れた右手]が[うなじ抜け出し]ってことにもなっていた。なんだ二人は一緒に居るんじゃない!?

あとはお幸せに!
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

近況は、年末に買った黒豆が、自分の好みより柔らかく煮てあってがっかりした→さほど期待しないで買ったローストビーフがことのほか美味だった→録画した「年忘れにっぽんの歌」を観ていて、前川清さんの熱唱に感激した→『読んでいない本について堂々と語る方法』(ピエール・バイヤール著)を読んでたら、読書において、なにも「熟読」だけが尊いわけじゃないことを知り気が楽になった。2023年も宜しくお願い致します!