あなたにも手が届きそうなこの場所でまだ歌っていたいいつだっているのは 溶ろけてしまうような地獄
忘れたくない景色ともらった愛を集めて
感情がキラキラする終わらないフィナーレへ
高く高く高く高く飛べるかな本当のあたしだってさ 笑ってくれよもっと歌詞を見る
―― 人生でいちばん最初に音楽に心を動かされた記憶というと、何を思い出しますか?
中学生の頃、BUMP OF CHICKENさんの「才悩人応援歌」を聴いたときですね。初めて鳥肌が立つほど曲に感動しました。歌詞が当時の自分の心境にものすごくリンクしたんですよ。小学生の頃は、得意なものがたくさんあったはずなのに、中学生になって特技がひとつもなくなっている自分に気づいた時期でした。
そんなときに<得意な事があった事 今じゃもう忘れてるのは それを自分より 得意な誰かが居たから>というフレーズを聴いて「え、私のことを歌ってくれているの?」と思いました。冒頭から衝撃を受け、しかもすべてがパンチラインで。あの感覚は今でも忘れられません。
―― アカリさんは学生時代にバンドも組まれていますが、それはBUMP OF CHICKENの影響も大きかったのでしょうか。
きっかけのひとつだったと思います。そもそも兄と喧嘩して、兄が持っていたBUMP OF CHICKENのCDを盗んで「才悩人応援歌」を聴いたんです(笑)。それまでは、学校で流行っている曲やアニソンなど、ジャンルを問わず聴いていたんですけど、そこで初めて“邦ロック”という存在を認識しました。「バンドサウンドってカッコいいな」と知ったことは、自分にとって大きかったですね。
―― 聴く側から、表現する側になりたいと思い始めたのはいつ頃からですか?
いちばんのきっかけはYUIさんで。「私もギターで弾き語りをしたい」と、中学時代に見よう見まねで始めたんです。でも、カバーするための練習はあまり好きじゃなかったので、それなら自分で作ってしまおうと。少しずつオリジナル楽曲を作るようになっていきました。でも、それを表に出したいとか、音楽の道で生きていきたいとか、思っていたわけではなかったんですよ。
―― 何かを目指すより前に、曲を作り始めるというのは珍しいかもしれません。

中学時代、部活適性がなさすぎて、3つぐらい部活を転々としていたことの影響もありまして。高校に入ってからは友だちに、「お前はもう部活に入るな。部活クラッシャーだ」と言われて。母にも、「部活はやめとき。どうせ続かんやん」と言われて。自分でも「たしかにな…」と思ったので、学校の外でバンドを組んだんです。そこからお客さん1~2人のところで演奏したりという経験をして、「ああ、音楽って楽しいなぁ」と。
―― 最初は部活代わりの感覚だったのですね。
そうなんですよ。もっと言うと、音楽の道に進んだのも、他のものが続かなかったからで。「やりたくないことはやらない」が常にモットーなので。でもそんななか、歌うことだけは好き。音楽だけは好き。だから、「それで生きていけたら最高だなぁ…」ぐらいの気持ちで。バンドを解散して、ソロオーディションを受けて、上京して、メジャーデビューして、気づけば今です(笑)。きっと私には音楽しかなかったんだろうなと思います。
―― アカリさんが最初に書いた歌詞って覚えていますか?
歌詞は覚えていないんですけれど、学生時代から本当に集中力がなくて。いつも授業を聞いているふりしながら、教科書やノートの端っこに、何かしらのポエムを書いていました(笑)。たとえば、自分に特技がないことをコンプレックスに思っていた中学時代は、「どうやって生きていこうかな」みたいな気持ちを、3行くらいのポエムにしたり。今も変わらずですが、ネガティブな言葉が多かったですね。
―― 活動のなかで、歌詞に“ナナヲアカリらしさ”が確立されてきたタイミングというと?
楽曲でいうと、「ダダダダ天使」かもしれません。打ち合わせで、私がナユタン星人さんにいろいろな1コマ漫画を提案したんです。そのなかに、ダ天使ちゃんの元となるキャラの、「いいか? 私はやらないんじゃない、できないんだ!」というセリフがあって。それをナユタンさんが、「これめちゃくちゃいいですね」と言ってくださって、冒頭の<やんないんじゃない、できないんだ!ドヤ!>というフレーズや曲の全体像ができました。
そうやって不思議な作り方から生まれた「ダダダダ天使」が、ネットでミーム化してもらったりして、多くの方に認知されるきっかけになりましたし、今ではナナヲアカリのライブアンセムにもなっていて。この曲をきっかけに、自分らしさの軸ができあがったのかなと思います。
―― 今、改めて“ナナヲアカリらしい歌詞”とはどんなものだと思いますか?
ジャンルとしては、「ネガティブポップ」や「ダメポップ」と呼んでいるのですが、歌詞もそうですね。基本的にものすごく後ろ向きなんだけれど、諦めはしない。
―― また、アカリさんのプロフィールにも歌詞にも登場する、「ディスコミュニケーション」という言葉も印象的です。ご自身にとって、他者との意思疎通の難しさは大きなテーマなのでしょうか。
まさに。しかもデビュー当時は、今の比じゃないくらい難しかったですね。はじめましてのひとへの警戒心が強すぎたし、自分について話すのも慣れてなかったので、距離を詰められなくて。ナユタンさんとも、今でこそいろいろ話せるようになりましたが、最初は、「ああ…、そうですね…、そうですよね…」みたいな感じ(笑)。スタッフさんに通訳として入っていただくレベルで。本当に他者とのコミュニケーション、苦手でしたね。
―― こうしてお話しているアカリさんからは想像できないですね。
だいぶ慣れたというか、スイッチをONにして頑張ることを覚えました(笑)。当時は、ONの仕方がわからなかったんですよね。そんなディスコミュな自分だからこそ「歌詞なら言える」という気持ちもより強くて。学生時代、言えないことや言わないことを、ノートの端に書いていたときと同じ気持ちで、歌詞を書いていた気がします。そういう面は今も変わらずに自分のなかにありますね。
―― 歌詞はどんなときに書くことが多いのでしょうか。
夜に書き始めることが圧倒的に多いです。日中あまり外に出ないから、昼の思い出が少ないんですよ。今作のDisc1でナナヲが作詞に参加している「どうやったって」「わかんないセブンティーン」「Jewel」「Step In The Dark」のいずれも、夜にまつわるワードが出てきますし。
あとは、日常でふと思ったことを、iPhoneのメモにバーッと書いておきます。そして、作詞のタイミングでそのなかから、今の自分にいちばん合う種をチョイスして、書き始めることが多いかな。とくに、他者と一緒にいるとき、「うっ…」とか、「ん?」ってなったときに、いろんな言葉が出てきますね。
―― どちらかというと、負の違和感が生じたような瞬間というか。
そうですね。会話のなかで、「あ、これは意見の相違だ!」って感じたときとか、イラっとしたときとか。幸せなときに何かを書くことはほぼなくて。何かしらの引っかかりに気づいたとき、曲の種が生まれがちですね。
―― 年齢や経験を重ねるにつれ、歌詞面で変わってきたところ、あるいは変わってきた価値観はありますか?
自分でもっとも感じるのは、視界の変化かもしれません。私はずっと完全なる性悪説派だったんですよ。人間はみんな悪者。いいひとなんていない。すべてに対して疑心暗鬼で、すさんだフィルターを通して世界を見ていました。加えて、自信もないので、初期はすごく暗くて尖った歌詞が多かったように思います。
でも、他者と関わるときスイッチをONにできるようになったことで、「じゃあ、まわりをしっかり見てみよう」という気持ちが芽生えまして。すると、「あれ? みんな、いいひとな気がしてきた」と(笑)。それで最近は、性善説を信じ始めているんです。あいかわらず自信はないけれど、視界が変わったことで、歌詞の軌跡や着地点も変わりつつある。それが今のナナヲアカリにとっての大きな変化なのかなと思いますね。