Q)酷な質問かもしれませんが、ご自身の曲の中で、「この曲のこの歌詞がいい」というところを教えてください…
酷ですね〜(笑)。いやぁ〜いっぱいありますからね。

Q)フレーズってことでなく、印象的な歌詞ということでは…?
それも、たくさんありますけど…、たとえば「星の砂」は、フルコーラスを通してドラマティックな歌詞です。あれは、沖縄で実際にあった秘話をもとに、関口宏さんが書かれたんですけど、そこに、悲しい背景、想いがあって、歌っていると、言葉の陰に隠れているものが溢れてきたりしますね。

Q)「来夢来人(ライムライト)」は、曲のタイトルをルミ子さんご自身で付けられたそうですね?
はい、タイトルは私が考えたんです。作詞の岡田冨美子さんとお会いした時、「今回は、膝枕をしてあげるような、日本的なところを持ちつつ、和洋折衷の女でいきたい…」というお話があったんです。それで、私、チャップリンの「ライムライト」って映画がすごく好きで、何かないかな〜って考えてた時に、「来夢来人」と書いて「ライムライト」と読ませたらすごくおしゃれだなって思いついたんです。そういうお話を岡田さんにして、「ルミ子ちゃん、それいただくわ」ってことになったんです。なんか、嬉しいですよね、自分が描いたイメージを使っていただけると。

Q)ご自身でも、何曲か歌詞を書かれています…
そうなんです。私も詞を書くことが好きで、「いい気になるなよ」「背中でちょっと I Love You」「愛を育てて」とか書いています。昔はね、ファンの人に喜んでいただけるのでアルバムの中に作詞した曲を入れたりしていました。

Q)最近も、常に詞を書かれているのですか?
今は書いてないんですよね。書きたいと思っているんですけど。私も、一青窈さんに刺激されて…、来年あたりからやりますかね(笑)。そういうことも、やっていきたいと思います。

Q)安井かずみさん(「わたしの城下町」「お祭りの夜」)、山上路夫さん(「瀬戸の花嫁」「漁火恋唄」)、なかにし礼さん(「京のにわか雨」「冬の駅」)など、錚々たる方々の詞を歌われてきましたが、とくに印象的な作詞家の方はいらっしゃいますか?
やっぱり、山上先生の「瀬戸の花嫁」もそうですし、安井先生の「わたしの城下町」もそうだし、礼先生の「京のにわか雨」もそうですけど、皆さん、すごいですよね。何がすごいって、特別なにか奇をてらったような言葉ではないのに、心に響いてくる…。たとえば、礼先生にしても、「石狩挽歌」みたいな詞を書かれている一方で、「京のにわか雨」のような、とても日本的な情緒豊かなものがあったり、はたまた「時には娼婦のように」のような、強烈なものがあったりと、あの、ふり幅がすごいなって思いますね。

Q)同じ人が書いてるとは思えないですね…
そうですね〜、やっぱり、引き出しの多さが違いますよね。だから、ヒットメーカーって言われるんですね。

Q)安井かずみさんの詞は、「わたしの城下町」や「お祭りの夜」もそうですが、日本情緒あふれるものを書かせたら抜群です。何気ない普通の言葉で、どちらかと言えば淡々と風景の描写をしているだけなのに、ものすごく気持が伝わってきます…
そうですね〜。最初、「わたしの城下町」の歌詞を見た時には、ビックリしましたね。それまでは、タイガースとかグループサウンズの歌を書かれていたり、訳詞も多くされていた方なので、どちらかと言えば、ポップス志向の方だという認識だったんです。それが、いきなり「格子戸をくぐりぬけ…」ですから。あんなモダンな先生から、いきなり日本的なものが出てくるなんて、すごいなあって思いました。

Q)モダンな感じの方なのですか?
デビュー曲「わたしの城下町」のレコーディングの時に、平尾先生と安井先生がいらっしゃったんですが、もう、とてもおしゃれな方でね…、やさしくて憧れのお姉さん、というイメージですね。

Q)80年代には、「お久しぶりね」「今さらジロー」など、杉本真人さん作詞作曲の曲でヒットを出されています…
私は、杉本真人さんも大好きで、彼のいいところは、小気味いいというのかな…、ノリが良くて、歌謡ロックで、でも、どこか日本人の魂があって…。ああいう風に見えて、実はとても涙もろくて、だから「吾亦紅(われもこう)」みたいな歌もできるんですよね。

Q)サウンドは小気味よいロックで、歌詞は日本的な感じですね…
メロディも、平尾先生の「涙」とは、またちょっと違うんですよ。涙の質が違うんですよね。もっと泥くさいんですよね。平尾先生の方はセンチメンタルでさらっとしてるんです。

Q)なるほど…、平尾さんはスマートでロマンティック、杉本さんは庶民的な感じ?
そうですね。自己分析すると、私の中には、両方の涙があるんですよね。だから、たぶん、杉本真人さんの詞曲も合うんだろうなって思います。

Q)杉本さんの楽曲で、それまでの日本情緒あふれる歌をうたう歌手のイメージから、がらっと変わりました…
それはもう、彼のお陰ですよね。歌手には、そういう転機みたいなものってあるんですよね。その楽曲に巡り合えたから、もう「ひと色」そえられたっていうね。

Q)そういう転機となるような楽曲に、巡り合える人もいれば、巡り合えない人もいます…、運みたいなもんですかね?
運もあるし、あとは、曲とか詞を提供して下さる作家の方々が、「あの歌手に書いてみたい」「あの人をこういう風に表現してみたい」って思っていただけるよう、創作意欲を感じていただけるアーティストでいなくちゃいけないんだと思いますね。

Q)ところで、ご自身の歌ではなく、これまで耳にしてきた歌の中で、とくに印象に残っている歌詞を教えてください…
それは、もうたくさんありますけど…、たとえば、井上陽水さんの感性は好きですね。あの方の、捉え方ってすごいですよね。「いっそセレナーデ」って、いったいどういうことなんだろうって(笑)。すごいなって思います。自分のステージでも「心もよう」とか歌わせていただいたり、アルバムの中にも入れさせていただいたり、コンサートも見に行ったりしましたけど…、もう井上陽水さんに弟子入りしたいって思ったくらい(笑)。いったいどこから、あのフレーズが出てくるんだろう?って思いますね。だから、安全地帯の「ワインレッドの心」とかも好きでしたね。

 


Q)宝塚音楽学校を首席で卒業されていますが、そのころから歌手を目指していたのですか?
そうです、それは福岡にいるころからですね。

Q)そもそも、歌手になりたいと思ったきっかけは何だったのでしょう?
きっかけは母です。もともと母も歌手になりたかったんですけど、昔は音楽学校に行かなければ歌手になれなかった時代でいたから、ある程度、裕福でないとなれなくて、母は泣く泣く断念したんです。それで、子供を産んで、しかも、女の子を産んで、その女の子を絶対歌手にしたいと思っていたんですね。ですから、歌手になるべくして生まれたようなものですね。

Q)ご自身でも、物心がついたころから歌手になりたいと思っていたのですか?
そうです。私自身も、そう思っていましたし、物心がつく前から、歌手になるべく、お稽古ごとをしていました。3歳からクラッシックバレエ、小学校に入ったらピアノとか歌とか…、歌手になるために…です。

Q)そのころ、好きだった歌を教えてください…
小さい頃は、向こうのアメリカンポップス、ザ・ピーナッツさんとか坂本九さんとか、弘田三枝子さんとかがカバーして歌っていたような曲ですね。小学校の高学年になると、ビートルズとかモンキーズとか、中学になってからは、グループサウンズとか聴いていました。

Q)GSでとくにお好きだったのは?
タイガースです。

Q)宝塚時代は、そんな好きな歌を聴いているような時間もなかったかとは思いますが…
ううん。私、いわゆる宝塚風の歌が好きじゃなくて、むしろ、部屋では歌謡曲ばっかり聴いていましたね。それこそ、由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」とか、千賀かほるさんの「真夜中のギター」とか…、1970年ですね。


Q)その頃から、歌謡曲を歌いたいと…?
う〜ん、歌謡曲というか、どちらかというとポップス志向だったんです。私は、歌って踊る人を目指していたんです。母は、古賀政男先生の歌なんかをよく聴いてましたから、歌謡曲も自然と耳にはしていましたけど。

Q)もともと歌手デビューの前に、役者としてデビューされていますし、80年代、渡辺プロダクションから独立される時も、「歌と踊り、芝居もやりたい」とおっしゃっていました。小さい頃から、歌とともに踊りという意識もあったのですか?
そうです。5歳くらいのころからです。週に3回はバレエに通っていましたし、とにかく、私を子供のころからよく知ってる人は、「歌って踊るルミちゃん」というイメージみたいです。だから、最初から「歌って踊る」というのが「私」だったんですね。ところが、「わたしの城下町」からのデビュー当時の印象が強烈だったために、当時は、踊るってことが、ずいぶん長い間封印されていたんですね。



Q)最近も、音楽はよく聴かれますか?
はい。最近というか、ずっと私は、ダイアナ・ロスが好きで聴いていますね。ステージでもずいぶん歌っていますけど、最近は、自分のステージで洋楽を歌う機会が少ないので、また歌いたいと思います。

Q)最近の日本の音楽で、とくにお気に入りの曲はありますか?
う〜ん、歌詞がぐっとくる歌が、最近は少ないですね…。

Q)今後は、どんな音楽活動をやっていきたいですか?
自分らしいステージって言うのかな…。もちろん、今までもやってきたんですが、さらに自分らしいステージを作っていきたいと思うんですね。やっぱり、自分があと何年ステージに立てるか…

Q)そんな…、まだまだ当分大丈夫じゃないでしょうか…
いや、本当に最近そう思うんですよ…、いつまでも歌って踊ってステージが出来ると思っているのは違うんだなってね。だって、中村勘三郎さんだって、そうじゃないですか、57歳の若さでね…。絶対、ご本人は、まだまだ役者としてやりたいこと沢山おありだったでしょうし。そう考えると、いつ自分が死ぬかわからないじゃないですか、それは、私に限らず皆さんそうですけど、だったら、やっぱり、毎回、悔いのないように、パフォーマンスをしていきたいなって思います。あとは、さっきの話じゃないですけど、来年からは、詞とか曲とかも書いていきたいとも、本当に思っています。

Q)ところで、最近、楽しい時間とは、どんな時ですか?
あのね…、歌って本当に難しいし深いなって、私、今さらながら本当に感じるんですね(笑)。昔の歌のボーカル譜をいま一度見て練習したりしてみると、「ああ、私、こんな風にヘンな癖がついちゃってる」とか気がつくんです。そういうことを、初心にかえってやってることが…、なんと言っていいのかわからないですけど、そういう自分が好きなんですね。

Q)最近、悩みとか困っていることはありますか?
悩みはないですね、今は。

Q)音楽以外に何かやっていきたいことはありますか?
アート書道です。習字は小さいころからやっていましたし、もともと、字を書くことは好きだったんです。ずっと前からやりたくて、たまたまテレビ番組で何かに挑戦するという企画があった時に、お願いして、アート書道をやらせてもらったんです。いやぁ、楽しかったですね。そういうきっかけが出来たので、アートというか、個性的な書を書いて、いつの日か個展とかやあれたらいいですね。それが、今は夢ですね。

Q)歌だけでも大変なのに、踊りも入ったハードなステージを続けていらっしゃいますが、体調管理も大変だと思います。おそらく、あらゆることに気をつけているのだと推測しますが…
え〜っと…、私がね、自分で自分を褒めてあげたいと思う瞬間は、人が見ていないところなんです…。人が見ていない時の私を、ずっと密着VTRとかで撮って、私が死んだ時にお見せしたいくらい(笑)。逆に言えば、人の前では、なんにもしていないような顔をして、さり気なく、かっこよくやるのが、私のかっこいい生き方の哲学なんです。だから、みんなが見ていないところでは、すごく大変です…(笑)。

Q)きっと、起きてから寝るまでの全ての時間なのだと思いますが…、疲れますね…
そうですね…。でも、それが逆に私の楽しみでもあるんですね。やっぱり、「これだけやってるから、これだけのことができる」というか…、たとえば、失敗しても自分を許せるというか…。いや、60歳になってね、ハードなステージをこなすっていうのは、本当に大変なことなんですよ。とくに私の場合は、踊るとか動くってことが、大きな個性のひとつですから、だから、それが出来なくならないように、日々の積み重ねはやらないといけないと思っています。

(2012年12月、取材・文:西山 寧)


  【 「青林檎」発売記念・インストア イベント 】

1月12日 (土) イオンモール 土浦(茨城県) 13:00〜 / 16:00〜
1月14日 (祝) イオンタウン 木更津朝日(千葉県) 11:00〜 / 14:00〜
1月19日 (土) イオンモール 津田沼(千葉県) 13:00〜 / 16:00〜
1月26日 (土) イオンモール 下妻(茨城県) 13:00〜 / 15:00〜
1月27日 (日) イオンモール 船橋(千葉県) 13:00〜 / 16:00〜

  最新情報、詳しくはコチラ!
シングルCD 「 青林檎 」  

2012年 12月 5日発売
日本クラウン
CRCN-1661
\1,200- (税込)

<CD収録曲>

1. 青林檎
2. 瀬戸の花嫁(ニューバージョン)
3. 青林檎 [オリジナル・カラオケ]
4. 瀬戸の花嫁(ニューバージョン)[オリジナル・カラオケ]
5. 青林檎 [男性用・カラオケ]
6. 瀬戸の花嫁(ニューバージョン)[男性用・カラオケ]
 


芸 名  : 小柳 ルミ子 (こやなぎ るみこ)
生年月日 : 1952年(昭和27年)7月2日生まれ
出身地  : 福岡県 福岡市
血液型  : A型

1970年、宝塚音楽学校を首席で卒業し、NHK連続テレビ小説「虹」で女優としてデビュー。作曲家・平尾昌晃との出逢いにより、1971年4月25日「わたしの城下町」で歌手デビュー。160万枚の大ヒットとなり日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。その後、「お祭りの夜」「瀬戸の花嫁」(日本歌謡大賞受賞)「京のにわか雨」「漁火恋唄」などヒット曲を連発し、70年代を代表するアイドル歌手として活躍。70年代後半から80年代にかけては、持ち前の歌唱力を活かした正統派歌手として「星の砂」「来夢来人(ライムライト)」などがヒット。80年代には、それまでの日本情緒あふれる楽曲から一変し、「お久しぶりね」「今さらジロー」などの曲が大ヒット。NHK紅白歌合戦には、1971年(昭和46年)から1988年(昭和63年)まで18年連続出場。また、女優としても、1982年「誘拐報道」でキネマ旬報賞助演女優賞、日本アカデミー賞最優秀助演女優賞。1983年公開の「白蛇抄」では、迫真の演技が話題とり、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。2010年には芸能生活40周年を迎える。2011年に、日本クラウンに移籍し、シングル「やさしくして」を、2012年にはシングル「アカシヤの大連」を発売。ステージはもちろん、ミュージカルや映画、テレビなどでも活躍中。

小柳ルミ子 オフィシャルブログ
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