いずれ花と散る わたしの生命
帰らぬ時 指おり数えても
涙と笑い 過去と未来
引き裂かれしわたしは 冬の花
あなたは太陽 わたしは月
光と闇が交じり合わぬように
涙にけむる ふたりの未来
美しすぎる過去は蜃気楼
「冬の花」/宮本浩次
宮本が『最後の最後に、晩節において、大きな美しい大輪の花を咲かせるイメージ』で書き下ろしたというこの曲。ただし、歌の冒頭の時点で<わたし>の心を占めているのは自分が“咲く”ことではなく“散る”ことです。おそらくその理由は、決して<交わり合わぬ>であろう<あなた>との<未来>にまだ期待してしまっているからでしょう。
叶わない<ふたりの未来>に到達するための時間を逆算すればするほど、感じるのは<わたしの生命>のタイムリミット。さらに<あなた>にとっての<わたし>の“美しさ”や“価値”の旬が終わってしまうことへの哀しみ。いっそ諦められれば楽なのですが、美化された<蜃気楼>のような<過去>に惑わされ、心身が引き裂かれる想いで、冬枯れの地面=厳しい現実から茎を伸ばし、なんとか生きている状態なのではないでしょうか。
泣かないで わたしの恋心
涙は“お前”にはにあわない
ゆけ ただゆけ いっそわたしがゆくよ
ああ 心が笑いたがっている
「冬の花」/宮本浩次
そしてサビでは、自分をそんな状態に陥らせている<恋心>を“お前”と擬人化し、語りかけるのです。泣かないでいい、とにかく進めと。それでも<あなた>を想って<恋心>の足がすくむのなら、先に<わたしがゆく>から、考えるよりまず行動して生きてみるから、ついてこいと。こうして<わたし>は、本当は<涙にけむる ふたりの未来>など手放して<笑いたがっている>自分の“心”を取り戻そうとしているように思えます。
なんか悲しいね 生きてるって
重ねし約束 あなたとふたり
時のまにまに たゆたいながら
涙を隠した しあわせ芝居
さらば思い出たちよ
ひとり歩く摩天楼
わたしという名の物語は 最終章
「冬の花」/宮本浩次
さて、歌が進むにつれ<わたし>には変化が訪れます。泣き笑いのような<なんか悲しいね 生きてるって>というフレーズに滲んでいるのは、悟り。生きているから<あなたとふたり>で約束を重ねてくることができた。生きているから、たとえそれが叶わぬ約束だとわかっていても<しあわせ芝居>で誤魔化して、期待し続けてしまった。
でも生きているから、もう潮時だと思わずにはいられない。生きているから<わたしという名の物語>の“最終章”のために<思い出たち>と今、決別しなければならない。悲しいけれど、しあわせ芝居の“ふたり”のまま、死ぬことはできなかったのです。そうやってついに<あなた>を手放し、シーンは<ひとり歩く摩天楼>へと移ります。
悲しくって泣いてるわけじゃあない
生きてるから涙が出るの
こごえる季節に鮮やかに咲くよ
ああ わたしが 負けるわけがない
泣かないで わたしの恋心
涙は“お前”にはにあわない
ゆけ ただゆけ いっそわたしがゆくよ
ああ 心が笑いたがっている
ひと知れず されど誇らかに咲け
ああ わたしは 冬の花
「冬の花」/宮本浩次
その末に待つ歌の終盤。これまで綴られていた<涙>とは、種類が違うことがわかりますね。これは、生の実感の涙であり、かつ、最後の最後まで生き尽くそうという覚悟の涙なのです。そして冒頭では“散る”ことしか見えてなかった心は<こごえる季節に鮮やかに咲くよ>と、<ひと知れず されど誇らかに咲け>と、“咲く”意志を掲げているのです。
また<わたしが 負けるわけがない>というフレーズが印象的ですが、人生の負けとは何でしょうか。後悔しながら死んでゆくこと、誰かや何かを恨み憎みながら死んでゆくこと、自分の心を殺しながら死んでゆくこと、ではないでしょうか。<わたし>はそんな負け方をしたくない。だから歌にも<あなた>への負の感情なんて綴られておりません。
晩節、覚悟を決めて<ひとり>の道を選び、誰のためでもなく、自分のために<ひと知れず されど誇らかに>咲く。その“誇り”こそが最も<わたし>という<冬の花>を美しく咲かせるのでしょう。こうして宮本浩次は、歌の最後の最後に<わたし>を生き尽くす“誇り”を高らかに歌い上げ、大きな美しい大輪の花を咲かせているのです。
胸には涙 顔には笑顔で
今日もわたしは出かける
「冬の花」/宮本浩次
語りの声で幕を閉じてゆく歌。笑いたがっている心をつれて、今日の扉を開ける<わたし>の強さ、眩しさ、美しさが伝わってきます。自分の人生に誇りを持って生きたいけれど、なかなかそれができないというあなた。是非、宮本浩次「冬の花」を聴いてみてください。
◆紹介曲「冬の花」
2019年2月12日デジタル配信リリース
作詞:宮本浩次
作曲:宮本浩次