あなたの歌が聴きたい

 2024年4月3日に“澤田 空海理”がメジャー3rdシングル「作曲」をリリースしました。澤田 空海理にとっての作曲とは生活そのもの。嘘や誇張なく、自分に誠実に生活することから音楽は生まれる。さくら味を表現するための言葉選びよりも、春を食べたいという感情を優先する。そんな澤田 空海理が描く、生活と音楽の真ん中を手探りで見つける、日常の延長線上を描いた楽曲となっております。
 
 さて、今日のうたでは“澤田 空海理”による歌詞エッセイをお届け! 綴っていただいたのは、新曲「作曲」にまつわるお話。この曲に設定した“表テーマ”、そして“裏テーマ”とは…。今回は音声版もございます。本人の朗読でもエッセイをお楽しみください。


澤田 空海理の朗読を聞く

楽曲を作る際に“表テーマ”と“裏テーマ”を設定することがあります。もちろん全ての曲がそうであるわけではなく、“表”だけで事足りることもあれば、“裏”の設定をしようがない場合も存在します。“表テーマ”はメロディ、歌詞、編曲といった表面的なソングデザインから大多数の人たちが汲み取れるもの。拙作「作曲」に関して言えば、それは男女の普遍的な掛け合いであり、背伸びしない、手の届く範囲のものから僕たちの歌は生まれるんだよ、といった具合でしょうか。
 
そして、今回は明確な“裏テーマ”が存在します。ここ数年、楽曲制作に携わる人たちの間で度々「AI作曲」というものの是非が話題に上がるのを見かけるようになりました。自身で書いた歌詞にAIが楽曲をつけてくれる画期的な試みで、その精度には様々な意見が飛び交っていたものの概ね「叩き台やアイデア出しとしては十分実用性がある」といった論調に落ち着いたように思えます。
 
これに関しては、私も含めて自衛も兼ねたうえで発言していらっしゃる方も少なくないのではないでしょうか。私自身、細々ながらも商業作曲家としての活動もしておりますので、日進月歩どころか“秒進分歩”で進化を続けるそれは他人事ではありません。何なら作詞ですらAIに任せてしまえる時代です。
 
本人がディレクターないしはプロデューサーとして大まかな舵取りをして、その他実作業を全てAIに出力してもらい、その収益でご飯を食べる、という行為が横行する未来が簡単に予測できます。予測、というより既に現実で起きていることですね。その数はここから爆発的に増えると断言できます。
 
そして、それは創作という行為に今まで興味を持たなかった人、またはその行為に諦めや落胆を実体験で覚えてしまった人ほど、乗りこなし易いものである、というのも容易に想像がつきますし、後者に関しては痛いほど共感もできます。
 
制作の楽しさというのは“結果”ではなく“過程”だと言い切ると綺麗事が過ぎますが、今現在に音楽制作をされている方の大半がはじめたての頃は(もしかして今も)寝食を忘れて制作に没頭したのではないでしょうか。その成果物に一向に結果が伴わなかった場合、その怒りや落胆が自身ではなく外側の世界に向いてしまうのは、正直に言えばとても理解ができてしまいます。数字なんてなんの意味もない、という言葉は超俗的すぎます。意味は確実にあります。確固たる自我と高尚な指針を持ち続けられる人の方が稀有なのです。
 
前置きが長くなりましたが、「作曲」という楽曲は私がどうしたら音楽を長く続けられるかを綴ったものです。「心を作る仕事をしている」は大言壮語も甚だしいですが、せめて夢を見たいのです。音と言葉を自身の選択でする悦びは、10年と少し音楽を続けた今でも健在です。手放せません。日々、「もう音楽を辞めたい」なんて弱音を吐くと同時に必死に言い訳を探しています。「でも音楽以外でご飯を食べられる気がしない」とか「今の歳とスキルで雇ってくれる会社なんてない」とか。そんな迷い事をきっとこれからも発し続けると思います。そんな気はさらさら無いのに。
 
音楽ないしは芸術分野に従事する人に向けて、なんて大層なものではなく、せめて周りの仲間たち、今まさに日の目を見ようと歩を緩めない同士たちに向けて、「僕は続けるよ。だから一緒に居られるうちは一緒に居てね。あなたの歌を聴かせてね」と言いたかったのだと思います。全自動作曲の是非を問うというより、私が音楽制作に魅せられた理由のただの一つもそこには含まれていないということです。
 
<澤田 空海理>



◆紹介曲「作曲
作詞:澤田空海理
作曲:澤田空海理

「作曲」各配信サイト:https://sorisawada.lnk.to/sakkyoku