弱くて脆い、僕はただの人間だから。だからこの曲を書いた。

 2021年5月26日に“Omoinotake”が最新デジタルシングル「彼方」をリリースしました。自らの未来への決意と想いを歌った楽曲となっており、東京国際工科専門職大学・大阪国際工科専門職大学・名古屋国際工科専門職大学のCMソングとして制作された1曲です。「心がおもむく場所を信じたい」という確かな想いを表現したエモーショナルな歌声を、ご堪能あれ…!

 さて、今日のうたコラムではそんな最新作を放った“Omoinotake”の福島智朗/エモアキ(Ba&Cho)による歌詞エッセイをお届け!今作の作詞を手掛けた彼。新曲「彼方」に通ずるお話を綴っていただきました。これまでの人生における様々な選択を振り返りながら、Omoinotakeを組んだときの気持ち、初ライブを行ったときの手ごたえ、そして今の想いを明かしてくださいました。是非、歌詞と併せてこのエッセイを受け取ってください。

~歌詞エッセイ:「彼方」~

人生は選択の連続だ。
何時に起きて何時に寝る、何を食べて何を飲む。

何気ない生活の中でも、本当に些細な選択を
無意識の中で、僕たちは選んで暮らしている。

18歳の時、僕は高専を中退した。
それまでの人生の中で、一番大きな選択だった。

東京でバンドがしたかった。
中学生の頃から、ぼんやりと胸の中にあった、僕の夢。

「売れなかったらどうしよう」
「僕みたいな田舎者が、都会で成功できるはずがない」

頼りない僕の夢は、
まだ起こってもいない未来を勝手に想像して、
あっけなく折れた。
まだ何も始まってすらいなかったのに。

音楽の専門学校を勧めてくれた母ちゃんを、
ありったけの言い訳で説得して、
僕は服飾の専門学校へ進学して上京した。
正しかったのは母ちゃんだったのに。

音楽だけを選択して、
何者にもなれなかった時の自分が怖かった。
これが正しい選択だって自分に言い聞かせて、
初めての一人暮らしが始まった。

学校とバイト先を往復する毎日の中で、
島根から持ってきたベースとアコギは、
部屋の隅で埃をかぶっていた。

たまに思い出したように取り出して、
背面に貼られた昔組んでたバンドのステッカーを
眺めては、寂しくなった。

後戻りはできない、自分で選んだ道だった。
高専を辞めたことも、上京したことも、
服飾の専門に進学したことも、どの選択も。

それなのに、なんでこんなに
寂しくて悔しい気持ちがするのか、わからなかった。
心の内を吐露できるような、友達もいなかった。

眠れない夜には
アコギを取り出して、曲を作るようになった。
家賃5万5千円の壁の薄いアパートだった。
何度も何度も壁ドンと床ドンを繰り返されて、
毛布にくるまって「ごめんなさい」と
呪文のように呟きながら眠りについた。

冬が明けて、
壁ドンがピンポン連打に進化した頃、
数曲ができあがっていた。
忘れたふりをしていた夢のこと、
ちゃんと見つめたいって、思った。

2年目。
レオが浪人を終えて上京してきた。
Omoinotakeを組んだ。

2012年の8月5日。
最低の1年間の中で書いた曲を演奏した初ライブ。
僕らのお客さんは片手で数えるほどしかいなかったけど
あの日の手応えが、ずっと今も僕の中に残ってる。

あの日からもうすぐ9年が経つ。

いつも大切なところで
落ちてしまったオーディションライブ、
何度も何度も繰り返した渋谷の路上ライブ、
どんな一瞬も、今思えば
決して無意味じゃなかったと、思いたい。

あの頃に出会った同世代のバンドは、
みんないつの間にか解散してしまった。
中途半端に一度逃げた僕は、今も音楽を続けている。

今日もバンドを続けるための、
夢を叶えるための選択を、僕たちは続けている。

失ったものや、会えなくなった人、
叶わなかった想いもあるけれど、
少しずつ、少しずつ、守りたいものや、
大切な人たちが増えていく。

「彼方」で書いた歌詞は理想論だ。
毎日、毎分、毎秒。こんなに強い想いを、
僕は保ってはいられない。

きっと明日も明後日も、
きっと漠然とした不安に襲われる。
投げ出してしまう夜もある。
進んだ先に何があるのか、
マイナスのイメージから先に勘繰ってしまう。
弱くて脆い、僕はただの人間だから。

だからこの曲を書いた。
迷った時にいつでも帰ってこれる指針が、欲しかった。

選択を間違えたと泣いた、あの日の僕のことさえも、
愛しい過去と、いつか言い張れるように。

夢はまだ、彼方のように遠くにある。
だけど、この胸のおもむく方向に、
僕らの想い描く未来があると、信じている。

<Omoinotake・福島智朗/エモアキ>

◆紹介曲「彼方
作詞:福島智朗
作曲:藤井怜央