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  • 推薦者:mion 性別:女性 年齢:59歳 
    小学6年生の卒業式で、まさにドンピシャな歌詞に救われました。 小学4年生の頃に両親の離婚で、志木から池袋の小学校に転校してきたとき、母が私に新しいお洒落な洋服を着させ転校初日、挨拶をした日から壮絶な言葉の暴力の虐めに遭いました。 志木にいた頃は、離婚寸前の両親の家庭不和に悩み登校拒否になった私の家に、先生とクラスの皆が、部屋の窓辺にいた私の名前を呼び、「はやく学校にきてね!みんな待っているよ♪」と、まるで青春ドラマの天国のような地から、壮絶な虐めの地獄のような日々でした。 志木にいた頃は、伸び伸びと天真爛漫で、給食のおかわりをしていたので、いつものようにすると「○○のした、おかわりの後は汚なくて食えねぇや!」と皆で笑い、あまりの衝撃に全身が硬直して微動だにも出来ませんでした。 将来、動物のお医者さんになるのが夢だった、女子の人気No.1の男子が「やめろよ!」と言うと、今度は女子総出で虐めに遭いました。 母親が3つも仕事をしていたパワフルなひとだったので、再婚した義父が教育係となり、連絡網で電話をする際に「夜分遅くすみません。と言うんだよ」と言われ、そう伝えると翌日から「夜分遅くすみません」を連呼し皆でからかい嗤うのです。 また違う男子からは、長い髪を後ろの席から「便所の紐」と毎回引っ張られるのが嫌でバッサリと髪を切り、見てみぬ振りしていた国語の女性教師には授業中、黒板に書く私に「似合うよ」と言われ、全身醒めて冷たくなりました。 誰も頼れない。親には心配かけるから言えないと自立。誰も信じられない中、得意科目に専念するように。 国語、音楽、図工、体育。とりわけ運動神経の良かった父親に似て脚が速く、リレーではアンカーに選ばれ、障害物や跳び箱は得意な男子顔負けで大好きでした。 やがて少しずつ自信を取り戻し、意を決して両親に虐められていることを伝えると、率先して虐めていたリーダーの男子宅を義父と一緒に訪ねると、お母さんの後ろに、しがみつきながら小さくなっている男子を私は冷静にみつめていました。 その翌日から、パタリと虐めはなくなり、その代わり、また新しい転校生が来ると次々ターゲットにしていたクラスメイトたち。 当時、荒れていた時代。小学生でも容赦のない虐めが横行していました。 いつの間にか女子の虐めのリーダーが仲間外れにされ、昼休み教室の窓辺から羨ましそうに校庭で皆で遊ぶ姿をみている彼女の横にぽつんと寄り添い『その痛み私はわかるよ』と心のなかで呟いた幼少期の私を思い出します。 リーダーが悪心だと、長いものに巻かれるように異口同音を唱える、政治家のようなヤジ同様、大人になってもいるものです。 『あさひが丘の総理大臣』という当時放送していた最後の言葉は今でも私の指針です。 「純粋さを失わずに大人になりたい。例えそれが険しくとも」 やがて卒業間近の頃、運動会の休憩時間に、ひとりの女子が「どうしてそんなに美形なの」と訊かれ驚きました。すべては嫉妬や妬みからだと気づき、子どもや一部の大人の歪んだ嫉妬や妬みの心を、やがて現実社会の人間関係でも知ることとなります。 純粋で素直な子どももいれば、幼いながらも嫉妬や妬みの心をもつ穢れた魂のものもいる。反面教師として私は絶対にならないと幼心にも誓いました。 お陰様で今では、ひとり立ての精神で強くなり、おかしい不思議だと気づいたことは素直に正し威風堂々と伝えられる大人に成長させてもらえたことに感謝する日々です。苦難に遭う心を研磨すればダイヤにもなれる。 悲しいとき泣かない。嬉しいとき感動したときに泣く!と幼心に誓い心に決め、清々しい涙を流せる心でいられることが、なにより嬉しいです。 小学6年生の卒業式の日。 「○○泣いてるぜ。可愛いな」 「○○みてみろよ。泣いてないぜ?」 囁く男子の声が聴こえましたが知らぬふりしていました。 やがて同じ丙午、同級生の斉藤由貴さんの『卒業』が流れるたびに、あの頃、虐めていたクラスメイトは今、どんな大人になり還暦を迎えるのか。 当時、虐めのリーダーのNo.2だった女子の夢は将来、婦人警官になることだったので、夢を実現したのか。孫をもつ身だとしたら、どんな祖母になっているのかと、曲を聴くたびに懐かしいクラスメイトのことを思い出します。 今、小さな幸せをも感性豊かに感じ自身を褒められる毎日を過ごせることに感謝の日々です。

ライブレポート

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