静岡・浜松発!人と人との“今”をスケッチした4thアルバム!

 2003年に結成、2010年にメジャーデビューを果たした、イシノユウキ・Giz'Mo・MOCKYによる静岡県浜松市在住の3人組ユニット“Jam9”が2016年3月23日、ニューアルバム『SKETCH』をリリース!AAAの「愛してるのに愛せない」やE-girlsの「Follow Me」をはじめ、様々なアーティストにヒット曲を提供してきた彼らが届ける4枚目のアルバムは、時にあたたかく、時にアツく、時に切ない“言葉とメロディー”がつまった作品となっております!

 常に“人と人との繋がり”を歌ってきた彼らが「壮大な油絵ではなく、ただ<今>を切り取りたかった」と語るのがニューアルバム『SKETCH』。そんな新作への想いをはじめ、ユニットの歩んできた道、地元・浜松への揺るぎない愛とプライド、家族という存在、そして「今、一番おもしろい時期に来ている」という“日本の音楽の歌詞”について、メンバーの3人にお伺いしました!
巡会歌-feat.MIKU from CLEEM- 作詞:Jam9 作曲:Jam9
巡り会いのいたずらを重ねて またアナタと巡り会えた奇跡
あれから何度も何度も何度も 夢に見た景色
好きになれたそれだけで良かった ただアナタの幸せを願った
恋人でも無い 友達でも無い 不思議な距離
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INTERVIEW
「自分の街<浜松>にプライドが芽生えた瞬間でした。」

まずは“Jam9”の軌跡をお伺いしたいのですが、ボーカルのイシノユウキさんとGiz'Moさんはご兄弟なんですよね!どのような経緯でDJのMOCKYさんを含め3人で音楽をやっていくことになったのでしょうか。

Giz'Mo:もともとは、弟(イシノユウキ)がギターで僕がベースの4人組バンドをやっていたんです。でも突然、そこからボーカルとドラムが抜けることになってしまって。バンドを抜けるという連絡をもらったのはバイトの休憩室だったんですけど、その電話を切った3秒後くらいにやってきたのが新人バイトのMOCKYでした(笑)。で、「音楽やってるんすか?俺、DJやってるんすよ!」って言ってきて、ああ、こいつしかいないなと。そこで「お前、一緒に音楽やらない?」と声をかけて、まさかの結成です。恋人で言ういわゆる“乗り換え”ってやつが奇跡的なタイミングで出来たんですよね。あれからもう13年です。

ユウキさんとGiz'Moさんは兄弟同士で遠慮が無いからこそ言い争いになったりすることはありませんか?

ユウキ:ありますあります!あーでも原因は些細なことで、曲を作っている最中や音楽の中身的なところでは、あんまり喧嘩にはならないですね。やっぱり聴いてきたものが同じなので意思疎通がしやすいんですよ。「あぁいう感じで作りたい」って言えばすぐ伝わるというか。だから一緒にやっていてやりやすいなと思うことの方が多いですね。

photo_01です。

Jam9の結成は2003年ですが、当時どんな音楽を作っていくことを目指していましたか?

Giz'Mo:そうですねぇ…Jam9の前身のバンドは「SIAM SHADEみたいな音楽をやろう!」って組んだんですけど、Jam9を結成するときはもうある種バンドではなくなっていたんですよね。当初はまだ弦楽器も使っていて、ギターとベースとDJという形でした。でも、演奏の技術的な部分よりも、もっと“メロディー”とか“言葉”を大切にやっていこうという風にシフトしていきましたね。楽器をかっこよく弾きたいという自分のエゴではなくて、この構成の3人だからこそできるものを…っていうのがJam9の始まりだったと思います。

そして2010年6月にはシングル「家族」でメジャーデビューを果たされました。この楽曲タイトルにもなっていますが、Jam9の音楽にとって“家族”という言葉も大切なキーワードになっているような気がします。

Giz'Mo:僕らは“人と人との繋がり”をずっと歌ってきているんですけど、その中でもみんなにとって最も近くて、なおかつ、人生で一番最初の繋がりってものが家族なんじゃないかなって思うんです。だからデビュー曲以降も家族について歌うことがとても多いですね。仲間であったり、地元であったり、そういうものを大切にする想いの根底にあるのが“家族”というキーワードだと思います。

みなさんにとっての家族って、どんな存在のものでしょうか。

ユウキ:兄(Giz'Mo)に関して言うと、親戚が集まる席とかにこいつがいると「なんでいるんだろう」って不自然な感じがするくらい、もう“メンバー”という考えになっています(笑)。一緒に住んでいるわけでもないので、ちょっと不思議な感覚ですね。まぁ今はありがたいことにプロとして音楽をやらせていただいていますけど、全然うだつが上がらずにずっと工場でバイトをしているような時期も25歳くらいまであったんですよ。家族は、その間もずっと自分たちのやっていることを理解して応援してくれていた一番最初のファンだと思いますね。。

Giz'Mo:もともと母が歌手になりたい人だったんですよ。だから結婚して子どもが出来たら、自分がピアノを習いたいがために僕と弟を教室に通わせて、母も通うと(笑)。そこから僕らが音楽に触れる機会ができ、そうやって育てられていったんです。しかも父はビックリするくらい親バカで。高校生の時に僕が曲を作り始めたんですけど、それを聴いて「お前は天才だ!」ってずっと言い続けるんです(笑)。僕だけに言えばいいのに、周りにも広めていて。でもなんかそれに乗せられたと言いますか、嬉しくてやり続けてきたようなところはありますね。こうやって僕らが音楽をやって生きていけるようになったのは、やっぱり父と母のおかげなんだろうなぁって思っています。

ユウキ:俺もこういう席だから言っておきますけど、兄の作る曲は本当になかなか良いんですよ、マジで!一緒にバンドをやる前から思っていました。こいつが変なビジュアル系バンドをやっていた頃も「あの化粧はないけど、曲はかっこいいなぁ」って(笑)。

photo_01です。

Giz'Mo:あ、ありがとうございます(笑)。そういえばMOCKYにもそんなこと言ってもらったことあるわ。Jam9を始めて、2年目くらいかなぁ。周りが就職していって自分が取り残されたときに、音楽をやめようかなって思った時期があったんですよね。そのときポロッと「俺もう続けらんねぇかもしれねぇなぁ」って言ったら、MOCKYが「大丈夫だよー!作ってる曲、超いいんだからぁ!」って。それ聞いたときにも、あぁ俺もうちょっと頑張ろうって思えましたね。


MOCKY:今まで全然J-POPなんて聴いたことなかったんですけどね(笑)。2人からいろいろ教えてもらって、aikoとかAqua Timezとか、色んなアーティストを好きになるまではインストばっかり聴いていましたね。なんかオシャンティーな曲を聴いて格好つけたかったんですよ。でもさすがに十何年も一緒に音楽をやっていると、J-POPってこんな感じだよねっていうのも、メンバーの作る曲のクセみたいなものもわかってきますね。それぞれイントロから歌い方まで結構特徴があるので。

皆さんは今も静岡・浜松在住なんですよね。今回のアルバムでも静岡関連のタイアップがたくさんありますが、そこまで地元への想いが強いのは何故でしょうか。

Giz'Mo:これはもうずっと言ってきたことなんですけど、サッカーチームみたいなものなんですよね。インディーズの頃、東京のライブに出ると、いろんな東京のバンドがずらーっと並んでいる中、僕ら“Jam9”の名前の後ろにだけ(静岡)とか(浜松)って書かれたんですよ。それを見たとき、なんか…お客さんや東京で音楽をやっている奴らに「あいつらやっぱり静岡っぽいよね。ダサいよね。」なんて言われたくないなって。田舎根性というか、自分の街<浜松>にプライドが芽生えた瞬間でした。そういうのを何年も繰り返してきたので、デビューするときにも東京に出てくるという発想がなくて。「今も、これから先も、俺たちは(静岡)だから。」っていう概念がずっとあったんですよね。

では、“東京”はどんな存在ですか?

ユウキ:ホームを背負って戦いに来ているような感覚はありますね。高校野球とか高校サッカーの全国大会と同じだと思います。

Giz'Mo:まぁある意味では“敵”なんですよね。それこそサッカーで言うアウェイなんです。でも、もう一つ思っているのが、東京にはドリーミュージック・っていう会社があって、そこは僕らのホームなんです。だから多分、住んでいる場所とかではなくて、そこに守ってくれる人、支えてくれる人、応援してくれる人がいる場所っていうのがただホームになっていくだけなんだと思います。もちろん静岡はそういう人たちの数がすごく多いから、自然とタイアップもたくさんいただいているということなんですけど、たとえば今回「山口放送開局60周年記念のラジオキャンペーンソング」を書かせてもらった山口県も僕らにとってはホームです。そして、東京もこのビルの4階はホームなんですよね。



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