第161回 ナナヲアカリ
ジャケット画像1 2025年1月18日配信
 今回はナナヲアカリを取り上げる。まずは歌ネットでも検索数が多い「明日の私に幸あれ」から。非常に長いタイトルのアニメ『ギルドの受付嬢ですが、残業は嫌なのでボスをソロ討伐しようと思います』のために書き下ろされたもので、作詞は玉屋2060%だが、途中のポエトリー部分はナナヲの手によるものだ。 

この界隈に疎い僕は、今回初めてナナヲアカリを聞かせてもらったが、とにかく彼女の歌は滑舌が良く、こっちの耳が追いつかないぐらいであった。

しかし、力技で単語を羅列している感じではなく、なるほど、なるほど、と、うなずけるだけの意味性を伴う。じゃなかったら、わざわざ取り上げない。

また、歌詞部分とポエトリー部分のつながりも良く、途中、言葉もサウンドも夢の中を彷徨うように展開するあたりも完成度が非常に高い。

これは労働者の歌である!

 で、この長いアニメのタイトルで印象に残ったのは「残業」という現実的な言葉だったのだが、歌詞にも反映される。もう言っちゃう。これ、はっきり言って社会に出た労働者の歌である!

[オーバーワークは立ち入り禁止]などという表現も出てくる。ここまでくると、少し前によく耳にした「働き方改革」という言葉や、その逆の、先の高市総理の“働いて働いて働いて”という総裁選勝利演説などが頭の中を飛び交ったりする。

今年の1月のリリースだから当たり前といえば当たり前だが、内容的に、今の空気感と呼応するところがある。となると、アニメ界隈だけの話では済まなくなる。新橋のガード下にだって響く。

リズミカルかつホロリとするフレーズも

 響くといえば、まさに時代に響く応援ソングであり励ましソングなのだと思う。ここでこの歌の最大のキラーフレーズを。みんなこの歌を聴いたヒトは、きっと"ここ"にぐっとするのだと思うんだけど…。

[明日の私のために今日も何とか頑張る]
[明日もう頑張らなくていいように頑張る]

なんかこの主人公、歌詞の冒頭こそ[ぱっぱらっぱ]とか威勢よく浮かれて登場するんだけど、もしや誠実な努力家さんじゃないのかな? そう。歌は超リズミカルだけど詞を取り出して朗読すると、なんだかホロリとしてしまうのだった。

さらにちょっと細かいことなのだが、とてもいいなと思ったのが[私には私のマイルール]の部分。もちろん[私のマイルール]は意味重複、いわゆる二重表現だが…。

しかし、これはかつて井上陽水が意識的にやっていたテクニックであり、こうすることで、歌の言葉が風に舞って行かず、そこに画鋲止めされるわけである。

だからゆめゆめ日本語が乱れと~る、などとは言ってはいけない。昨今は言語ソフトが便利に自動校正してくれるが、歌詞というのはその外側にこそ存在するからイマジナティヴで良いのである。

ジャケット画像1 2019年10月2日発売
抑圧された心の行き先は

 さて、次に紹介したいのは少し古い2019年の作品「イエスマンイズデッド」である。こちらはナナヲの作詞。[ここはヒトがよく死ぬ街]というショッキングな出だしだが、地域の凶悪犯罪発生率を伝えるのではない。比喩だ。

ここでいう"死ぬ"が"自分を見失う"ことと同義であるのは、なんとなく雰囲気から伝わってくる。そもそもタイトルの"イエスマン"というのは、ネクタイしめたそういうヒトが居るというより、心の状態だろうと察しはつく。

そして歌全体を眺めてみると、伝えたいのはこういうこと。平凡なようだけど大事なこと。自分らしく生きることの尊さだ。

ハッキリさせておきたいのは、本当に「イエスマンは死んだ」世の中が巡ってきたのか、ということだ。いや、この歌から引用するなら[右倣えをしないと いじめてやるぞ]な風潮は、はびこったままだろう。それでもなんとか、そんな世の中に染まってしまわないよう、苦しいけどモガく姿を描くのがこの歌だ。実は"イエスマン"とは目に見えない透明な存在で、それでいてふと油断すると心に巣くうものであることも、歌を聴くうちにわかってくる。毎日毎日、そういうことだけ考えていたら暮らしていけないが、備忘録的に内ポケットに入れておきたい歌だと言えそう。僕はこの作品の哲学が好きだ、と、通常のこのコラムでやっている改行タイミングを忘れて、ダダダダ~ダと長く書いてしまったのでした。

ジャケット画像1 2020年12月9日発売
ホントと嘘の境目はシームレスなのか?

 最後に取り上げるのは「ホントのことを言うのなら」である。こちらは自分と相手、その心と心の浸透圧みたいなことを描く内容で、いわゆる“ラブ・ソング”として受け取れるものとなっている。

歌詞のテクニック的なことに触れるなら、タイトルである"ホントのことを言う"が効果的に使われている点だろう。その前段で伝えていたことが、そのフレーズにより小気味よく覆される。たとえばこうだ。

ファースト・コーラスなら、[愛されますよう][嘘をついてる]と歌われつつ、本当のことを言うのなら[それ面白いと思えない]と覆す。こうなってくると、さらにさらにその先はどうなのよ…、と、歌に引き込まれることになる。

それにしても主人公は葛藤している。他者嫌悪と自己嫌悪がぐるぐる回転し、どっちが表(おもて)面となり回転掲示板がストップするのか自分にも予想がつかない。

しかし結局は、今、この瞬間の意識がもっとも大切なのだと歌の最後にはそんな想いに辿り着く。いや、これ以外、出口はなかったのだろう。そしてその瞬間というのは、それを言葉にするなら、[君だけがすべてさ]、となる。

もうひとつこの歌のなかで印象的なのは[いい子]というコトバで、最初は好きな人の前で"猫をかぶっている"状況なのかと思ったが、さらにヒネリが効いている。社会のルールに従う意味での"いい"は、ある程度社交的なキャラを演じることで成立するが、こちらもっと内省的というか、うまく言葉に出来ないが、このままで"いい"わけじゃないことだけは切実さと共に伝わってくる。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

もう誰もが言っているが、どこに行っても外国人観光客の方々と遭遇するのである。で、みなさん旅の思い出を携帯に収めている。なかには「ヘェ~、そこ、撮りますか!?」みたいなアングルで撮ってるヒトが居たりする。うちの近くだと、昭和レトロな洋食レストランの看板が目立つ路地があり、撮影風景を何回も見掛けた。もしや、スラムダンクの江ノ電鎌倉高校前踏み切りほどじゃないにしろ、なんかのアニメかなんかに出てきた場所かもしれない。まあ、その確率は低そうだけど、ひょっとして…。