第143回 中森明菜
 中森明菜がデビューしたのは1982年5月1日。42周年となる今年は、再始動の動きが活発だ。僕もYouTubeの投稿は毎回観ているが、新たな活動のスタイルを模索する、絶好の試みに思える。

実は彼女には、過去に二度ほどインタビューしたことがある。お目にかかったのは90年代に入ってからだが、歌に対して、とても意識の高い人だった。

地声と裏声の中間の発声のことを“ミックスボイス”と言ったりするが、彼女は誰から押しつけられたわけじゃなく、自分でたぐり寄せた新たな歌の可能性として、そんな話をしてくれた。ではさっそく歌のほうを。

photo_01です。 1982年7月28日発売
匿名な「少女A」を、実名的に聴いてみる

 最初は出世作といわれる「少女A」である。本人はこの歌詞が手元に届いたとき、乗り気じゃなかったというのは有名な話。作詞はコピーライターから出発し、他にもチェッカーズをはじめとして、多数の名作を書いた売野雅勇だ。

実はこの方もお目にかかったことがあり、この歌のことも伺ったが、最初は“少女A”という言葉への興味から出発し、世界観を拡げていったと仰っていた記憶がある。その意味では“コピーライター的発想”(少なくとも書くキッカケは)といえるだろう。

ところで彼女は、なぜ当初、乗り気じゃなかったのだろうか。おそらく、タイトルからしてインパクトが強すぎたのだろう。

少年法が実名報道を禁じているので“少女A”みたいなマスコミ言葉が誕生したわけだし、それをタイトルにするのは実に斬新な発想だった。でも、この歌の主人公は罪を犯したわけではなく、[特別じゃない どこにもいる]女の子なのだった。敢えて名乗るほどではない普通の子…。なのでここでは、仮に“少女A”、ということなのである。

当時のアイドルは、歌唱だけじゃなく、年四回の新曲発表時の衣装替えも楽しみだったし、みんなが真似をする振り付けも楽しみだった。「少女A」の場合、ハンドマイクを巧みに動かすのが特徴。歌唱する部分より間奏の合いの手(オブリガート)の部分に振り付けのポイントがあるのも新鮮だった。

歌詞を細かく眺めつつ、改めて良いなぁと思うのは、[いわゆる普通の 17歳だわ]のところ。“いわゆる普通の”なんて、17歳の女の子は日常使わない言い回しだ(政治家とか評論家が使いそう)。でもそれを、淡々と歌う彼女が実に良かった。

photo_01です。 1984年11月14日発売
「少女A」をTVで観ていた人が書いた傑作ソング。

 実はこの曲を歌う中森明菜を、とある天才シンガー・ソング・ライターがテレビで観ていた。井上陽水だ。彼は明菜の姿を“リズムに対する体の動きがなんか素人っぽくない”と思いつつ、大いに感心した(角川書店『媚売る作家』からの引用)。

やがて「飾りじゃないのよ涙は」を書き下ろすのだが、書くうえで本人にあれこれリサーチするのではなく、“問題児だとかツッパってるとか言われ”ているという、業界の風評(あくまで風評)に乗っかって(引用は同書)、そこからイメージを拡げていったという。

歌詞を見てみよう。さっきも書いた通り、陽水は明菜のことをよく知ってたわけじゃなく、当て推量のような作詞をしている。なのに歌詞のスタイルは独白調だ。そもそも一行目は、[私は泣いたことがない]と、キッパリ言い切るのである。

そんな導入だからこそ、聴き手の我々は、興味をそそられる。彼女にとって「涙」とは、いったいどういう存在のものなのか。結論としては、サビのフレーズの[飾りじゃないのよ涙は]へ行き着くわけだが…。

でも「涙」という生理現象は、突然理由もなく、こみ上げてきたりもするわけであり、本人自身にとっても不可解な部分がある。なのでこの歌には、[泣いたりするんじゃないかと感じてる]という、実に曖昧な表現も使われている。

陽水は、「涙」の正体を正直に描こうとしたんだろう。正直に描きたかったから、このような曖昧な表現になったのだ。

作詞だけじゃなく、作曲も陽水だ。てことは、曲調に関しては、彼女のリズム感の良さも考慮したのではなかろうか。確かに、実力がないと難しい作品だと思う。そして、曖昧な表現を巧みに使いつつも、聴いた後の感想としてはスカッとする歌でもある。[飾りじゃないのよ]や[好きだと言ってるじゃないの]のあとの、[HA HAN] [HO HO]が聴いている。中森明菜の実力あってこそ、堂々としている。リズム感+声量の豊かさが必要だが、彼女は軽々とモノにしている。

photo_03です。 1984年12月1日発売
ピアニシモの明菜と「難破船」

 「飾りじゃないのよ涙は」における、気持ちよく歌い飛ばす姿も最高だが、真逆ともいえる、囁く歌の良さを感じさせるのが「難破船」だ。この歌には耳をそばだてて聴き入る喜びがある。向こうから歌が“来てくれる”んじゃなく、こっちから歌へ“出向いて”いく醍醐味とでも言いましょうか。

消え入りそうな彼女の声から始まっていくが、実際はコントロールされたプロの喉使いによる表現だ。作詞作曲をした加藤登紀子も、明菜の歌を絶賛していたが、ジャンル的にはシャンソンとかファドとかアメリカだったらトーチ・ソングとか、そのあたりの雰囲気を感じる。

ところで“難破船”とは、恋を失くした主人公の心の状態のことである。いま現在、彼女の心は海の底に沈んでいる。そこはしーんと静まりかえっているけど、恋の残り火は、未だ消えずたゆたうのだ。さらに最後に解決策があるわけじゃなく、ずーっと海の底の状態てなのがこの歌だ。

もちろんサビに該たる部分もあって、[折れた翼]からと[おろかだよと]からのパートだ。でも、ここの部分の彼女の歌い方が巧みであり、水深こそはやや浅めにするものの、けして海面に出たりはしない。シャウトするけど抑制が効いている。

この歌を聴いて、怖ーっ!!と思う人もいるかもしれない。なにしろ[つむじ風に 身をまかせて][あなたを海に沈めたい]とまで言っている。もし相手が元の鞘に収まる気があるなら、主人公の未だ一途な想いを受け止めてほしい。その際、ウェットスーツやタンクは要らない。気持ちひとつで、彼女の居る海の底へ、出掛けていける筈なのだ。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

薔薇を育てるようになってもう20年以上経つと思うが、実はやる気がある年とない年がある。ちなみに昨秋~今年は前者。手を掛けてやったぶん、見事に咲いてくれた。黄色い薔薇は病弱なことが多い、という話もあるが、昨秋購入したのは同色でも強健な品種であり、実際、若干の虫の被害を除けば問題なくポンポン咲いてくれている。