第140回 服部良一と笠置シヅ子の世界
 さて今月は、いつもとは趣向を変え、現在放送中のNHKドラマ『ブギウギ』のなかに鳴り響く、服部良一と笠置シヅ子の世界を取り上げる。

ドラマ人気もあり、ネットの特集記事、書籍、音源など、いま現在、“ブギウギ”にまつわるものは実に活況だ。ちなみに僕は、手元にあった服部良一の書籍『ぼくの音楽人生』(中央文芸社)を読み返したり、3枚組CD『ブギの女王-笠置シヅ子』(日本コロムビア)を聴き直してたのだけど、その結果、書きたいことが山ほど生まれた。とはいえ本コラムでは、いつも通り、歌詞中心に攻めていくことにする。

photo_01です。  1939年12月発売
「ラッパと娘」の謎の言葉。“バドジズ デジドダー”

 この名コンビが誕生したのは、舞台でエネルギッシュに歌う笠置シヅ子に魅了され、服部良一が楽曲提供を申し出たのがキッカケだった。それが作品として結実した初期のものが、ドラマ『ブギウギ』の前半で大きな役目を担った、「ラッパと娘」という作品だ。なおこの作品は詞も曲も服部作である。

ちなみに当時の楽曲は、まず舞台のために書かれ、評判になったものがレコード化された。この歌も、そのなかのひとつであり、彼女のコロムビア・レコードでのデビューとなる。

「ラッパと娘」というタイトルがつけられたのは、歌とトランペットの掛け合いがウリの作品だからだろう。その際、1937年のパラマウント映画『画家とモデル』のなかで、女優のマーサ・レイとトランペットのルイ・アームストロングが共演する姿がヒントとなったそうだ。

ドラマを観ていたヒトなら、[楽しいお方も 悲しいお方も]の歌い出しは、覚えてしまったのではなかろうか。でもその次に[誰でも好きな その歌は]ときて、「誰でも好きな“その歌”って、どんな歌なの?」と、耳がひきつけられる構成になっている。で、そのあとが実にユニークなのである。

“その歌”が具体的に示されるわけじゃなく、[バドジズ デジドダー]と歌われる。つまり、それが答だ。さらに[ダドジバジドドダー]も出てくる。さらにさらに、[ドジダジ デジドダー]へ発展する。でもこれ、いったい何処の言葉なの?

実はジャズのボーカルでいうところの、「スキャット」の手法なのである。起源としては、楽器の口まねしたのが最初であり、上手に取り入れれば、まさに言葉を超えて、多くの感情を伝えられた。

この歌などまさにそう。言葉を超える。「ラッパと娘」は何を伝えたいんだろう、なんて考えるのは無粋なのである。歌の冒頭で、“楽しいお方”にも“悲しいお方”にも呼びかけているように、どんな人達にもこの「スキャット」を通じて、エナジーチャージしちゃうのがこの作品の特色。楽曲全体に波打つジャズのスウィング感と、笠置シズ子の肉体的な歌声こそが、最大のご馳走なのだった。

photo_01です。  1946年11月発売
戦時中なのに“まったり”しちゃう「アイレ可愛や」

 やがて太平洋戦争が激化し、戦時中の文化統制により、舶来品のジャズは敵性音楽とされ、大っぴらに演奏出来なくなる。ドラマ『ブギウギ』でも、そんな世相が詳細に描かれていた。でも服部良一が知恵を絞り、網の目をかいくぐるかのように書かれたのが「アイレ可愛や」である。

作詞は藤浦洸。彼は服部とのコンビで、淡谷のり子の「別れのブルース」も作詞している。ちなみに淡谷の歌も、ドラマのなかで重要な役割を果たした。

「アイレ可愛や」のメロディは、南の島の民謡みたいな雰囲気だ。ならば舶来品であり、軍の統制にあいそうだが、実は当時、日本の軍隊は戦略物資確保のため、インドシナなど南方へ進出しようとしていた。なのでこの曲調は、敵性ではなく、むしろ目指すべき場所、みたいな捉え方もされ、自由に歌えた。服部良一の、実に巧妙な作戦であった。

歌詞をみると、戦時中とは思えぬほど長閑(のどか)な雰囲気だ。どうやら[アイレ]は、[村娘]の名前のようである。興味深いのは、この村娘がカラの鳥籠をぶらさげ、小鳥を追いかけて、[村から村へと 流れゆく]というシチュエーションであることだ。そしてついに、[白い鳥」をみつける。そして最後、[白い小鳥が 歌います]、というのが歌の結末部分。

メルヘンな感じの歌なのだが、たびたび登場する鳥籠は、この時代の抑圧された気分の反映かもしれない。みつけた白い小鳥が[歌います]については、音楽が自由にやれる世の中が、再びくることへの願いを込めたと受け取れるだろう。

photo_01です。  1948年1月発売
ドラマにはこれから登場する名作を最後に

 この原稿を書いている時点で、まだドラマ『ブギウギ』のなかで、あの曲は誕生していない。でも予告の粗筋をみたら、そろそろのようだ。あの曲とは、「東京ブギウギ」 である。

服部がブギウギというリズムに興味を持ったのは、以下の理由からだ。つまり、バッハの通奏低音のような低音の繰り返しの動きが作用し、躍動するリズムを生み出すという、この音楽スタイルの構造的な部分に興味が湧いたのだ。

さっそく彼は行動し、実験する。「荒城の月」をブギにしたり、ビゼーのメロディにブギを加え、「ジャズ・カルメン」として発表したりした(この部分、書籍『ぽくの音楽人生』を参考にさせて頂いてます)。

そして遂に、自らのブギウギの解釈が、大きな花を開かせたのが、「東京ブギウギ」なのである。なお、作詞は鈴木勝だが、レコーディング直前に服部も加わり、さらに弾んだ歌になるよう、手直ししたという。

それも功を奏し、出だしから絶好調だ。曲のタイトルから歌詞が始まる斬新さもいいが、それに続けて[リズムウキウキ 心ズキズキ ワクワク]というのは完璧な言葉の三段跳び。“ズキズキ”“ワクワク”ときたら、もう平常心ではいられない。下向きの心も見事に持ち上がって前を向く。

ひとつ、重要なことに気づく。「東京ブギウギ」というくらいだから、東京の歌だと思いきや、この解釈は正確ではない。なぜならこの歌は、[海を渡り響く]のだし、[ブギを踊れば 世界は一つ]だからである。つまり、このブギウギは東京産まれは東京産まれだけど、世界中に鳴り響き、世界をひとつにするものなのですよ、というわけ。実にスケールがデカい。同じ東京でも、藤山一郎が歌った「東京ラプソディ」とは、だいぶ違うのだった。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

引き続き、けっこう韓ドラにハマっている。あの国は政府もエンタメを後押ししているが、それにしても質が高い。僕はまだ見始めたばかりで、過去の作品も少ししか知らない。だから10年~数年前みたいな旧作も観る。で、とても楽しめたのが『恋のゴールドメダル~僕が恋したキム・ボクジュ』。他愛ないラブコメといえばそうだけど、オジサンの胸も、充分トキメかせてくれたのだった。