第14回 aiko「カブトムシ」
photo_01です。 1999年11月17日発売
 小柄な身体から実にパワフルな音楽を生み出すaikoは、今では若い女性アーティスト達の目標の一人と言えるまでの存在となった。誰にも似てない彼女のソング・ライティング。でも歌のテーマは普遍的な女性の心理を丁寧に描いている。 そんな彼女は人気者になる前、ラジオの仕事もしていて、今とは逆の立場、つまり、誰かにインタビューする側でもあった。で、やってくるゲストのなかには、無愛想でつっけんどんな人もいたらしい。その時、彼女はこう思ったそうだ。もし自分が逆の立場になったなら、こういう態度は止そう、と。
この話は、僕が彼女に取材し始めた後に知ったことだった。でも考えてみたら、思い当たるフシがあった。初対面の時から取材者に対して、とても誠実に応対してくれた。しかも、こちらが求めていることは何なのかを、一生懸命に推測しながら受け答えしてくれる感じだった。それはきっと、いまも書いた通り、経験上、逆の立場の人間の気持ちが分かったからなのだろう。
ステージ上での彼女にも言えることだ。aikoは実に客席のことが“見えている”人なのである。とても印象に残っているのはスタンディングの会場で初めて観た時だった。熱気溢れる場内。なかには気分の悪くなるファンもいる。彼女は言った。「男子! そういう女子が横にいたら、助けてあげてや〜」。こうしたお客さんひとりひとりを大切にする気持ちは、終演まで続いた。

 逆の立場の人間の気持ちが分かる彼女ではあるけれど、自分が書くラヴ・ソングに関してはどうなのだろう。相手の気持ちを分かって書いているのだろうか。ひとつ言えるのは、彼女の代表曲とされるアッパー系の楽曲は、“恋愛まっしぐら”、または“真っ只中”の状態を描いてるものが多いこと。この場合、“相手の気持ち”というより“相手に同調した気持ち”になってると言ったほうが正解かもしれない。
「桜の時」とか「花火」とか、これらは“まっしぐら”な歌だ。まだ恋が完全に成就してはいないにしても、先行きは決して暗くない。この2曲。久しぶりに聴いたが、まさにオリジナリティの塊と言えるだろう。歌詞ももちろんだが、そのメロディ・ライン…。
「閃きが与えし音の道…。それをメロディと呼びたいならそうお呼び!」とか書きたくなるくらい独創的で素晴らしい。凡人には考えつかない。意表を突いているようで、聴き終えた時には大きく深呼吸した後のような心地よさに包まれている楽曲が多い。
最大のセールスを記録した2000年の「ボーイフレンド」も、まさにラヴラヴ状態を描いている。歌詞の中の“あなたとのキス確かめてたら”というフレーズから想像するに、主人公はひとときも彼氏と離れたくない様子である。この歌には“テトラポット”という言葉が出てくる。しかもサビで。使い方間違えると浮いてしまいそうな強い言葉だ。しかし上手にメロディに包めて、違和感なく聞かせている。

「カブトムシは強そうにみえるけど、ただ殻に閉じこもっているだけ…」

 強い言葉といえば、本稿の主役である「カブトムシ」も、実に響きが強く、曲のタイトルにするにはとても勇気がいる。でも今や、aikoのなかでもっとも有名な楽曲となった。文豪カフカじゃあるまいし、なぜ彼女は恋したことでカブトムシに“変身”してしまったのだろうか。以前、このあたりのことを彼女に訊ねたことがあった。その時の発言を再掲載する。「カブトムシは強そうにみえるけど、ただ殻に閉じこもっているだけ…。自分をなにかに例えたとき、それはカブトムシだった」
ここで彼女のいう“なにか”とは、この歌における主人公の心理状態だろう。すぐとなりに恋い焦がれる“少し背のたかいあなた”がいる。自分は耳におでこを寄せる。その“甘い匂い”は、彼氏がつけたオーデコロンか何かだろうか。でも、その匂いに誘われた主人公は、作為的じゃなく、本能でもって、気がつけばおでこを寄せている。この行動を昆虫のカブトムシに例えた彼女は見事である。
ちょっと難しいけど調べてみると、昆虫というのは「食物の匂いや他の個体から分泌されるフェロモンを触角にある嗅覚受容体でもって本能的に感知する」とある。ここで注目はフェロモンという言葉。そう。“少し背のたかいあなた”のフェロモンに対して、主人公は思わず反応していたということなのだ。

“スピード落としたメリーゴーランド 白馬のたてがみが揺れる”

 初恋を既に経験している人なら、ティーンの方でも年配の方でも、恋というのは理性ではコントロール不可能なものであることを知っている。つまり我々もaiko同様に多少なりとも“カブトムシ体験”をしているということなのだ。この歌には他にも、とても秀逸なフレーズがある。“スピード落としたメリーゴーランド 白馬のたてがみが揺れる”だ。実際の白馬は鋳型で作られたものであり、たてがみが揺れたりしない。でも、恋した主人公にとって、白馬がそう“見える”ほどに濃厚な時間だったのだ。
いきなり結論。逆の立場の人間の気持ちが分かる優しいaikoだが、ことこの作品に関しては、溢れるほどに恋い焦がれ、相手の気持を慮(おもんばか)り過ぎるがゆえ、殻に籠もった“カブトムシ”になってしまったのかもしれない。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

1957年東京は目黒、柿ノ木坂に生まれる。音楽評論家。
1980年、『ミュージック・マガジン』を皮切りに音楽について文章を書き始め、音楽評論
家として30年のキャリアを持つ。アーティスト関連書籍に小田和正、槇原敬之、
Mr.Childrenなどのものがあり、また、J-POP歌詞を分析した「歌のなかの言葉の魔法」、
自らピアノに挑戦した『45歳、ピアノ・レッスン!-実践レポート僕の「ワルツ・フォー
・デビイ」が弾けるまで』を発表。