第112回 ZARD「この愛に泳ぎ疲れても」
photo_01です。 1994年2月2日発売
 今年デビュー30周年を迎えたこともあり、ZARDの全楽曲がサブスクで解禁された。その数、バージョン違いなど含め、全部で389曲だそうだ。

これを機にファン以外のヒトも、「負けないで」(1993年1月)や「揺れる想い」(1993年5月)、「マイ フレンド」(1996年1月)のみならず、さまざまな作品を聴いてみるのもいいだろう。

90年代から00年代にかけて、CDセールスがもっとも華やかだったころの代表的なアーティストなので、時代とともに消費されたイメージを持つ人もいるだろうが、スタンダード化している楽曲が多いのもZARDの特徴だ。時を経たいま、再び聴いてみたなら、新たな発見も多いはずだ。

例えば曲調、サウンド面もそうだ。もちろんZARDの魅力は坂井泉水の歌声と彼女の書く歌詞(平易な表現ながら、よく練られている)だが、楽曲スタイルということでは、50~60年代から続くポップの伝統を継承し、多彩なラインナップを作曲家たちが提供している。音楽的には、そんなユニットだった。

僕もさきほどから、ちらちらとサブスクで聴いてたのだが、なかでも「これはイイな」と思ったのが、スタジアム・ロック的な包容力があるサウンドの「新しいドア ~冬のひまわり~」だった。

「負けないで」と1993年という年

 代表曲以外も聴いてみようと言っておきながら、やはりZARDといえば、“表札がわり”にこの曲から。「負けないで」だ。

J-POPの世界で、ひところ全盛を極めたのが“応援ソング”だが、その代表格、というのが、この作品に対する一般的な見方だろう。

でも確かに、印象的なサビの歌詞は[負けないで もう少し 最後まで 走り抜けて][ほらそこに ゴールは近づいてる]だし、この歌を聞くと、まさに“応援”されてる気分になる。

しかも、(いま引用した歌詞でもわかる通り)もっとも応援して欲しいタイミングに応援してくれるのがこの歌なのである。ここを乗り越えさえすれば、という、勝負どころで[負けないで]の声が背中を押す。

さらにその声は、空で繋がっている場所ならどこからでも聞こえてくる。[どんなに 離れてても 心は そばにいるわ]。こんなに心強いこともない。

リリースされたのは1993年だ。偶然にも、商業用インターネットが実用化した年だった。まさに人と人の距離はさらにぐっと縮まっていく潮目の年。なので[心は そばにいるわ]というのは、世相を反映していると読み取れなくもない。優秀なポップ・ソングは、時代を映し時代を先読みする。この歌もそうだった。

敢えて“鹿鳴館時代の歌”として聴いてみる

 今回、改めて歌詞を眺めていて、オヤと思ったのは、唐突とも思える[今宵は私と一緒に踊りましょ]というフレーズだ。この表現、ちょっと古風でもある。

そこで、やや強引かもしれないが、この歌は明治維新の鹿鳴館時代の歌だと勝手に想像してみた(ホントに勝手ですみません)。

となると、「負けないで」とは、旧体制に負けないで、文明開化を成し遂げて欲しいという願いの歌……、としても聴こえるだろう。

作者は決して、そんなこと想っていなかっただろう。あくまでこれは、当コラムならではの嗜みというか遊びというか、そんなわけで聞き(読み)流してほしい。

僕が想うZARDの最高傑作

 後半は、この話題で書く。僕が想う最高傑作は、「この愛に泳ぎ疲れても」(1994年2月)である。

当時、ドラマ『愛と疑惑のサスペンス』のエンディングテーマに起用された。さっき調べたら、さきほど紹介した代表曲3曲につぐ、四番目のセールスを記録したシングルだった(自分としては、ちょっと渋めの選曲の積もりだったが、ぜんぜんそうじゃなかった)。

この歌には、この歌にしかない感覚がある。人を愛してしまった主人公が背負う様々なものを、水の抵抗になぞらえ、描いている点だ。

彼女は水のなかに居るのだ。相手のもとへ泳いで辿り着きたいと願っている。しかしそこには、潮の流れが存在する。ときには行く手を阻みもする。

そもそも、なぜ水の中なのかというと、この恋は、出会いの場面が[週末の雨]のなかだったからであり、その瞬間、[あなたとの運命 感じた]からなのだ。

彼女の「想いの丈」と雨の量が比例し、今の彼女は、体が流されてもおかしくないほどの水嵩の中にいるのだ。

斬新な仕掛けがある。1番のサビが終わり2番のAメロが始まると、明らかに曲がテンポ・アップする。キーが半音あがるほどなので、誰の耳にもハッキリとわかるほどだ。

主人公の脈拍もアップしたように聴こえる。だいたい歌というのは、キーが高くなると緊張感や切迫感もアップする。効果はテキメンだ。

「この愛に泳ぎ疲れても」を聴き始めた当初は、ゆったりしたピアノの伴奏とともに“♪こぉ~のあぁ~いにぃ~”と始まり、「あ、こういう歌なんだな」と想う。しかしその部分(1番の部分)は、長めの“前フリ”みたいな役割だったことに後から気づく。

歌の頭のところをゆったり歌って、そこから通常のテンポになるアイデアの歌はけっこうある。でもこの作品は、贅沢にもワン・コーラスまるまるが“前奏”であるかのような構成なのだった。

主人公は水の中で、そこから泳ぐとしても、形はなんだろうと考えてみると、どうやらクロールのイメージだ。泳ぎ疲れたなら、潮に押し戻されてしまう。

しかし2番だ。このテンポアップにより、ギアが入る。彼女の相手への想いが、より一層、分厚いものになっていくイメージなのだ。

作曲は織田哲郎である。このアイデアは素晴らしいし、もちろん、曲の仕掛けと歌詞とがマッチしたからこそ名曲となったのだ。 
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

先日、実に久しぶりに新幹線に乗った。仕事の移動だった。いつもは混んでいる東京駅がガラガラで、空いてる席をみつけるのがタイヘンな東北新幹線の待合室も席をよっつ占領して寝そべったりできるくらいだった。いざ新幹線が動き出すと、そのスピードを暫く体感してなかったからか、時速が速すぎて怖かった(笑)。