第107回 Awesome City Club「勿忘」
photo_01です。 2021年2月10日発売
 今回は、ロングヒットを続けるAwesome City Clubの「勿忘」である。よく話題になるのがタイトルの読み方だが、“わすれな”である。「勿忘草」なら読めても、そこから“草”が抜けると???になるのは言葉の盲点だろう。しかし“勿忘”自体、こういう使い方はふだんしないから、造語といえば造語なのだ。

ニュー・タイプのデュエット・ソング

 日本のヒット・チャートにおいて、久しぶりに評判となった男女デュエット・ソングである。デュエットといえば、かつては「男性側の気持ち」と「女性側の気持ち」を掛け合いに構成したものが多かった。

彼らは2017年に、「今夜だけ間違いじゃないことにしてあげる」という作品を発表しているが、こちらはアップテンポのノリノリの作風で、男性側、女性側の気持ちを掛け合いに構成した作品といえた。

しかし「勿忘」は、バラードということもあり、ちょっと違うのだ。男性メンバーのatagiが歌う1番、女性メンバーのPORINが歌う2番は、それぞれ独立した心象風景を描いている。歌のなかにこのふたつが並立している。さらに二人が声を合わせるサビの部分では、また別の要素が盛り込まれる(後述する)。

すでにご存じの通り、映画『花束みたいな恋をした』の「インスパイア・ソング」として誕生した楽曲である。「主題歌」との違いは、映画の本編で流れるわけではないことである。

ただ、メンバーは完成した映画を実際にみて、まさに“インスパイアされ”て曲を作った。なので映画を観てから曲を聴いたり、曲を聴いて映画を観たりすると、両者の関連も感じられ、イメージが広がる。

この映画自体は、偶然出会った男女が育んだ恋を、5年間という時間のなかで、出会いすれ違い含め描いたものであり、その時間もひとつのテーマのようだ。なお、そのあたりを解説した記事は既に多数あるので、今回はこれ以上映画には触れないことにする。

atagiのパートについて

 男女のデュエット・ソング「勿忘」は、男性パートからスタートする。イントロの落ち着いた雰囲気であり、歌詞の一行目は[例えば今君が]である。atagiのボーカルは、あたまの“タ”の子音からして感情が乗った見事な歌唱である。

最初に今現在の心境が吐露されている。[君との日々は記憶の中]と伝えられ、[叫ぶ声]はもう[聞こえない]し、そこには簡単には埋められないディスタンスが存在することが示されている。

そこに至る理由とおぼしきものが、次に歌われる。それは[何かを求めれば何かがこぼれ落ちてく]という一行である。きっとこの歌の主人公たちは、人生の岐路に立ち、選択を迫られたのだろう。人生の岐路は、誰にでも訪れる。ここで歌われている感情は、誰もが思い当たるものだろう。

サビでは「願い」を訴える まさに感動のメロディ

 [春の風を待つ]からのサビは、 atagiとPORINが声を合わせて歌う。新鮮なのは、[春の風]を待っているのが[あの花]である点だ。花が風を待つというイメージは、他ではあまり見かけない。

花が春の象徴として登場する作品はたくさんあるが、この歌では花のイメージが終点ではなく起点だ。そしてこれらは、次の行の[君という光]に掛かっている。

ところで[あの花]は、なぜ[春の風]を必要としたのだろう。ここでatagiのパートを思いだしてみよう。すでに[君との日々は記憶の中]だ。でも、もし風が吹いたなら、幸せだった日々を取り戻すことも可能かもしれない。つまり風は、現状打破を願い得るアイテムかもしれないと想像できる。

PORINのパートについて

 [願いが叶うなら]から始まる女性パートは、切々と歌われていく。PORINの歌も冒頭から、濃い情感を伝えるに充分の歌唱である。

ここに登場するのは、[ふたりの世界]という言葉である。恋愛の磁場が強い時は、周囲から自分たちが隔離され、愛が二人を保護するかのような感覚にとらわれる。まさにそれが、[ふたりの世界]の正体だ。

女性パートには[キスから芽吹く日々]という鮮烈な表現も出てくる。男性パートが[絵の具を溶かす]といった淡い表現だったのとは好対照だ。

そのあと、[水色花びらはもう香りを忘れ]というビジュアルが浮かぶフレーズがあるのだが、[水色花びら]の水色は、どう考えても油絵というより水彩画の淡い色調で、男性パートに出てくる[絵の具]が[滲んでく]とも響きあっている。

「花」と「花束」。このふたつを並べた意味は

 「勿忘」の歌詞を眺めてみて、もっとも注目すべきは[愛の花]のあと、ダメ押しするように[花束を]という言葉を並べていることだろう。「花」と「花束」には、別のニュアンスをもたせている。

実はこの歌には「恋」という言葉も「愛」という言葉も登場する。さらに「恋」については[束ねいて]という古風な表現も出てくるわけだが、歌詞全体を眺めて思うに、「恋」をしっかりと束ねてこそ、本当の「愛」になるという、そんな結論なのではと思う。

ひとつ断っておくが、「恋」を束ねるといっても、色々な相手との恋、ではない。その人との、様々な時間経過のなかでの様々な場面での恋しさ…。それを決して解けないようにきつく束ねることが出来たなら、びくともしない「愛」が生まれるのだ。

「勿忘」は、それを果たせなかった二人の物語かもしれない。だから切ない。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

なかなかこうして書いていても、パッと明るい話題がないわけだが、さすがに去年よりは今年というか、エンターテインメントの火を消さないための努力が、実をむすび始めている。僕にできるのは可能な限り現場に赴き、レポートするくらいのものなのだが…。ところで最近、国枝史郎という、1910~20年代に活躍した怪奇・幻想小説の作家を知った。電子書籍で気軽に代表作が読めるのだが、どうやったらこういう発想が生まれるのだろう、という、実に新鮮な作風なのだった。