第1回 松任谷由実「やさしさに包まれたなら」
photo_01です。 1974年4月20日発売
 ユーミンは音楽シーンに革命を起こした人である。そういう人は近寄りがたかったりもする。でも、実際にお会いすると、ウィットに富んだとっても素敵な人なのだ。

彼女は何を武器に革命を起こしたのだろう。それは、実にシンプルなことだ。誰にも負けない“クリエイティヴ魂”。そう。これだ。先日、新しいツアーのゲネプロを観てきた。彼女の“クリエイティヴ魂”はますますステージで全開だった。 革命だなんて大げさな、という人もいるだろうけど、その楽曲はそれまでにない質感のものばかりだった。「海を見ていた午後」なら、最初から最後まで、身体をどこかに投げ出したような浮遊感があり、それでいて不安ではなく己の心象風景と対面するかのような心地良さが聴いたあとに残った。こんなのまったく初めてだった。

ただ、自分より年上のフォーク世代の人達から批判されたこともあった。「音楽を商業化した」という理由だ。もともとフォークというのは社会的な運動を背景に生まれてきた。例えば戦争反対を訴えるなら、そんなメッセージを伝えることこそが歌の目的だった。メッセージ・ソングという言葉が定着したのもその頃だ。それらと較べ、都会的な生活や恋の成り行きを描いたユーミンの歌は商業的とされたのだ。

でも、ユーミンの登場で歌のメッセージが失われたのかというと、決してそんなことはない。もしかしたら、日本の音楽史上、類い希な“メッセージ・ソング”を書いたのがユーミンかもしれないのだ。それが「やさしさに包まれたなら」という歌である。

「古くなりようがない言葉」で構成された歌

 1989年に宮崎駿監督の『魔女の宅急便』のエンディング・テーマとなったことで、リリース当時(1974年)を知らない年齢層に愛される楽曲となったことは、実に嬉しい出来事だった。
そして新たな聴き手は口々に、「そんな昔に発表された歌とは思えない」と言った。その気持ちは分かる。そもそもこの楽曲の歌詞は、「古くなりようがない言葉」で構成されている。でも、深いことをちゃんと深く分かっている人が書く歌は、難しい言葉などなくても、それを伝えることが出来る。

神さま、夢、奇蹟、そして、タイトルにもなっている、やさしさ…。しかも軽快な曲調だから、フンフンフンと聞き流せる。でも、伝わる歌の意味は非常に深い。フンフンフンと聞き流している状態というのは、心がマッサージされ無防備だったりする。そこに飛び込んできた言葉は、余計に胸の奥へ届く。

さも御利益ありそうな曲調と歌詞の楽曲というのは、案外、届いてこないものだ。構えてしまうのだ。構えてしまうと、心も閉じてしまう。この歌を聴き、心に飛び込んできた言葉のなかで、誰もが特別に思うのがこのフレーズだろう。

「目にうつる全てのことは メッセージ」。

シンプルな構成のこの歌の、サビとおぼしきパートで登場する。もちろんそこに至るまでの説明がある。どういう場合において、“目にうつる全て”がメッセージとなり得るかの説明だ。

“神さま”、そして“奇蹟”が意味するものとは

 歌の冒頭部分は、よく話題になる。“夢をかなえる”“小さい頃”の“神さま”の存在とは、いったいどういうものなのか…。
現実的に言えば、自分を保護してくれる両親が“神さま”なのだろう。でも、物心ついたばかりの邪念のない子供の心には、そもそも“神さま”が宿っているのだ、という解釈も可能だ。
となると、次に注目は“奇蹟”というのは“大人になっても”起こるのだというフレーズ。その“奇蹟”を起こす要因は、なんてことない日常の中に隠れていて、この歌の1番の場合、カーテンからの“木洩れ陽”の“やさしさに包まれた”状態だとしている。

この状態の中では、心が安らかになりめっぽう心地よい。あるがままの心で居られた時の幸福感とでもいうか…。「荘子」の言うところの「自ずから然る」ということかもしれない(この言葉を検索すれば、賢者たちの僕などより明快な説明が読めると思います)。

この歌の最大の“メッセージ”とは

 その結果としてもたらされるメッセージという言葉は、様々に受け取れる。例えば「全てのことには意味があるんだ」という解釈。「だから一分一秒も疎かにせずに生きましょう」という“メッセージ”を、この歌から授かることも出来る。精神世界に立ち入った考え方をするならば、この言葉をよりスピリチュアルな意味合いに捉えることも可能だろう。

彼女はこんなすごい歌をどのようにして書いたのだろうか。“書いた”というより、気がつくと“書けていた”というほうが正解なのではなかろうか。曲作りに関する様々な発言のなかで僕が印象に残っているのは、「私の肉体を借りて、だれか別の人が曲書いているような気がする」というもの(自著『ルージュの伝言』より)。

実は以前、この発言は知りつつも、「どうしたらそんな沢山いい曲が書けるのでしょうか?」と訊ねたことがあった。考えてみたら、よくそんな直球過ぎる質問をしたものである。答えはこうだった。

「それはね…。ユーミンだから」
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

1957年東京は目黒、柿ノ木坂に生まれる。音楽評論家。
1980年、『ミュージック・マガジン』を皮切りに音楽について文章を書き始め、音楽評論
家として30年のキャリアを持つ。アーティスト関連書籍に小田和正、槇原敬之、
Mr.Childrenなどのものがあり、また、J-POP歌詞を分析した「歌のなかの言葉の魔法」、
自らピアノに挑戦した『45歳、ピアノ・レッスン!-実践レポート僕の「ワルツ・フォー
・デビイ」が弾けるまで』を発表。