口ずさめない 大好きだった歌
あの日から続く 永い一瞬 暮れる陽を 幾つ見届けたろう?
濡れた靴の先に灯る 白く揺れる 花びらもっと歌詞を見る
―― おふたりは子どもの頃、何かを書くことはお好きでしたか?
小渕 道徳の授業で、「学んだことの感想を書きましょう」とか、「主人公の気持ちを書きましょう」みたいな課題ってあったじゃないですか。あれが僕は好きで、異常に書き上げるのが早かったんですよ。パーッと書き上げてまわりを見たら、みんなまだ頭を抱えている。子ども心ながらに、「なんでみんな書けないんだろう?」と思っていました。
黒田 僕は小渕と正反対のタイプ。夏休みの宿題の毎日日記なんて、「朝起きてテレビ見て飯食って寝た」という文章が1か月分ある(笑)。先生に、「何か違うことはなかった?」と訊かれても、「本当に何もなかった」と言う子どもでした。とにかく国語力みたいなものがありませんでしたね。
―― ご自身で何か表現することなどはいかがでしたか?
黒田 何かを表現したいなんて、思ったことなかったです。過酷な昭和の野球部でしたから、ただ日々をどうやって乗り越えていくかという子ども時代でしたね。
小渕 僕は最初、どちらかというと言葉ではなく絵を描くことが大好きでした。だから、風景などを見て感じたことを、すべて絵で表現していたのだと思います。それが今に通じていて、絵を言葉にするように歌詞を書いているというか。絵が浮かぶような歌詞を書きたい、という思いに繋がっているのかもしれません。
―― 黒田さんはいつ頃、ご自身の歌詞の軸みたいなものができたのでしょうか。
黒田 いやいや、今でもないです。もう10年くらい書いていないですけど、一滴も出てきません。一応、毎日「何か降ってこい!」と挑みには行くんですよ。でも、何も湧いてこない。書こうと思って書けるものではない。もともと僕はそういう人間なんです。
―― でも、黒田さんの作詞されている「Tearless」など好きです。
黒田 ああー、あれもまさに砂漠のなかで5年くらい、「降ってくれー!」って祈り続けて、カラッカラで死にかけているときに、なんとか絞り出した曲なんですよ。それが小渕の場合、書こうと思ったらプルルルルルッ!ってできてしまう。たとえば、今ここにあるICレコーダーでも歌詞を書けるやろ?
小渕 まあ、そうですね。
黒田 僕は、「ICレコーダーがある。だから何やねん」って感じですから(笑)。まずは“何かを見て何かを感じる”というところからやらないとダメなんですよ。人間的に作詞作曲に向いていない。歌詞を書くひとって、すごく小渕みたいなタイプが多くて。多分、作詞作曲できるひとって、全員女兄弟がいます。お姉ちゃんがいる。だから感性が強い。僕は男三人なんですよ。曲づくりには、絶対に家族構成が関係していると思う。
小渕 そんなことないです(笑)。
―― 小渕さんは、たとえばこのICレコーダーを見ると、物語が見えてくる感覚なのでしょうか。
小渕 見えてきます。常に考えているんですよ。たとえば、「大切なひとが大事なことを言ってくれたのに、今はICレコーダーを持っていない。でも、心のなかでは録音ボタンを押せていたかな」とか。実際に手に触れられるものほど、歌詞に取り入れられたときのパワーが強いので、そういう表現ができると嬉しくて。歌を作ってから25年以上が経ちますが、この感覚はもう癖ですね。
―― 欠片さえあれば何でも歌詞にできるというか。
小渕 この世にあるすべてのものは歌になると思っていますね。
黒田 僕からすると、何を言っているのかまったくわからない。もともとこの世のものの意味に重きを置かない人生を歩んできているのに、歌詞を書くときだけそんなスイッチが入らないんですよ。小渕はミュージシャンになる前から、そういう視点を持っていたから、ICレコーダーにも価値を見出せるんだと思うんですよね。
―― コブクロは、今年でデビュー25周年を迎えますが、デビューから今に至るまでのマインドを折れ線グラフにするとどんな形になると思いますか?
小渕 マインドという意味だと、コブクロを組んですぐに1曲目「桜」ができて、ふたりで歌ったときに、ものすごくお客さんが集まってくれたというところが、まずひとつのピークです。結成前まで僕はコピーをしてきて、「なんでも歌えます」という感覚だったのに、0から何かを作って、ふたりでやるということの感動は、まったく別のところにありました。あのときはもう何が起こっているのか理解できませんでしたね。
―― 爆発的なスタートダッシュだったのですね。
小渕 本当にビッグバンが起きた感覚でした。大阪の堺東という商店街の隅っこで、ひとが50~100人集まったら奇跡のような場所だったんですけど、そこで爆発した何かがあったんですよね。でも、そこからが大変で。2曲目は、日本社会を風刺したような歌を作ったんですけど、それを歌ったらお客さんがみんないなくなってしまって。「その歌じゃなくて、さっきの歌をもう1回歌って」と言われて、「桜」をまた歌うみたいな。
そこで、「俺たちには社会系の楽曲はいらないのか」と学習して、次に作ったのが「赤い糸」です。倦怠期を迎えたふたりの物語を想像して、ラブソングを書いてみたら、「桜」が好きなひとたちがまた戻ってきてくれた。だから、「桜」で片方の羽が生まれて、「赤い糸」でもう片方の羽が生まれて、しばらくはその二枚の羽で進んでみようと曲づくりをしていきました。
すると、今度はバラードに固執しすぎて苦しくなって「轍-わだち-」が生まれたり。路上は本当に厳しい道場みたいな感覚で、あそこで戦えたからこそ、どこでも戦えた気がします。音楽は、「聴きたいか」「聴きたくないか」の世界だということを、お客さんに教えてもらったんですよね。その後もマインドが上がったり下がったりしながら、今現在まで進んできましたが、思えばコブクロの軸はすべて初期に形成されているなと思います。
―― 黒田さんはいかがですか?
黒田 小渕に近いかもしれません。大体みんな根拠のない自信からスタートするじゃないですか。「俺たちが日本でいちばんすげえ!」って思っていたもんな。
小渕 思っていました。
黒田 それが、僕はデビュー前に玉置浩二さんのライブを観に行って、稲妻に打たれて帰ってきたんですよ。「プロはこんなにすごいのか」と打ちのめされて。後々、本当の日本一のアーティストだということを知りました。そうやって井の中の蛙が大海を知ったわけですね。そして、大きな海に出た。
野球で言うと、僕は最初インコースしか打てなかったんです。でも、インコースに来た球は全部ホームランにできていた。ところが、アウトコースを打てないことに気づく。それでアウトコースも打てるように頑張ったら、今度はインコースが打てなくなる。で、あっちもこっちも打って、とやっているうちに、ホームランが出なくなる。シングルヒットばっかりになる。「じゃあ、ホームランを打つためにはどうするか」と模索する、みたいなことを25年間ずーっとやっている感覚です。
―― アスリートのようにトライアンドエラーを繰り返しているのですね。
黒田 はい。何かを切り捨てて、また次のステップへ進む。そうしないと前に進めないんです。毎回、「自分が今何をしたいのか」とか、「どこへ向かいたいのか」とか、明確にしています。さっきの野球の話で言うと、「今回はインコースを捨てる。外の球が来たらすべて柵越えのホームランにする」くらいの気持ちでやっているんです。
でも、次のツアー『KOBUKURO LIVE TOUR 2026 霞日和』は少し違うかもしれません。何かを切り捨てるのではなくて、できるだけすべてを含んだものにしたい。もうすぐ50歳になりますし、あらゆる要素を網羅したような歌を歌いたいなと思うんですよね。それこそ大谷翔平みたいに、テレビをつけたら必ずホームランを打っている、みたいな感じに(笑)。



