僕は女性の一人称を表すとき、昔から<あたし>が多い。

―― アルバムタイトルの『ハッピーエンドへの期待は』という言葉は、1曲目のタイトルでもありますね。曲内では最後に<ハッピーエンドへの期待は捨てるなよ?どうか元気でね>と綴られているのですが、アルバムタイトルとしてはまた違う意味を持たせたい意図もあるのでしょうか。

『期待は』で終わっているんですよね。このアルバムは2022年のスタートを担うから、期待を込めてはいるんですけど、どうなるかはわからない。『期待は捨てずにいたい』なのか『期待はさほどしないほうがいい』なのか…。でもそれは続きを書くことによって、アルバムが僕らだけのものになっちゃうから、リスナーに決めてほしいし、勝手に続きをつけてほしいんです。「なんでもないよ、」と同じですね。

俺的には『ハッピーエンドへの期待は、このアルバムにかかっている』とか、前向きな言葉が続くと思います。2021年の動きも、年の始まりには予想できなかったし、目まぐるしい経験のなかで俺もバンドも成長したので、日々どんどん変わっていくものだと思うんです。それは2022年も同じで。できたら2022年の終わりにも「今年もいい年だったな」って笑い合って終わりたい気持ちが強いので、『ハッピーエンド』という言葉は、年始に出すアルバムタイトルとしてもすごくふさわしかったんですよね。だからわりとすぐにこのタイトルは決まりました。

―― 1曲目の「ハッピーエンドへの期待は」は、映画『明け方の若者たち』主題歌として書き下ろされた楽曲です。もともとこのタイトルは映画の内容を受けて出てきた言葉なのですか?

そうです。カツセマサヒコさんの原作が大好きなんですよね。映画の予告にもありますけど、劇中で「ハッピーエンドは望めないよ」ってセリフがあって。あれは結構、話の大事な展開に関わるので詳細は話せないんですけど、その瞬間かなりガツンと来るんですよ。それが自分のなかに引っ掛かったから、『ハッピーエンド』という言葉を使いたかったんですよね。かなり映画に寄り添った歌詞になっているので、エンドロールで流れるのを劇場で聴いた場合、2倍も3倍もぐんと深く入ってくる曲だと思います。

―― はっとりさんは映画内の若者たちを観て、どんなことを感じましたか?

ちょっと懐かしさもありましたね。学生時代に行っていた下北沢だったり、明大前だったりがロケーションだったので、気持ちが引き戻される感覚があって、リアルで恥ずかしくもなりました。あと、劇中でマカロニの「ヤングアダルト」が使われているんですけど、カツセさんはあの曲を聴きながら小説を書いている時間もあったみたいで。だから俺は相当あの若者たちを自分事にしましたね。思い描いていた現実に自分がいないことへの落胆。でも受け入れて進むしかないから「こんなはずじゃないけど、こんなもんだよな」って諦めながら成長している感じ。子どものまま大人になる感じ。とくに北村匠海くん演じる主人公の情けないところは、嫌になっちゃうぐらい自分事に感じられました。それは僕だけじゃないはずですし、みんなどこか自分事として観ることができるような青春群像劇だと思います。

―― 歌は「残酷だったなぁ人生は」というセリフで幕を開けますね。まだ人生は続いていくはずだけど、もうすべてが終わってしまったかのような。

彼にとってはあの恋愛が人生だったから。予告にもある、お風呂で発狂しているシーン。あれはすごい演技だったし、情熱も何もとにかく自分のすべてを彼女に捧げていたんだろうなって。だからこその怒りとか悲しみとか絶望とかが全部入り混じった姿がすごくリアルで。あのシーンを観て「あぁ、このひとの人生がひとつ終わったんだな」と思うしかなかったんですよね。それでこういうフレーズが生まれたんだと思います。

―― また「残酷だったなぁ人生は」というセリフ部分と、他の歌詞には少し時差がある気もします。少し大人になってから過去の自分を見つめているイメージでしょうか。

そうそう、振り返る感じ。いつでも振り返ったときに自分の居場所がわかるんですよね。でもその当時はわからないから、恋にも盲目になるんだろうし。なんか僕の場合、わりとどの曲もちょっと客観的に自分を見ていますね。振り返っている人物が多いというか。今回で言うと「なんでもないよ、」以外はどこか冷静です。唯一「なんでもないよ、」だけはリアルタイムで数秒の感情を描いていますね。

―― 4曲目「好きだった(はずだった)」は『王様のブランチ』テーマ曲として書き下ろされた楽曲ですね。歌詞にも<いつも気変わりの王様は日替りで>と番組を想起させるフレーズが仕込まれていたり。

実はそのフレーズ部分にはまだ仕掛けがあるんですよ。鍵盤にマイクをつけるヴォコーダーっていう機器がありまして。マイクに向かってワーッて言ったら、その音の波形のまま鍵盤の音が出る。つまり喋り声を音源化できるんですね。その音の加工を使って、<いつも気変わりの王様は日替りで>の裏で『王様のブランチ~』って言っているんです。

―― そうなんですか!気づきませんでした。

これは今日初めて言いました(笑)。誰も気づかないし、言わなきゃわからないと思います。是非、あとで聴いてみてください。たしかに聴こえる部分があると思います。そういうことを仕掛けるのも好きですね。

―― テレビを観ているふたりのイメージも、『王様のブランチ』から広がっていったのですか?

はい、朝方まで眠れなかったふたりをイメージしました。で、テレビをつけたら『王様のブランチ』をやっていたという。どんな関係なのかはみなさんのご想像にお任せしますけど、まぁなんとなくこの恋は報われない予感はしていますよね。

―― この主人公は<私>ではなく<あたし>なんですね。

僕は女性の一人称を表すとき、昔から<あたし>が多いんですよね。なんか…<私>だと確固たる意思がありそうじゃないですか。もし<私>の女性が自分の彼女だったら、言い負かされそうな感じ。怒られそうな感じ。でも<あたし>はもっとこう…ちょっとズルい女の子って感じ。これ伝わるかな(笑)。

―― 7曲目「キスをしよう」の場合は<私>ですね。たしかにこの子は意思が強そうです。

photo_01です。

そう!この曲は姉貴に頼まれて、姉貴の結婚式で書いたんですよ。言われるまで気づかなかったけど、この曲が<私>なのは姉貴の気が強いからかもしれない(笑)。絶対王政なので俺は口答えできないんです。姉貴に皿洗えって言われたら洗うし、犬の散歩に行けって言われたら行くし。たしかに「キスをしよう」の<私>は確固たる意思がありそうですよね。で、<僕>のほうがちょっと優柔不断なイメージ。

―― ちなみに<僕>で書くときと<あたし>や<私>で書くとき、どちらがより書きやすいとかはありますか?

書きやすさの違いはないですね。ただ<僕>の場合は自分を投影するけど、<あたし>の場合は自分と切り離すかな。だからディティールを細かく設定するのは後者です。どういう女性なのか、どういう恋をしてきたのか。そこはより考える楽しさがあるかもしれません。あと、自分の曲よりもメンバーの曲に歌詞を当てるときに<あたし>が登場しやすい。よっちゃん(田辺由明)の「好きだった(はずだった)」もそうだし、過去の曲だと大ちゃん(長谷川大喜)の「クールな女」とか。あと「たしかなことは」っていう曲も女性目線をイメージした気がします。やっぱりメンバーの曲のときは自分を入れづらいのもあって、自分と切り離すんでしょうね。

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