― 先ほどハヤシケイさんから「ChatGPT」というワードが出ましたが、生成AIを使って音楽を作ることに対しては、どのように感じていますか?

Heavenz:音楽を作っているひとで、気にしているひとは少ないかもしれません。とくにボカロPは。うまい使い方をする分にはまったく問題ないんじゃないかなと思います。

buzzG:うん、俺も。生成AIって難しい問題ではあるし自分は使わないけれど、個人的には気にしてない。


ねじ式:今、JASRACでもすごく議題に挙がるお話ですね。たとえば、ドイツ版JASRACのGEMAはOpenAIを訴えて勝訴したりしているんですよ。ヨーロッパの方々は、ヨーロッパのテクノとかエレクトロとか、すべて生成AIにデータを食わせて曲ができているわけだから、「元のアーティストに還元するような利用料をアプリのなかに取り込め」と言っているわけです。でも日本人でそういう主張をしているひとは少ない気がします。

ハヤシケイ:生成AIだけで作られた音楽って、今のところは単純におもしろくないですね。YouTubeとかでちょこちょこチェックしますが、感動できた経験はまだないです。やっぱりアーティストが意思を持って作っている曲って、それぞれの聴かせどころを考えているじゃないですか。「ここのメロディーがいい」とか、「このワンフレーズが決めゼリフだ」とか。だから響くんだと思うですけど、AIは完成はしていても、聴かせどころが感じられないという印象です。

ねじ式:スーパーで買うパック寿司と、銀座のお店の寿司の違いみたいなものである気がします。「生成AIで作られた曲を“音楽”として楽しめるひとは、どうぞお好きに」と。でも、自分へのご褒美とか、身も心も満たされたいときには、おいしいものが食べたいじゃないですか。そういうときに、「食べたい」と思ってもらえるものを自分は作り続けたいし、意思を持っていい音楽を作るアーティストが残っていく時代になるのだと思っています。

ハヤシケイ:あと、音楽ってかなり属人性が強いですからね。誰が書いているか、歌っているかが大事。ねじ式さんの例えで言えば、どの大将が握っているかが大事。

ねじ式:ああ、たしかに。だから逆にいうと、“誰でもいい”仕事は、AIに淘汰されてしまうかもしれないね。それこそ、「時間があるときでいいから、ちゃちゃっとBGMを20曲ぐらい作ってほしい」みたいなものは、人間がやる必要がなくなっていく。僕は、「あなたのこの歌詞やメロディー、ギターの音、シンセの音が好きで書いてほしいんだ」という仕事を全力で引き受けたいな。

ハヤシケイ:それに、AIに音楽の仕事を奪われたとしても、僕らが音楽を辞めるかといったら辞めないと思うんですよ。別に他の仕事をしながら、自主制作を続けるだけの話で。

ねじ式:AIを超越して自分の作品を愛してもらう経験が少ない方が怒っていることが多い気がします。愛された経験が多い方は、そんなにAIを恐れてない。たとえば、曲は書けない作詞家が、自分で書いた歌詞をAIに読み込ませて、歌として生成してもらうぐらいの使い方ならいいんじゃないかなって。とはいえ、AI問題については、全世界で日に日に考えが変わっている状況なので、難しいところではあるんですけどね。

ハヤシケイさんのトークテーマ
みなさんの健康法を教えてください

ハヤシケイ:音楽を作ると、病むじゃないですか。心身ともに健康でいられなくなって、やめていくひとも多いし。だから、創作との距離感を含め、クリエイティブに向き合い続けるためのコツを知りたいです。

buzzG:たしかに、たしかに。でも、もはや病むことのスパイラルに耐性があるひと、もしくは耐性ができたひとじゃないと長くは続かないんじゃないかな。そのなかでも抜く瞬間があるとしたら、何だろう?

ねじ式:音楽以外で、“100点を狙わなくていいこと”があるといいのかなと思います。たとえば、ハヤシさんはお子さんが生まれたんですよね。SNSで見ました。

buzzG:あ、それ言おうと思っていたんだよ。おめでとうございます。

ハヤシケイ:ありがとうございます(笑)。

ねじ式:まさに子育てのような思いどおりにならないことが、病まなくなるヒントのひとつかなと。恋愛とかも。ボカロPって、趣味とか筋トレとか、極めすぎてしまう性質があると思うんですよ。その結果、病んでしまったり、やめてしまったりする。だけど、うまく動いてくれない他者が身の回りにいると、凹みながらも、だんだん「まぁそういうものだろう」と60点や70点を受け入れられるようになっていく。僕はそこに気づいてから、あまり病まなくなった気がします。

Heavenz:僕は2回ほど心を病んで音楽をやめているんですよ。2~3年ほど活動から離れる、ということを繰り返している。だから、対処法はわかりません。でも、僕が生きて帰ってくることができた理由はあって。まず、友人が家に来てくれて、引っ張り上げてくれたことが大きい。そして、ずっと「やっぱり音楽をやりたいな」という気持ちが心のなかにあったんです。苦しくてまったく書けないのに、それでも続けたい。その意志を認識したことで、また気力が湧いてきました。

ハヤシケイ:わかります。難しいですよね。苦しくてもやりたいって思ってしまうのが、また苦しかったりするし。よくもわるくも逃れられないというか。

ねじ式:最近、50代~70代くらいの先輩ミュージシャンによく言われることがあるんです。「自分がいい曲を書いていたのって、20~30代の頃なんだよ。あの頃より今のほうが圧倒的にギターは上手いし、いろんな理論を知っているし、プラグインも高いものを持っているのに、当時の曲に勝てないところがある。でも、そういうものだから。昔の自分を超えようとするから病む。ただ続けているだけですごいんだよ」って。僕、それですごく救われたところもあります。

ハヤシケイ:たしかに。それは自分の曲に対しても、他のアーティストの曲に対しても思うな。

ねじ式:昔の自分が敵に見えてしまうと、病みますよね。そうではなくて、「過去の自分は素晴らしかった。でも、続けている今の自分も素晴らしい」と思えるようになってから、楽になったかな。

buzzG:あと俺、私生活を思い返してみると、対戦ゲームで友だちにキレ散らかしたり、朝まで飲んで地べたで寝ていたりするわけですよ。それで音楽までできなくなったら、いよいよどうしようもない人間になってしまう。

ハヤシケイ:「いい曲が書ける」という、ひととして許される最後の砦があるんですね(笑)。まぁ僕も引きこもりだし、社会性ないし、友だちも少ないし、それが許されているのは音楽をやっているからなのかな。というか、そういう人間だから音楽をできているのかもしれないな。今、僕たちが話していることが、読んでいるひとにとってのアドバイスになるかはわからないけれど、音楽をやっているみんな健康でいてほしいなと思う。心も体も。

― ボカロPに向いているひとの性質はあると思いますか?

buzzG:まず、家にいるのが好きなひとじゃないと。

Heavenz:たしかに。引きこもることができるひと。ずっとひとりで作業ができるひと。あと、パソコンは使えるほうがいいです。

ねじ式:本気で作っているボカロPは、やはりみなさんパソコンを使っていますよね。作り上げたい作品の解像度が高いひとだとも思うな。だからこそ、バンドをやっても解散してしまうんですよ。「自分がイメージしているものから少しでも純度が濁ってほしくない」みたいなところがある。作品にとことん向き合って、その純度を高めていくことに真剣になることができるひと、夢中になることができるひとは向いている気がします。

buzzG:自分はわりとネット上では、いろんなジャンルのひとと交流があるほうなんだけれど、そのなかでよくもわるくもボカロPは客観的にまわりが見えている感じもする。自分を俯瞰しているところもあるし。向こう見ずで突っ走るエネルギーも時として大切だとは思いますが。

ねじ式:ああ、ボカロPを続けていけるひとはプロデュース的なところはあるかもね。自分自身が小さな会社みたいなものだから。商品開発して、予算案を出して、プレスを出して、売り上げを管理して。いろんな視点を持っているひとじゃないと、“仕事として続けていく”というのは難しいところはあるのかもしれない。

ハヤシケイ:でもなんとなく、「ボカロPになりたい」という動機のひとはあまり長続きしていない気がします。気づいたら音楽が好きで、気づいたら曲を書きたくなっていて、気づいたら書いていた。そこにボカロという手段があったから使った。結果、ボカロPになった。そういうひとが続いている印象がありますね。

ねじ式:結局、僕らもみんなそうですもんね。最初からボカロPになりたくてなったわけではない。

buzzG:だから、モチベーションが外の世界にありすぎるひとはツラいかもしれない。自分の内なるモチベーションが結局、いちばん強いんじゃないかな。

Heavenz:実際、僕も「音楽が好き」という気持ちで戻ってきましたし。“何かになること”をゴールにしてしまうと、苦しくなると思います。そうではなくて、もっと本質の部分にゴールを定めておくと、気づいたらボカロPになっているだろうし、歌い手になっているかもしれないし。

ねじ式:ボカロPになったその先で、職業作家になる方もいるし、いわゆるシンガーソングライターになる方もいますから。

Heavenz:ボカロPになることは、きっかけのひとつでいいと思います。ずっと続けていってもいいし。それは僕らも同じですね。

― では最後に、クリエイターを目指しているひとたちに、何かひと言メッセージをお願いします。

一同:やめたほうがいい(笑)。

ハヤシケイ:ここで揃ってしまうのイヤだな(笑)。でも、そうなりますよね。これはニュアンスを伝えるのが難しいけれど、おそらくみんなの共通項としてある思いで。

buzzG:まず「やめたほうがいい」って言われても、やるひとがうまくいきますから。

Heavenz:そのぐらいの情熱を持ってほしいみたいな。

ねじ式:なぜやめたほうがいいって思うんだろうね。10年以上やっているのに。

ハヤシケイ:将来への不安。職業としてやることは、あまりオススメしません。音楽で食べているひとって、他の何をやっても必ず成功するタイプか、マジで音楽しかできないタイプか、ほぼ、この2パターンなんですよ。でも、自分がどういうタイプか、冷静に判断できるひとはいないから難しい。

buzzG:本当にそう!

ハヤシケイ:昔だったら、音楽を“仕事にする”か“やめる”かの二択だったかもしれないけれど、今は音楽ではない職に就きながら、自主制作をしていくこともできますから。それもまた幸せな音楽人生だと思います。僕は、音楽が苦しくなってやめてしまうひとがいることがいちばんイヤなんですよ。たとえば、数字を求めて、伸びなくて、つまらなくてやめてしまったり。それなら、とにかく自分がいいと思うものをただ作り続けてほしい。

ねじ式:僕は専門学校とか音大とかで教えているんだけれど、「今、そこで向いているか向いていないかを判断するの早くない?」って思うことが多いんですよ。みんなすぐにやめてしまう。気軽にあるレベルまで達成できる時代だからこそ。でも、かといって「諦めずに頑張ってください」だとメッセージとして本当にしょうもない。だったら、「やめといたほうがいい」が同義なんだよなぁ。

ハヤシケイ:音楽をやるって、楽しいし、いいこともたくさんあるけれど、大変だし、ずっと自分と向き合い続けるってツラいし、「ボカロPになりたい」と思って目指すなら、本当にやめたほうがいい。でも…、「気づいたらなっていた」なら、一緒に頑張ろう。おじさんたちも頑張るから(笑)。

ねじ式:ね。健康に気をつけて頑張るから。

ハヤシケイ:気軽に始めて、気軽に続けてほしい。無理してやめるくらいなら、無理しないでほしい。

Heavenz:無理するなら、やめたほうがいいってことですね。

ハヤシケイ:そうそう。無理して音楽をイヤになるくらいだったら、やめたほうがいい。

buzzG:結果的に「やめたほうがいい」に長めの注釈がつきました(笑)。