日常から宇宙まで…。唯一無二の世界を描く2人のシンガーソングライターによる歌詞座談会!

今回の特集では、“崎山蒼志×mekakushe”によるシンガーソングライター歌詞座談会をお届けします。ミクロとマクロを自然に行き来しながら、唯一無二の世界を描き続けるふたり。お互いの歌詞の魅力や、創作の裏側についてじっくり語っていただきました。歌詞に登場する<君>という存在。“書いている感覚がない”という不思議な創作体験。話していくうちに、次々と見えてくる共通点にも注目です。言葉を愛するふたりだからこそ生まれた、深く心地よい歌詞トークをぜひお楽しみください。
(取材・文 / 井出美緒)
宇宙と寂しさがずっと結びついている

― おふたりがじっくりお話されるのは今回が初めてだとお伺いしました。まず、お互いの楽曲に対してはどのような印象を抱かれていますか?

崎山:僕は一ファンとして、mekakusheさんの音楽をずっと聴いていて、本当に歌詞が素敵だなと思っています。生活詩っぽいところから、広い宇宙まで、両方が混在しているところが好きです。だから、歌詞座談会という機会で、恐れ多くもお声かけさせていただきました。

mekakushe:今、生活詩と宇宙の混在とおっしゃってくださいましたが、私も同じことを崎山さんの歌詞に感じています。たとえば、最新アルバム『good life, good people』にも収録されている「eden」の<トマト食べて アボガドも食べよう ズッキーニも買って 塩胡椒で炒めよう>から始まって、<僕に教えて 柔らかなやすらぎと ここに在った意味を>と繋がるところなど。共鳴している気がして、嬉しいです。

― 歌詞を読んでいても感じましたが、おふたりとも宇宙がお好きですよね。

mekakushe:そうですね。日常を描こうとすると、どうしても生活100%の歌詞って恥ずかしいんです。日記みたいなものを見られている感覚になるというか、それなら日記でいいなと思う。だから、日常を少しカモフラージュするための突飛なモチーフとして、宇宙にまつわるワードを入れているところもある気がします。大きすぎるものに包むと、大丈夫になるみたいな感覚です。崎山さんも宇宙、お好きですか?

崎山:好きです。銀河とかUFOとか悪魔とか。見えないもの、実態がわからないもの自体に惹かれるのだと思います。幼い頃から、祖父が雑誌の『ムー』を読んでいたりしたから、身近な存在でもありました。それに自分を通すこともあれば、メタファー的に使うことも多いですね。mekakusheさんのおっしゃる感覚もわかるような気がします。

mekakushe:たとえば、真夜中にコンビニに行くときの光とか、冷蔵庫の温かさとか、そういうものって結局すべては宇宙に繋がっている気がします。

崎山:わかります。宇宙のどんなところが好きですか?

mekakushe:私、小学生のときに図書館で宇宙図鑑と深海図鑑を見て、驚愕したんですよ。狭い檻のなかみたいな教室で生活していて、まだ社会を知らないときに見てしまったから、「本当?」ってすごく怖くなって。綺麗だけれど、自分がすごくちっぽけな存在に思えたというか。それからは宇宙と寂しさというものがずっと結びついているんですよね。

― 宇宙の他にも、おふたりがお互いに「似ている」と思うところはありますか?

崎山:恐れ多いのですが、急にドキッとする言葉が来るところ、でしょうか。示唆的というか、啓示的というか、そういう言葉が歌詞に入っているように感じられて。あとは、セリフのような具体的なひと言で、物語が見えてきたりするところも。これは質問になってしまうのですが、歌詞を書くときにはそういう言葉が降ってくる感覚ですか?

mekakushe:私も同じことをお伺いしたいと思っていました。私の曲づくりは詞先で、歌詞から書くんです。だから、大きなテーマとして「寂しさを書きたい」という思いはありつつも、書いてみないと何が寂しいのかわかりません。書きながら、「ああ、これが寂しかったんだ」と気づいていく。だから、まさに降ってくるというか、自然に出てくる言葉なんですよね。

崎山:たとえば、「ペーパークラフト」の<きみがひとりじゃないことを わたし知っていたよ>とか、すごく救われました。あと「空中合唱」の<生まれたときのあたたかさとか 覚えてるから寂しくなる>とかも衝撃的で。「うわ!」って刺さるし、同時にふっと心が軽くなるんです。そういうフレーズも、書こうと思って書くわけではないんですね。

mekakushe:はい。書いているときの感覚って、本当になくて。自然に流れるように書いていく。だからあんまり記憶もないんですよ。時間が経って、ライブなどで歌っていくうちに、だんだん自分のものになっていくような気がします。崎山さんはいかがですか?

崎山:無意識のうちに、mekakusheさんに影響を受けているところがあると思います。たとえば、最新アルバム『good life, good people』収録曲の「悪魔」は、まさに意味がわからないまま書いていきました。でも、それがあるとき急に、何かを啓示しているかのように聴こえたというか。未来を掴んでしまっている気がしたというか。同時に、「これは誰の言葉なの?」とも思うし。自分を媒介者のように感じることがありますね。

<君>ってすごく大きな名詞なのかも

mekakushe:もっと言うと、私は<君>が誰なのかわからないまま書いているかもしれません。<僕>は自分のことだと思うけれど、100%そうとも言い切れない。もうひとりの自分が書いているようなときもあります。そして、インタビューなどでよく、「この<君>とは誰ですか?」と訊かれるのですが、わからないんですよね。特定の<君>ではないんです。そういう感じを崎山さんの歌にも感じる気がして。

崎山:たしかに。僕も「悪魔」に<君>という言葉を使っていますが、特定のひとはいないですね。

mekakushe:それって、誰なんですかね…。

崎山:怖いですね(笑)。自分自身なのか、聴いているひとなのか、わからないです。書いているときにそういう意識がないことが多い。視点がぐるぐるしてしまっているというか、思考のカメラがいろんなところにある感覚なんですよね。

mekakushe:崎山さんの「プレデター」という曲も<君の中に 僕はいるの?>、<僕の中に 君はいるよ>と歌っているけれど、なんだか実態がないような気がしてきて、不思議なんです。

崎山:それ、嬉しいです。

mekakushe:特定の誰かに向けて言っていることがわかってしまうと、置いてきぼりになるんですよね。でも、崎山さんの歌はそうじゃない。ひとりごとを聴いている感覚になります。きっと私の歌も同じだと思うんです。ひとりごとを書いている。それが歌になると大勢のひとに聴かれる。その矛盾もおもしろくて。私たち、…と言ったらおこがましいですが、どうして曖昧なものをわざわざ綺麗な言葉にして歌っているのでしょうね。

崎山:不思議ですね。

mekakushe:誰かに聴かせたいはずなのに、誰に歌っているかわからない。

― たとえば、mekakusheさんの新曲「遊泳禁止ノ銀河」は<あなたに聞いてほしかった 昨日みた星座の話>と幕を開けます。その<あなた>もやはり特定の誰かではなく、<あなた>という概念のような感覚なのでしょうか。

mekakushe:そうなんですよね。もしかしたら、誰のことでもなくて、もっと大きいものかもしれません。人生、みたいな。そこに話しかけているような感覚がある。結局、大切なひとって変わるじゃないですか。1年後、5年後、10年後で。

崎山:真理だ…。

mekakushe:今の大事なひとは、もう大事なひとじゃなくなっているかもしれない。<君>や<あなた>を具体的に決めると、やがてそこが変わってしまうことが怖い部分もあります。ある意味、責任を持ちたくないから、大きいものに歌いかけているのかな。私はまだ特定の誰かに書いたことはないけれど、たとえば好きな子に書いていたら、曲を作ったときの気持ちがよぎるものですか?

崎山:僕は具体的な相手がいる曲もありますが、よぎるとしても、本当にもう…ピッ!ってくらい(笑)。一瞬です。限定していない場合や、まったく想定する存在がいない場合が多いですね。

― 想定する存在がいない場合、<君>や<あなた>の像はどのように作っていくのでしょうか。

崎山:“Aさん”という仮定の<君>を立てるというか。たとえば「悪魔」は、自分が大事だと想っているAさんの部屋に入っても、Aさんの向き合っている本当の悩みはわからないんだろうな、という気持ちを書いている曲なんです。そのひとにとっての“害悪なもの=悪魔”と、僕は目を合わせられない。それは普遍的な感覚だから、その時々で歌に大事なひとを当てはめやすいのだと思います。mekakusheさんのおっしゃるように、実は<君>ってすごく大きな名詞なのかもしれませんね。人生、宇宙、みたいな。

mekakushe:あと、私は多分、小学生のときに宇宙図鑑を見たあの気持ちで止まっているんです。怖さとか、生きていくことに対する漠然とした不安とか。それはずっと向き合い続けなければいけないものだから、曲を作っているわけですが、身近な<君>で解消できるとは到底思えなくて。もっと大きいものに歌わないと気持ちが晴れない。だから、自分の生きている証として、歌詞に生活を残しながら、宇宙のような大きなもので包んでいるような気がしますね。

“さびしい”という四文字を一生書き続ける音楽人生でもいいんだ

崎山:mekakusheさんは、影響を受けている存在や作品はありますか? 僕は常に影響されてしまうんです。根本には揺るがない自分がいると思うんですけど、層になっていて、上のほうはもうスクリューのように入れ替わりまくっていて。たとえば、中学生の時に読んだ文学作品とか、たまたま聴いたラッパーの歌詞とか。インプットしようと思って摂取しているわけではなく、入ってきてしまう。mekakusheさんはいかがですか?

mekakushe:直近で見たものが曲になることは少ないかもしれません。やっぱり小中学生のときに見たものの影響を大きく受けていますね。宇宙図鑑もそうですし。『ぼくらの』というアニメも。そのアニメは、世界が明日終わってもおかしくないという終末感があって。観ていた当時の不安にフィットした作品だったので、ずっと自分の源流として流れています。あと、私は矢野顕子さんが大好きで。

崎山:ああ! 僕が好きだと思ったアーティストの方、みなさん矢野顕子さんの名前を挙げられます。

mekakushe:最初は、矢野顕子さんを模して歌詞を書いていたくらい影響を受けています。とくに、岸田繁さんの共作されている「PRESTO」という曲があるのですが、人生で好きな曲1位かもしれません。お墓で流してほしいくらい。日常感とスケールの広さ、どちらも感じられる素晴らしい歌詞なので、多分、崎山さんも好きだと思います。

崎山:絶対に聴きます。矢野顕子さんの歌詞も、日々の営みを歌っていることが多くて、よくごはんが登場しますよね。「ごはんができたよ」とかものすごくかわいい。でも、急に<八百屋のみいちゃんにも お医者さんちのあっこちゃんにも 静かに夜は来る みんなの上に来る>と映像が浮かぶフレーズが来るところが、カッコいいなと思います。

mekakushe:ああ、好きなところがまったく同じです(笑)。矢野さんが以前、「みんなラブソングを歌うけれど、私は生活しか歌いたいことがない。それでもいいよね」という旨のことをお話されていて。私もずっと特定の<君>を表現できないことにコンプレックスがあったんです。でも、私にとっては“さびしい”という四文字を一生書き続ける音楽人生でもいいんだよなって、矢野さんに教えてもらいました。