第45回 スガシカオ「夜空ノムコウ」
photo_01です。 2001年10月3日発売
 このコラムでは既に数多くの名曲を紹介してきたけど、まだまだたくさん、世の中にはいい曲(いい詞)がある。例えば「夜空ノムコウ」。あれ、まだ紹介してませんでしたっけ…、と、そう思ってしまうほどの名曲だ。まずは楽曲タイトルに注目して欲しい。そう。漢字+カタカナの表記である。明治時代だと、漢字+カタカナの文章というのは漢字+平仮名よりおカタい内容のものに使われた。このほうが格調高い、ということでもあった(漢字が輸入された後、なぜ必要に応じて平仮名やカタカナが誕生したかに関しては各自調べて欲しい)。

で、あれからだいぶ時間が経過した1996年に、なぜ分かりやすさこそ信条のはずのポップ・ソングのタイトルに、この表記が採用されたのだろうか? ちなみに作詞者はスガシカオ。あれ? 彼の名前もカタカナではないか! そうか好きなんだ、この表記が…、なんてことをどこかで書いた記憶があるが、もちろんそんなことで読者の方々は納得しないだろう。
“ノムコウ”の効果とはこうだ。流暢には読み辛いから、受取った方は噛みしめて読むのである。ノ、ム、コ、ウ…。するとどうだろう…。すーっと頭の中を通り過ぎず、噛みしめるからこそ様々なイメージが想起される。僕はタイトルからしてこんな“仕掛け”が周到に施されているのがこの作品なのだと思う。

一世一代のキラー・フレーズ、“心のやらかい場所”

 この作品の歌詞のなかで非常に効いているのが“あれから”と“むこう”…、この二つ。まず“あれから”。そうは書かれているが具体的に“いつから”なのかは聞いた人のイマジネーションに委ねられる。さらに同じように“むこう”も同様だ。そこが大気圏のすぐ外あたりか、はたまた何万光年先なのかなんてことは記されてない。これも委ねられる。よく、「良い歌というのは聴いた人間が“思い入れ”ることが出来る余白、スペースを沢山有している”なんて言い方をするが、まさにこの歌がそうだろう。

さらに特色は語尾に“かなぁ”を何度も使っているところだ。歌の主人公が自問自答を繰り返していることの現れで、となるとさきほどの“あれから”や“むこう”という含みのある曖昧な表現の理由もわかってくる。いま、主人公はそれらを探している最中なのだ。ひとつ冒険、というか挑戦と思われるのが歌詞の中で窓を“マド”と表記している点である。こちらもカタカナにすることで具体性を剥ぎ取り、聴き手に想像してもらうための工夫なのではと解釈出来る(歌詞カードを目にしてこそ分かることだけど…)。

そしてそして、あのフレーズである。“ぼくの心のやらかい場所”。“やらかい”は“やわらかい”が短くなったものだろうけど、そもそもこの歌の詞はさきほどの“かなぁ”じゃない日常の話し言葉、しかもかなりくだけた感覚で書かれているわけだ。しかし何気なく、それでいて実に効果的に“やらかい”を使うあたりがスガシカオの才能なのだろう。ここからはあくまで僕の解釈だが、ここで言いたいのは心のどんな場所のことなのだろう? “やらかい”ってことはまだ固まってない。それを“結論に達してない状態のこと”と解釈することは可能だ。だから君がなにか伝えたくて握り返してきた手により、そこが“しめつけ”られることにもなるわけだ。もしこの歌における男女関係のドロドロ度数を若干高めに設定し直すのなら、“やらかい”とは相手に対して“言い訳が出来ない”みたいな、そんなニュアンスにも受取ることは可能だ。

他にもいろいろ気になる言葉が満載だ

 あと“悲しみっていつかは”以下のところは、教科書で誰かが習う中原中也の“汚れちまった…”的でもある。“悲しみ”という感情を客観的に眺めている。このあたりは詞的というより詩的な雰囲気。そして“悲しみ”が出てきた次の行に“タメ息”という、まるでこの感情を具象するようなアイテムを持ってきて、でもそれも少しの残像だけで“すぐ消えた”と正体を掴ませず、これまた聴き手のイマジネーションをつんつん刺激してくれるスガシカオは実にニクイ男なのだ。

もうひとつぜひ書きたいのはこの歌で描かれる「明日」について。“もう明日が待っている”。この言葉とともに歌は終わる。普通、歌のなかにコレが出てきたら希望の象徴であることが多い。でも、どうでしょう…、スパッとそういうイメージでは受け取ることが出来ないのがこの歌の深さなのです。“もう”が効いてる。もちろん「明日」は希望の象徴でもあるんだろうけど、同時に、主人公が答を出す“期限”でもある気がする。普通なら、すったもんだあっても救済としてこの言葉があてがわれ、聴き手は楽にもなるんだけど、「夜空ノムコウ」ではそうならず、そこには「今」という時間が濃厚に横たわり続けている。ま、このあたりは聴いた人がペシミストかオプティミストかによっても響き方がまったく違うことかもしれないけど(ちなみに筆者は若干前者寄り、です)

“世界にひとつだけ…”と“夜空”の共通点

 最後にこの歌からちょっと広げてSMAPのことを。彼らの歌った「夜空ノムコウ」は、歌詞の設定としては必ずしもグループで歌うのに適したものではなかった。恋人とふたり、公園ちかくで身を潜めたりもするわけだし…。ただ、やや逆説的にはなるけど、それをSMAPが歌ったことで、よりこの歌の「個」を描く部分がリアルに伝わることにもなったのだ。

なぜかというと、SMAPというのはグループでありつつそこに埋没しない強靭なひとつひとつの「個」の集団だからである(熱心なファンじゃなくてもメンバー全員の名前をフルネームで言うことが出来るグループというのは彼らだけだ)。さらにスガシカオは、この歌のテーマを彼ら自身というか、なかなか大っぴらに恋愛も出来ないスター達の日常、ということで描いているフシがある。もちろんこういうことは、断言とかしちゃうと逆に興ざめだ。フシがある、くらいがむしろいい。
ここで想い出すのが槇原敬之が提供した「世界に一つだけの花」であり、あの歌もよく考えてみたら、紛れもなくSMAPそのものを歌っていると言える……いや……、フシがある。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

文章を書くことと歌が大好きだったこともあって、音楽を紹介する職業に就いて早ウン十年。
でも新しい才能と巡り会えば、己の感性は日々、更新され続けるのです。
レミオロメンのほうはちょっとお休みだけど、その分、ソロで活動中の藤巻亮太くんに会ってきました。
新しいアルバム『日々是好日』は、紛れもない傑作でありまして、そのお話を訊いてきたのでした。
ソングライタ−としてはもちろんのこと、ボ−カリストとしての魅力もより意識出来るのがソロ。
僕は彼の声って“オ−ケストラみたい”だっていつも思うのです。だって、色んな楽器が鳴ってるみたいな、実に味わい深い声なので…。