第8回 今井美樹「PIECE OF MY WISH」
photo_01です。 1991年11月7日発売
 そもそも今井美樹という歌手は稀有な存在だ。クラシックのオーケストラと共演してもジャズ・クラブで歌っても揺らぐことない歌唱力。それでいて、「どう、私、上手いでしょ?」という押しつけがない、実に可憐な歌声の持ち主なのである。ジャズの世界でボーカリストを“ホーン・ライク”と称えたりするが、それはつまりサックスやトランペットのように歌う、ということなのだが、今井美樹はJ-POP版のそれであるとも言えるだろう。


 そんな彼女の1曲となると、正直、「PRIDE」と迷うところだが、今回は「PIECE OF MY WISH」を。本作は、今井本人が主演したドラマ『あしたがあるから』(1991年)の主題歌だ。脚本は内舘牧子。女性と仕事、さらに家族を巡る運命的なストーリーも絡み合い、人気を博した。
本人主演のドラマ。さらに歌も本人、となると、その時の印象が強く残りそうだけど、この歌は主題歌という役目を終えたあと、さらに普遍的な輝きが増したと言える。今回は、そのことについて書く。
作詞は岩里祐穂である。数々のヒット作品があるが、最近では「ももいろクローバーZ」などへも詞を提供している。作曲はクラシックとポップスを融合したKARYOBINを率いて活動したことでも知られた上田知華。この二人に楽曲提供を受けることが多かった時期の作品であり、他にも「瞳がほほえむから」、「あこがれのままで」、「Blue Moon Blue」などの人気曲が生まれている。ちなみにこのコンビには「友だち」という、さり気ないけど味わい深い楽曲もある。

“希望のかけら”=「PIECE OF MY WISH」

 そもそも「PIECE OF MY WISH」というのは、歌詞に出てくる“希望のかけら”という言葉に由来する。このタイトルのつけかたが秀逸だ。聴き終わらないと、何故そう名付けられたかが判明しない。
ちなみに曲タイトルの付け方にもいろいろある。どんな意味にも受け取れる言葉を敢て選ぶ場合もあるし、サビの印象的な言葉をそのまま持ってくることもある(おそらくこの付け方がもっとも多い)。一方、この作品は“暗示型”のタイトルとでも言うべきものだ。生きていれば思い通りにいかないこともあるけれど、それでも“希望のかけら”を集め、“大きな喜び”へ変えていこうというのがこの歌であり、でも“希望のかけら”とそのまま命名するのではなく、英語にすることでワンクッションを設け、受け手に意味を噛み砕く手間を敢て引き受けてもらっている。

 さっそく聴いてみることにしよう。静かに寄せては返すような、印象的なイントロで始まる。そして冒頭の四行にはポジティヴな言葉が並ぶ。ただ歌の主人公が、困難に遭遇していることが分かる。
このまま勇気を与える歌として進んでいくと思いきや、“どうしてもっと”“自分に素直に生きれないの”という「問い掛け」が待ち受けている。
ここはサビの部分なので主人公の心の叫び、といった印象でもある。岩里の詞は、ポジティヴに押していくかと思うと、ふと感情をネガティヴへと戻す。そして聴き手は、自分の胸に手をあてることになる。そして、「自分も素直になれなかったこと、あるあるある」と共感する。誰の心にもある感情を描くのがポップ・ソングの使命でもある。

困難にぶちあたった時のためにも、常備しておきたい歌

 2番になって、曲のタイトルとなった“希望のかけら”という表現が出てくる。そして、歌の主人公は孤独というわけではなく、“愛する人や友達”は、悩み苦しむ主人公のことを“勇気づけて”くれていることが分かる。「貴方は決して一人じゃない」…。人間、困難に立ち向かうと、ついつい周りが見えなくなる。この歌で伝えたいもうひとつのことは、ここの部分だろう。
男と女はここが違う、みたいなことを軽はずみに書くのは危険だが、もし男性がこういうテーマで書いたとしたら、“愛する人や友達”のくだりはカットしたかもしれない。もっと己を孤軍奮闘させ、壁をぶち破るストーリーにしたのかもしれない。
ただ、「PIECE OF MY WISH」は周りの励ましの声も描きつつ、でも“最後の答えは一人で見つける”ことを強く推奨する。ここがこの歌の肝心なところだ。

 いま、自分が抱えている困難とどう向き合うかということだけでなく、歌は未来へ向けて力強く終わる。そう。エンディングの“それでもいつかすべてが”以降だ。“信じていて あなたのことを”に、さらにダメ押しで“信じていて欲しい あなたのことを”の部分だ。この“欲しい”が効いている。最後の最後の心の粘りがいい。今後再び困難にぶちあたった時のためにも、常備しておきたい歌なのである。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

1957年東京は目黒、柿ノ木坂に生まれる。音楽評論家。
1980年、『ミュージック・マガジン』を皮切りに音楽について文章を書き始め、音楽評論
家として30年のキャリアを持つ。アーティスト関連書籍に小田和正、槇原敬之、
Mr.Childrenなどのものがあり、また、J-POP歌詞を分析した「歌のなかの言葉の魔法」、
自らピアノに挑戦した『45歳、ピアノ・レッスン!-実践レポート僕の「ワルツ・フォー
・デビイ」が弾けるまで』を発表。