このコーナーでは、当時のランキングやエピソードと共に、「ザ・ベストテン」に出演した歌手のヒット曲を紹介していきます。第38回は1984年4月5日のランキングを紹介。
今月のスポットライトは、恵まれた体格とルックスで注目を集め、やがてロックミュージシャンとして才能を発揮するとともに、俳優としても活躍を続ける吉川晃司のデビュー作
「モニカ」を取り上げます。
スーツのままプールへバック転ダイブ! 驚異の身体能力
spot_photoです。

 広島県出身の吉川晃司。中学時代から水球の選手として活躍、高校生になるとジュニアの日本代表チームに選ばれてイタリアやエジプトまで遠征。五輪代表の候補選手にもなったほどの「本物」だった。同時に音楽への関心も高く、ボーカルとしてバンド活動を行い、広島市のライブハウスで歌っていた。

 デビューのきっかけとなったのは、吉川のファンを名乗る女性から渡辺プロに届いた手紙と写真。「広島にすごいヤツがいる。見に来ないときっと後悔する」というものだった。水球選手としての経歴や恵まれた体格に興味を持った渡辺プロのスタッフが、別の仕事のついでに広島へ立ち寄り、ライブハウスで歌う彼を見たところ、手紙の内容が決して嘘ではなかったと知り、スカウトに至る。しかし実は、その手紙を書いたのは吉川晃司本人だった。スカウトの目が届かないことにしびれを切らし、何とかして自分を売り込むための作戦だったのである。吉川は高校を中退して上京する。

 新たなスターを探していた渡辺プロは、巨額の費用をかけて吉川を売り出すことに。彼をいきなり主演に据え、映画「すかんぴんウォーク」を製作。同時にその主題歌「モニカ」で歌手デビューさせる。吉川晃司18歳、まさに大型新人であった。

 ザ・ベストテンに初出演したのは、1984年3月22日のスポットライト。身長180cm超、水球で鍛え抜いた胸囲100cm超の逆三角形の体はピンクのスーツが似合った。「背が大きいですねえ」。久米宏と黒柳徹子に驚かれながら、水球の選手としての経歴を紹介されつつ、体型から「ハンガー」「男子トイレのマーク」とあだ名で呼ばれるというエピソードを紹介。吉川は派手なアクションを見せつつ「モニカ」を熱唱。さらに歌い終わりにはバック転(片手で着地!)まで見せた。

 4月5日、「モニカ」は第7位で初ランクイン。母校である広島の修道高校から中継で出演した。プールに特設されたステージで歌い終えると、スーツ姿のまま後方宙返りし、数メートル下のプールへザブン!

 さらに10月25日、番組350回記念で岡山から公開生放送した「ザ・ベストテンin岡山」では、県営プールで数千人の観客がスタンドから見守る中、吉川は「ラ・ヴィアンローズ」を歌唱。彼の立つ小さなステージが上昇し、歌い終えると、青いスーツのまま、再び後方宙返りを決めてプールへ飛び込んだ。

 「キャンドルの瞳」がランクインした時には、TBSのスタジオ天井から吊るされたロープに足を掛け、勢いを付けてターザンのように宙を舞った。ソファー席付近の頭上まで飛んでくるため、キャーキャー叫ぶ他の出演者、逃げ惑って床を転がる黒柳徹子。吉川はロープから大ジャンプして飛び降り、見事着地して歌い続けた。そんな一歩間違えば大ケガしそうな派手なアクションを決めてみせたのも、彼の身体能力の高さと度胸ならではである。

 アイドルのように売り出されるも、当初からアーティスト志向が強かった吉川は、多くのロックミュージシャンと交流を深め、ライブで競演することも増えていった。89年には布袋寅泰とCOMPLEXを結成。ビッグネーム同士が組んだユニットは大きな話題となり、パワフルなサウンドの「BE MY BABY」などが大ヒット。しかし人気絶頂の中、翌年に東京ドーム公演を最後に解散してしまう。

 30代頃から俳優としてさまざまな映画・ドラマに本格的に出演するように。2009年のNHKの大河ドラマ「天地人」では織田信長役を演じた。「下町ロケット」(TBS系・2015年)で大企業の部長役を演じたのも記憶に新しい。それでも活動の主軸は音楽に置き、精力的にアルバムを制作し、ライブツアーを行っている。デビュー当時から、歌う時に長い足を蹴り上げるような動きを取り入れていたが、それが進化し、ステージ上で高い所に取り付けたシンバルを蹴って鳴らす「シンバル・キック」はライブの名物となっている。

 東日本大震災の発生直後には、人知れず石巻市や女川町を訪れボランティア活動を行っていたという。その後、2011年7月には被災地支援のためにあえてCOMPLEXを限定復活させ、東京ドームでライブを行い、その収益から義援金を送った。ただのカッコよさだけではない、その背中からにじみ出る信念や男気が、男女問わず多くのファンを惹きつけてやまないのだ。

ザ・ベストテン☆エピソード
 中国地方以外ではあまり馴染みがない「吉川」という姓。吉川晃司のデビューで、「きっかわ」と読むことを知った人も多いと思われます。吉川晃司は、ザ・ベストテンの番組内で、戦国大名・毛利元就の家系図を示されつつ、元就の次男・元春(後に吉川家の養子となり、吉川元春に)の子孫だと紹介されたことも。ただし、直接の子孫であるのかどうか、確かなことは分からないようです。
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