このコーナーでは、当時のランキングやエピソードと共に、「ザ・ベストテン」に出演した歌手のヒット曲を紹介していきます。第17回は1988年12月1日のランキングを紹介。
今月のスポットライトは、長渕剛さんの男らしい魅力にあふれ、俳優として主演した同名ドラマの主題歌となった「とんぼ」を取り上げます。
東京への憧れと挫折を歌った名曲 主演ドラマと共に大ヒット
spot_photoです。

 1978年にデビューした長渕剛。深夜ラジオ「オールナイトニッポン」のパーソナリティーを務めたことで人気が全国区に広がる中、80年に最初のヒット曲「順子」が生まれ、「GOOD-BYE青春」などをヒットさせていく。当初は澄んだ声で歌うフォークシンガーだったが、やがて声質が太くしゃがれたものに変化すると共に、サウンドも重厚なロック寄りのスタイルに。歌詞も男性らしさを前面に出したメッセージ性の強いものへと変遷し、シンガー・ソングライターとしてカリスマ的な人気を集めていった。併行してテレビドラマ「親子ゲーム」「親子ジグザグ」などで主演を務め、俳優としての活動にも力を入れていく。

 1988年。4月に東京ドームでBOOWYが解散コンサートを、さらに美空ひばりが伝説の「不死鳥コンサート」を行ったこの年、10月からTBS系でスタートした主演ドラマが『とんぼ』である。長渕剛が演じたのは、真っすぐに生きるヤクザ・小川英二。ハードな暴力描写も多く、その迫真の演技のせいで長渕に対して怖い印象を持った人も少なくなかったが、礼儀や思いやりを欠いた人々を相手に、ひるむことなく本音で物を言う英二の姿に、視聴者は胸のすく思いだった。最終回、まだ都庁の建っていない西新宿高層ビル街の路上で刺された英二が、おびただしい量の血を流しながらも鬼の形相で立ち上がり、歩き続ける衝撃のラストシーンは有名だ。

 「とんぼ」は、そのドラマの主題歌。強く憧れて東京にやって来た若者が、夢と現実の間で挫折し、都会の冷たい風に耐えながら、それでもなお幸せをつかもうとする思いが描かれている。故郷・鹿児島を離れ歌手を目指した長渕自身の経験が色濃く反映された歌詞に、多くの人が共感し、ドラマと共に大ヒットした。

 「ザ・ベストテン」では11月24日に第1位を記録。翌週の12月1日にも1位となり、長渕がスタジオに登場した。当時32歳。それまでに「順子」「GOOD-BYE青春」「乾杯」などで何度か出演しているが、彼がミラーゲートから出て来ると、場の空気が一変。ソファー席に座っていた光GENJIたちも緊張気味に。ドラマ『とんぼ』は前週に最終回を迎えており、司会の松下賢次アナから感想を求められた長渕は「最近いろんなテレビドラマがあるが、大衆をなめたようなものも多く、それでいいんだろうか、もっと作り手側が真剣であるべきなんじゃないか、という憤りがありまして。今回の『とんぼ』は、正攻法で一切の妥協をせずにできたという確信を持っています」と語った。黒いジャンパーを着て少しヒゲの伸びた風貌は、まさにドラマの中の英二そのもの。多数の白いライトが照らすのみのシンプルなステージで、黒いギターを持ち、貫禄たっぷりに歌った。豪華なセットがこの番組の名物だが、長渕はスタッフに対して「余計なセットはいらない」と明言していたという。「とんぼ」は、年をまたいで1月12日まで7週連続で第1位をキープし、15週ランクインした。

 1988年は8cmCDシングルが発売開始された年であり、まさにレコードからCDへの過渡期。レコード店には各シングル曲のドーナツ盤と8cmCDが同居していた。そんな中、「とんぼ」は89年にかけてロングセラーとなり、ミリオンセラー(売上100万枚超)を達成。これは83年の細川たかし「矢切の渡し」以来のことであった。「ザ・ベストテン」は89年に終了するが、皮肉にもミリオンセラー作品は90年に3作、91年に8作、92年に18作…と増えていき、TVCMやドラマとのタイアップでCDが売れまくる時代に突入していく。記録を振り返れば、その端緒がこの「とんぼ」だったと言えるかもしれない。

ザ・ベストテン☆エピソード
 この番組を象徴する装置の一つである、順位を発表するランキングボード。
パタパタと回転する音を拾うため、ボードにはわざわざ専用のマイクが設置されていました。得点表示も、当初は4ケタだけだったものが6ケタになり、順位の数字の左側で点滅するランプが丸型から星型になるなど、同じように見えて実は進化しています。ただし週間の得点は最高9999点であり、十万の位、一万の位が使われたのは主に年間ベストテンの発表時のみでした。
ザ・ベストテン「今月のスポットライト」 Back Number