このコーナーでは、当時のランキングやエピソードと共に、「ザ・ベストテン」に出演した歌手のヒット曲を紹介していきます。第11回は1978年9月21日のランキングを紹介。今月のスポットライトは、30年以上大人気を誇る国民的ロックバンド、サザンオールスターズのデビュー曲「勝手にシンドバッド」を取り上げます。
衝撃的なライブハウスからの中継… 伝説はこの番組から始まった
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 青山学院大学に在学中だった桑田佳祐が音楽サークルでバンド活動をする中、幾度ものメンバーチェンジを経て結成されたサザンオールスターズ。「ヤマハEastWest '77」出場でチャンスをつかみ、1978年6月25日にデビュー。そのデビュー曲が「勝手にシンドバッド」である。タイトルは、当時大ヒットした沢田研二の「勝手にしやがれ」と、ピンクレディーの「渚のシンドバッド」をくっつけただけのもの。発売から2カ月ほどはセールスに目立った動きもなかった。

 彼らが世に注目されるきっかけになったのは、まさにこの番組「ザ・ベストテン」であった。1978年8月31日、サザンオールスターズはスポットライトのコーナーに、ライブハウス・新宿ロフトからの中継という形で初出演。観客がぎっしり詰まった狭い空間に、メンバーはジョギング用の短パン姿。桑田は上半身裸でギターを肩に掛けていた。当時22歳。司会の黒柳徹子が「あなたたちはアーティストになりたいのですか?」と呼びかけると、桑田は「いいえ、目立ちたがり屋の芸人でーす」と叫んでから「♪ラーラーラーラララ ラーラーラー」と歌い出し、エネルギッシュな演奏にのせ、汗を浮かべながら「勝手にシンドバッド」を熱唱した。会場はファンの熱気に包まれて盛り上がっていた。…ように見えたが、実は事務所のスタッフや知人、当時人気だった別の男性歌手のファンクラブの協力を得て動員されたものだったという。

 同曲は3週間後の9月21日、9位に初ランクイン。計10週ランクインし最高4位を記録した。桑田は毎回奇抜な衣装で登場。読売ジャイアンツのユニフォーム、迷彩服、タキシード…。股引きに腹巻きというスタイルの時もあった。そしてどこまで本気なのか分からないユニークな言動。そんな桑田を黒柳徹子はハラハラしながら見ていたようで、もしテレビで彼が何かをしでかして騒ぎを起こした時には「私が母です。息子が不始末を致しまして」と謝ろうと本気で決めていたという。それを知った桑田は黒柳に信頼を寄せ「息子」「お母さん」と呼び合う関係に。

 「勝手にシンドバッド」のイントロは、一度聴いたら忘れられないインパクトがある。またアップテンポのサンバのリズムに、まくし立てるような歌詞の載せ方はそれまでの歌謡曲とは全く違うものだった。まるで英語を歌っているような独特な桑田の歌い方も相まって、歌詞を聞き取るのは困難。彼らが演奏する時だけ、画面には歌詞テロップが表示された。 ある時は、ライブで歌う桑田の歌詞をスタッフが聞き取れず、今どこを歌っているのか、歌詞テロップを切り替えるタイミングが分からなくなってしまったという。

 彼らが勢いだけのコミックバンドで、一発屋で終わると思っていた人も少なくなかったかもしれない。そんなデビューの翌年、後に(83年)ドラマ「ふぞろいの林檎たち」の主題歌にも起用された「いとしのエリー」でサザンは初の1位を獲得。同曲は1979年の年間ランキングで2位になった。歌謡史に残るこの名バラードで、誰もが桑田佳祐の実力を認めることになったのである。
 サザンオールスターズは、活動休止期間をはさみつつも、35年以上にわたって愛され、驚異的なCDセールスやライブ動員数を誇る、国民的バンドとして走り続けている。

ザ・ベストテン☆エピソード
 1986年8月28日、番組はサマーフェスティバルということで都内のプールサイドから放送。桑田佳祐率いるKUWATA BANDの「スキップ・ビート」が5週連続で1位を達成した。黒柳徹子はそのお祝いと称して、プールで『水中ヨガ』を披露。座禅を組むようなポーズで仰向けにラッコのように水面に浮かび、その状態で第1位の曲紹介。「桑田さーん、どうですかぁー?」と呼びかける黒柳に、桑田は「成仏してください」と絶妙のコメント。ちなみに腕も足も動かさずにその体勢で浮くことは力学的にあり得ないそうで、地味ながら他の誰も真似できない黒柳だけの特技とのこと。
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