このコーナーでは、当時のランキングやエピソードと共に、「ザ・ベストテン」に出演した歌手のヒット曲を紹介していきます。第3回は1981年6月11日のランキングを紹介。今月のスポットライトは、アイドルとして大人気を誇り、今も華麗なステージを見せてくれる郷ひろみさんの代表曲「お嫁サンバ」を取り上げます。
まさかの歌詞に驚愕 実は歌うのがイヤだった!?
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 1971年、ジャニー喜多川氏にスカウトされて芸能界入りした郷ひろみ。1972年、まず俳優としてNHK大河ドラマでデビューし、9月には「男の子女の子」で歌手デビュー。同年の日本レコード大賞で新人賞を受賞、翌73年のNHK紅白歌合戦に初出場。その後も「よろしく哀愁」などをヒットさせ、西城秀樹、野口五郎と共に「新御三家」と呼ばれ、アイドルとして人気を極めた。
 「ザ・ベストテン」には、1978年1月の第一回目の放送から「禁猟区」がランクイン。以後も新曲を出す度にランクインし、番組の常連に。同じTBSのドラマ「ムー一族」で樹木希林とともに歌った「林檎殺人事件」は、二人のコミカルなダンスや衣装、アドリブの掛け合いがお茶の間を沸かせた。「ザ・ベストテン」でも4週(1978年8月10日〜8月31日)にわたって1位を記録。中でも8月24日の放送で、樹木が司会の黒柳徹子とウリ二つの衣装に玉ねぎ頭、郷も久米宏と同じ白いスーツでミラーゲートから登場し黒柳を笑い転げさせたシーンは、番組史上屈指の名場面だ。翌79年11月から5週にわたり、郷は「マイレディー」で1位を記録。この番組で彼単独としては唯一の1位獲得曲となった。
 ドラマ撮影などで多忙な郷は、ギリギリにスタジオに駆けつけることが多かった。移動してもうTBSに到着しているはずなのに、郷がなかなか現れず、さすがの久米宏も本気で焦って必死につないだことも。中継でも、苗場スキー場のゲレンデの上で歌ったり(本人は相当寒い思いをしたようである)、彼が乗った特急を熊本駅でテレビカメラが待ち受け、停車中にホームに降りて歌い、歌い終わるや否や発車ベルに急かされるように再び乗り込んで出発、ということもあった。

 「お嫁サンバ」は「ザ・ベストテン」に8週ランクイン(1981年5月28日〜7月16日)、最高3位を記録。当時25歳。同年末のNHK紅白歌合戦にもこの曲で出場している。誰もが知る代表曲の一つだが、当初この曲を郷が拒絶したのは有名な話。最初メロディだけを聴いて気に入っていたところ、出来上がってきた「♪1、2、サンバ 2、2、サンバ お嫁お嫁お嫁サンバ」という歌詞を見て仰天。"せっかくいい曲なのにこの歌詞はないだろう!?"と憤慨したが、プロデューサーに「この曲を明るく歌えるのはアナタだけだ」「間違いなく、結婚式の場でずっと歌い継がれていく曲になる」と説得され、訝しがりながらも気持ちを切り替えて歌ったという。結果的に大ヒットし、多くの結婚披露宴の余興で歌われ、郷のステージでも欠かせない曲の一つとなった。"流行歌とは、どこか心に引っかかるものがなければならない…"。この曲で得た経験は、後に「♪アーチーチー」と歌った「GOLD FINGER'99」をすんなり受け入れる姿勢を作り、大ヒットにつながったという。
 「ザ・ベストテン」に計14曲、通算105週(※「林檎殺人事件」も含めれば117週)をランクインさせた郷ひろみ。しかし1982年、彼は突如、同番組を含むランキング番組への出演辞退を表明。理由は「大切な自分の楽曲に順位を付けられたくない」というものだった。「哀愁のカサブランカ」が10週にわたってランクインしたにもかかわらず、この曲を「ザ・ベストテン」で歌うことはなかった。その後は、番組終了までいずれの曲もランクインすることはなかったのである。

ザ・ベストテン☆エピソード
「追いかけます、お出かけならばどこまでも」のキャッチフレーズのもと、「ザ・ベストテン」はとにかく日本全国どこへでも歌手を追いかけて中継しました。ドラマの収録現場、地方のコンサート会場、さらには新幹線で移動中のわずかな停車時間に駅のホームで歌った歌手も少なくありません。中継に不可欠だったのが、系列局の大型中継車。しかし当時、中継車は基本的に報道ニュース用のもので、歌番組のために、ましてや僅か3分間ほどの歌唱のために中継車とスタッフを出すことにどこの局も難色を示したといいます。視聴率が上がり、番組のスタイルが広く認知されても、各局が協力的になってくれるまでには1〜2年の時間がかかったそうです。
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