作詞家をはじめ、音楽プロデューサー、ミュージシャン、詩人、などなど【作詞】を行う“言葉の達人”たちが独自の作詞論・作詞術を語るこのコーナー。歌詞愛好家のあなたも、プロの作詞家を目指すあなたも、是非ご堪能あれ! 今回は、「もらい泣き」、「ハナミズキ」など数々の名曲を送り出し、デビュー20周年を迎えた「一青窈」さんをゲストにお迎え…!


一青窈
代表作
作詞論
 
誰に何を伝えたいかと言うことを明確に持って、たった1人の為だけで良いのでその人に気持ちを伝えること
[ 一青窈さんに伺いました ]
  • Q1. 歌詞を書くことになった、最初のきっかけを教えてください。

    もともとは台湾に住んでいた父との手紙のやりとりがだんだん散文詩のようになり亡き後も手紙を枕元に入れて送り続けました。書くことは私にとって息をすることと一緒でした。

    8歳の時に父が肺がんで亡くなったとき、病院でやせ細ってゆく姿を見つめ幸せに家で家族で看取れないことに疑問を抱きました。さらに14歳の時に母が胃がんで亡くなる直前、母の余命いくばくない時に目も見えない状態だったのですが友人に付き添われて森久美子さんのコンサート行き癌とは思えないほどにとても元気になって帰って来たことがきっかけで音楽療法に興味を持ちました。

    病院で施されるどんな抗がん剤(延命)治療よりも母を母らしく、キラキラと生きる希望に満たしてくれたのが音楽だと実感した瞬間です。また、病室でずっとカセットテープで音楽を聴いていたのもとても印象的で大学の志望動機書も音楽療法を学びたいと書きました。病人や弱っている人、膝を抱えてる子たちを元気にする音楽を歌いたいと思ったのが根底にあります。

    以降、両親や友人に対して、思いが届けられなかったと後悔しないようになるべく思ったことを即座に書き留め、送るようにしてます。

    小学生のころはうたのおねえさんやアイドルなど歌で人を笑顔にする職業をやりたかったのですが、中学時代は母の闘病もあり、音楽を含む空間、気持ちの良い建物をたてる建築家になりたかったです。

    中三の時にとても仲の良い同級生がプールに飛び込んで下半身付随になったのをきっかけに当事者が生きやすい世の中にしたいと思うようになりました。

    今もそうですが事前に予約をしないと電車に乗れないですしまた地下や階段だけでエレベーターがないような場所には友達と一緒にご飯を食べに行くこともできません。

    障がい者の人たちが車椅子やオムツなどの広告ばかりが入らないオシャレな雑誌を求めていたので 東京ウォーカーとスタジオボイスを足して2で割ったような雑誌づくりを目指し創刊し、そこで私は映画、音楽のコラム、当事者のお悩み相談を引き受け、アートディレクターもやりました。もちろん詩を書いてそのコーナーも持たせてもらってましたのでいつもいつも詩を書いてました。

    私だけが健常者で、他のメンバーは全員、障がい者の人たちという形でバンドもつくって全国のそういった施設を行脚してライブをしてました。それが大学時代です。1996年から今に至るまで病院や養護施設、老人ホームでずっとボランティアでLIVEをやってきました。

    人に希望を与え、元気にする歌手になりたいと願って詩を書き歌ってます。

    SFC(大学)ではアカペラのサークルに入っていたので彼女たちとスパイス・ガールズのように歌って踊れるバンドを作って藤沢、横浜、渋谷駅などでストリートライブをやっていました。また、日吉三田校舎ではKBRモダンシャックスとライトソサエティーに顔を出していました。また青山学院のジャズ研のドラマー(現在、椎名林檎、SOIL&"PIMP"SESSIONSなどのドラムを担当)と一緒にバンドを組んでジャズの英語のスタンダードナンバーに中国語を乗せて都内のクラブ等でライブを重ねていました。早稲田や外語大学のアカペラサークルともよくジャムセッションをしました。

    当時は自作の詩集をつくりタイポグラフィーを施し、デザインして都内のカフェやセレクトショップにフリーペーパーとして置いてもらい出会った作曲家やプロデューサー(当時、ケツメイシ、aiko、大黒摩季、doubleらを担当)と出会い4、5人の方達を軸にデモテープを作ってました。どれもデビューにはつながりませんでしたが私は結局、聾唖者(耳の聞こえない人)の前でコンドームを膨らませて抱いてもらい(風船よりも薄いのでより振動が伝わりやすい)手話の方に歌詞を同時通訳してもらいながらライブをしてたときに声をかけてくれたプロダクションの社長に音楽プロデューサーの武部聡志さんを紹介してもらってそれがデビューにつながりました。

  • Q2. 歌詞を書く時には、どんなところからインスピレーションを得ることが多いですか?

    歌舞伎、芝居、映画、小説、詩、短歌。音楽以外のすべての芸術から。

  • Q3. 普段、どのように歌詞を構成していきますか?

    その時、がくれば取り憑かれたように歌詞が湧き上がってくるので真夜中2時でも3時でも泣きながらでもだいたい20分以内に書き上げます。

  • Q4. お気に入りの仕事道具や、作詞の際に必要な環境、場所などがあれば教えてください。

    移動中がBETTER。新幹線、飛行機、電車、バスの中が多いです。

  • Q5. ご自身が手掛けた歌詞に関して、今だから言える裏話、エピソードはありますか?

    いつも開けっぴろげにしてるのでとくにありません。

  • Q6. 自分が思う「良い歌詞」とは?

    想像力が掻き立てられるもの。

  • Q7. 「やられた!」と思わされた1曲を教えてください。

    井上陽水「ジェラシー
    「ワンピースを重ね着する君の心」という歌詞
    同時に2人の人を想ってしまう状態の女性を素敵に、詩的に描いていると感嘆しました!

  • Q8. 歌詞を書く際、よく使う言葉、
         または、使わないように意識している言葉はありますか?

    擬音、擬態語を自分で創るように努めてます。子供もわかるようにやさしく開いた形で絵本のように表現したい。音をきいて、イメージが湧きにくいことばはなるたけ使わないか、前後で補強できるように工夫します。

  • Q9. 言葉を届けるために、アーティスト、クリエイターに求められる資質とは?

    たくさんの人よりもたった1人に深く強く伝わることを信じて続けてほしい。

  • Q10. 歌詞を書きたいと思っている人へのアドバイスをお願いします。

    書きたければもう、ペンは動いていると思うのでそのときを待ってください。焦らずに。
    なにも書きたくなければ おおおお でも ああああ でも心がこもっていれば大丈夫!

歌 手
一青窈
タイトル
耳をすます
なるべく表面の出来事に囚われずに身勝手に否定や悲観もせずに、その人自身が持っている希望を見つめたいと思っています。心の声に耳を傾けたい一心で書いた詩です。地べたに寝転がり、地団駄を踏んでいる我が子を見るとまっすぐ喜怒哀楽を伝えてくれることに安心します。大丈夫じゃないのに「大丈夫」と言ってその日を乗り越えようともがいている人に届くといいな、と思ってます。

東京都出身。台湾人の父と日本人の母の間に生まれ、幼少期を台北で過ごす。慶應義塾大学 環境情報学部(SFC)卒業。在学時、アカペラサークルでストリートライブなどを行う。2002年 シングル「もらい泣き」でデビュー。翌年、同曲で日本レコード大賞最優秀新人賞、日本有線大賞最優秀新人賞などを受賞、NHK紅白歌合戦初出場。


2004年に5thシングル「ハナミズキ」が大ヒットを記録。2018年末に発表された「DAM平成カラオケランキング」では1位に選ばれ、現在も国内外問わず様々なアーティストによりカバーされている。また、映画『珈琲時光』、音楽劇『箱の中の女』で主演を務めるなど、女優としても活躍する一方、詩集『一青窈詩集 みんな楽しそう』をはじめとする著書の発表、さらには他アーティストへの歌詞提供など、歌手の枠にとらわれず活動の幅を広げている。
INFORMATION
オリジナル・アルバム
『一青尽図』
2022年12月18日発売
COCP-41839 ¥3,300(税込)
<収録曲>
01. 僕をみて
02. 腕枕
03. 耳をすます
04. i²
05. カノン
06. 6分
07. 黒縁メガネ
08. ダイスキダイキライ
09. かたつむり
10. あひるの涙
11. あうん