音楽プロデューサーの須藤晃さんが、2026年10月7日、74歳で亡くなられた。須藤さんの仕事を振り返るとき、どうしても浜田省吾や尾崎豊といった存在が大きくなるが、ほかにも数多くの優れたアーティストを手がけてきた人である。
僕は生前、一度だけ須藤さんの事務所を訪ね、じっくりお話を伺ったことがある。その際、僕の書いたある文章を褒めてくださったことは、今も大きな励みになっている。
須藤さんは、J-POPの歌詞の世界をより広がりと奥行きのあるものへと導いた人だった。今回はその功績を振り返ってみたい。既にこのコラムではプロデュース作品をいくつか取り上げているので、代表的な楽曲を改めて聴き返し、個人的に今一度書いてみたいと思った作品を選んでみた。ではさっそく。
僕は生前、一度だけ須藤さんの事務所を訪ね、じっくりお話を伺ったことがある。その際、僕の書いたある文章を褒めてくださったことは、今も大きな励みになっている。
須藤さんは、J-POPの歌詞の世界をより広がりと奥行きのあるものへと導いた人だった。今回はその功績を振り返ってみたい。既にこのコラムではプロデュース作品をいくつか取り上げているので、代表的な楽曲を改めて聴き返し、個人的に今一度書いてみたいと思った作品を選んでみた。ではさっそく。
1996年7月21日発売
「田園」。それは歌の群像劇
まずは玉置浩二の大ヒット曲「田園」である。作詞のクレジットが玉置さんと須藤さんの共作となっている。この歌の大きな特色は、その構成にある。まさに歌の群像劇なのだ。「僕」、「君」、「あいつ」、「あの娘」。冒頭、この四者が登場する。彼らがどんな心情・境遇なのかが手短に描かれている。それは二番の冒頭も同じだ。あくまで「僕」が中心ではあるものの、主役はひとりじゃない。そして歌の最後には[僕がいる][君もいる][みんなここにいる]という言葉が出てくる。
ただ、この場合の「みんな」は、四人の集合体ではない。これは決して連帯の歌じゃない。四人はそれぞれに事情を抱え、悩み、傷つきながら生きている。そもそも彼らが知り合いなのかどうかさえわからないし、歌の途中で励まし合ったりするわけでもない。
それでも最後には[みんなここにいる]と歌われる。何かを成し遂げたとか、誰かの役に立ったとか、そうではないけど[ここにいる]。つまり存在そのものへの肯定だ。
そう考えると、冒頭からさまざまな人物が登場する意味も見えてくる。誰かひとりの人生を特別なものとして描くのではなく、それぞれの人生を等しく肯定しているのだ。明らかに哲学のテーマだろうけど、それがこんなに力強く、親しみやすい歌になっている。
なお、フレーズの頭にアクセントを置きながら、言葉がぎっしり詰まった箇所も明瞭に歌ってみせる玉置浩二の離れ業には、改めて惜しみない称賛を送りたい。
1993年11月21日発売
承認欲求なんて言葉、知らなかった頃に…。
さて、次は橘いずみの「サルの歌」である。久しぶりに聴いてみたが、“むしろ今の時代にこそ響くのでは”と、つい呟いてしまいそうだった。人とわかり合いたいのに、なかなかそうはいかない、そのもどかしさを歌った作品といえる。まだ「承認欲求」などという言葉が一般的ではなかった時代に、誰かに認められたい、でも他人に合わせて生きるのは嫌だという、なんとも厄介な自意識を、鮮やかに描いている歌なのである。面白いのは、自分の行動に対する相手の反応が、ことごとく思惑とは違う方向へ転がっていくことだ。[悲しそうな表情]をすれば魅力的だと言われ、[爪を立ててひっかいたら]頭をなでられてしまう。
自分ではそんなつもりじゃないのに、相手にはまるで違う意味で伝わってしまう。人間同士のコミュニケーションというのは、一歩ズレだすとそういうものなのかもしれない。
そう考えると、「サルの歌」というタイトルも意味深な気がする。人間は文明を手に入れ、複雑な言葉を操り偉そうにしているが、誰かに認められたい、愛されたいという欲求に関しては、おサルさんだった頃から大して進歩していないのではないか。この楽曲タイトルからは、そんな自嘲も感じられる。
でもこの歌は、自分という檻のなかでもんもんとしているだけの歌ではない。[人を認め]て[ラクになれた]とも歌っているのだ。
ただし、それですべてが解決したわけではない。最後の最後に登場する「あの日」という言葉が気にかかる。そこに歌われているのは、実際に起きた出来事ではなく、そうなればいいと思ったことなのだ。つまり、まだ実現していない。人を認めることができても、人から愛されるとは限らない。その微妙な距離を残したまま歌が終わるところに、この作品の奥行きがある。
1983年2月25日発売
村下孝蔵の「初恋」が好きだー、と叫びたい
最後に、この曲についても触れたい。村下孝蔵の「初恋」だ。一筆書きでさささーっと仕上げたかのような滑らかなメロディと曲構成だが、この歌が誕生するまでには、相当な試行錯誤があったらしい。そのことは、ネット上に公開されている須藤さんや村下さんのエピソードからも知ることができる。そしてこの歌の歌詞は、平易な表現が多いが研ぎ澄まされている。初恋というのは歌の普遍的なテーマではあるが、この歌はその決定版ともいえるほど感情豊かで、イメージも豊かだ。
何しろ素晴らしいのは、初恋というものを[ふりこ細工の心]と表現しているところだ。ちなみに“ふりこ細工”というのは村下さんの造語なのだろうが、実に巧みだ。振り子のように揺れ動く、というだけではなく、そこに"細工"を加えたことで、より繊細さ(脆さ)が伝わるのだ。
特に毎回胸がキュンと音を立てるのは、サビの[放課後の校庭を走る君がいた]である。サビなんだから印象に残って当然なのだが、この歌の主人公は好きな相手に対して直接想いを伝えることは最後までない。つまり、その距離が切なさを生むのだが、校庭を走る君となれば、決して近い距離じゃない。
「浅い夢」ゆえに「胸をはなれない」というのも巧みだ。これをレム睡眠ゆえの記憶という捉え方もできるし、そもそも初恋というものは、そうした儚く淡いものだという例えにも受け取れる。
考えてみれば、この「初恋」は、日本人が普遍的に抱く哀愁や郷愁を、これ以上ないほど見事に描き当てた歌だった。しかも、1980年代前半のトレンディな音楽とは少し離れたところで、独自の説得力を放っていた。そうした時代の音楽を追いかけ、紹介することを仕事にしていた僕にとって、この曲はどこかエアポケットに入り込んだように、関心から抜け落ちていた。これまでおおっぴらに称賛してこなかったのは、そんな事情もあったのかもしれない。でも今ならば(今更ではあるが)、この歌が、大、大、大好きだー、と叫びたい。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭
(おぬきのぶあき)
先日、一時的にネットが使えなくなり、たいへん焦った。もうオシリに火がつきまくった急ぎの原稿があったのだ。もしそれをメールで送れないのなら、USBメモリに保存しバイク便で届けてもらうか……なんてことを考え、座り込んだ次の瞬間、しれっとネットは復旧していた。結局、プロバイダー側の不具合だったらしい。ところが、こちらはてっきり室内の機器が故障したものと思い込み、ルーターの初期化なんてことまでやってみた。何もしないで、ただ待っていればよかったのだけど。
先日、一時的にネットが使えなくなり、たいへん焦った。もうオシリに火がつきまくった急ぎの原稿があったのだ。もしそれをメールで送れないのなら、USBメモリに保存しバイク便で届けてもらうか……なんてことを考え、座り込んだ次の瞬間、しれっとネットは復旧していた。結局、プロバイダー側の不具合だったらしい。ところが、こちらはてっきり室内の機器が故障したものと思い込み、ルーターの初期化なんてことまでやってみた。何もしないで、ただ待っていればよかったのだけど。



