第141回 松田聖子
 さて今月は、息の長い活躍を続ける日本を代表するボーカリストのひとり、松田聖子の80年代前半の名曲を取り上げる。

向かう季節は春。彼女の伸びやかな歌声は、この時期にぴったりだ。ちなみに「アイドル」という言葉は、彼女の大活躍により常用語として定着したといっても過言じゃない。そのあたりも書いていくことにする。

わたし、一度だけインタビューでお目に掛かったことがある。先日の大谷の結婚会見じゃないけど、自分が喋るべきこととそうじゃないことを判断しつつ応対するヒトだった。それでいて横柄とかではなく、自己プロデュースがしっかり行き届いている爽やかな印象なのであった。

photo_01です。 1980年4月1日発売
歌手の命、「声」を知らしめたデビュー曲

 松田聖子がデビューしたのは1980年の4月。「エクボ」という洗顔フォームのCMで、デビュー・シングル「裸足の季節」が頻繁にテレビから流れた。サビの歌詞は[エクボの秘密あげたいわ]。ベタといえばベタなタイアップだったが、茶の間でテレビをつけていて、初めてこの歌が流れてきた時のことは、今もハッキリ覚えている。

声がこっちに、突き刺さるように届いてきた。当時のわたしのテレビはサウンドバーの設置とかって音響にこだわったものじゃなかった。それでも明らかに、このヒトの歌声は、特別だったのだ。

彼女はこうして、歌手として国民に対して、この上ない初対面の挨拶を果たす。まずは「声」。まだ松田聖子という名前は知られてなかったけど、既に「声」が認知された。それが「裸足の季節」だったのだ。

photo_01です。 1980年7月1日発売
綺麗な珊瑚礁のキラメキが目の前に。

 改めてフルで聴いても、デビューの翌年の「青い珊瑚礁」はよく出来た作品である。イントロのワクワク感。歌唱が始まる瞬間の解放感。歌のなかで[あなたが好き!]と告白する(叫ぶ)斬新なアイデア…。

サビから始まる構成である。この構成の場合、既に冒頭で、歌のスケール感がバレてしまう例も多い。でもこの作品は、どんどん広角に景色が広がっていく印象だったのだ。詞を書いた三浦徳子は、惜しくも昨年お亡くなりになってしまったが、まさに不朽の名作である。

松田聖子の声の透明感とも相性のいい作品だった。実はこの歌、タイトルこそ「青い珊瑚礁」だが、主人公はウェットスーツでスキューバしようというわけではない。あくまでこれから起こす行動は[走れあの島へ]なのであり、まだ実際には街中にいるのだ(と思う)。

それでも海風を強烈に感じさせるのは、彼女の声の透明感のお陰。歌詞の世界観と声質が、絶妙なマリアージュを果たし、彼女がブレイクするきっかけとなる。

photo_03です。 1982年10月21日発売
ぶりっ子という呼ばれ方を、むしろ味方にして

 松田聖子は歌番組の受け応えなどではサバサバした性格の印象だったが、歌が始まるや、女性らしい仕草の振り付けを完璧にこなし、声も甘酸っぱい可愛らしい響きだった。でもそこにギャップを感じたヒトも居た。

そのあたりを当時、女性漫才師がネタにしたりするうち、彼女は「ぶりっ子」の代表みたいに想われるようになる(この言葉も今では死語かもしれないが、可愛い子ぶる、というあたりが語源である)。

しかし「ぶりっ子」という言葉。当初は「異性を意識してわざとらしく振る舞うこと」、みたいに受け取られたが、徐々に変化する。

異性など関係なく、女の子が自分の意志として「女の子らしさを謳歌する」みたいなことへ変化する。松田聖子のファン層も、途中から女の子がぐんぐん増え始めたのだった。

今へと続く「アイドル」というものの概念は、この時、松田聖子により確立されたと言っていいだろう。本人の“実像”というより、可愛らしくみせる“所作”にこそ価値があることを、世に知らしめたのが彼女だ。

そんな「ぶりっ子」ぶりを満喫できる楽曲となると、これはなかなか難しい。とりあえず今回は、「野バラのエチュード」などどうだろうか。詞は松本隆である。

なぜこの曲なのかというと、歌が[トゥルリラー トゥルリラー]で始まり、いきなり聴き手に虚構性の楽しさを届けつつ、(おそらく)本人が、意識的に舌っ足らずな雰囲気の語尾を演出しているであろう部分もあるからである。

歌詞にもハッキリ示されているが、この作品は松田聖子が成人した年のリリースだ。しかし当時の若者の恋愛スタイルからすると、かなり「純情派」の設定になっている。松本は、意識してそうしたらしい。恋愛における心の機微を細やかに描くとなると、この設定が有効だったのだろう。もちろん、「純情派」の楽曲といえば、「赤いスイートピー」がトドメをさすのだが…。

photo_03です。 1983年8月1日発売
愛の告白も年齢とともに

 その松本隆が1983年に提供した「秘密の花園」「天国のキッス」「ガラスの林檎」の3曲は、現世を超えているというか神秘的というか、もっと言えば宗教的(林檎だけに…)ともいえる崇高さを感じさせた。わずか1~2年でのこの変化は凄い。歌いこなす松田聖子も素晴らしい。

ここまでくると、愛の告白も、だいぶ様子が違ってきている。「青い珊瑚礁」では[あなたが好き!]と叫んでみせた彼女だが、「ガラスの林檎」では[愛しているのよ]を[かすかなつぶやき]として相手に届けようとする。しかし彼は聞こえないふりをしているので、ついには相手の指を[噛んだ]。

日本のポップス史のなかで、指を噛むといえば古典的なのは伊東ゆかりの「小指の想い出」(1967年)なのだが、あの場合、噛んだのはこちら側ではなくあちら側。しかし今回は、彼女のほうが噛んだ。そんなところにも聖子ソングの女性の自主性を感じさせるのだった。

なお、松田聖子を改めて聴くならば、ぜひオリジナル・アルバムも聴いてみることをお勧めしたい。当時の日本のソングライターやアレンジャーの俊英達が、しのぎを削るかのように意欲作・自信作を提供していたのが彼女のアルバムだった。ぜひ!
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

「くらしのマーケット」というものの存在は知っていたが、今回、初めて簡単な修理依頼で利用してみた。で、近隣で何件か業者が見つかったが、口コミの評価はもちろん、意外と大きな決め手となったのが、掲載されていた「私が伺います」みたいな担当者の写真。ピースサインみたいな軽いヒトや、シリアス・フェイスの頑固職人ぽいヒトは避け、普通のヒトに頼むことに(笑)。この選択、はたして正解だったのか…。