第135回 石崎ひゅーい
 さて今月は、もはや説明の必要のない才能豊かなソング・ライター、石崎ひゅーいである。ちなみに、彼には一度だけインタビューしたことがある。

こんこんと湧き出た言葉から厳選して歌詞を書いているんじゃないのかな、このヒトは、というアーティストの場合、厳選する前に湧き出ていた言葉も取材の席で垣間見せてくれて、充実したひとときとなることが多いけど、まさにそうだった。

充実したインタビュー記事になった。

ただ、取材場所が今はライブハウスとしては営業していない「赤坂BLITZ」の近くの喫茶店で、やたら騒がしく、持てる聴力を総動員し、彼の話に耳を傾けたのを想い出す。

いやマジで、あの喫茶店、日本中から凄く大声でお喋りする人達が集まったんじゃないか、というくらい賑やかだったのだ。話が逸れてスミマセン…。

photo_01です。 2019年3月6日発売
この歌の“エレジー”が示すものとは

 さて本題。歌詞である。まずは幅広い層が知っているであろう、この曲を。菅田将暉に提供した最初の楽曲「さよならエレジー」である。

ちなみに、両者の出会いは菅田が石崎の「花瓶の花」を好きだった、ということかららしい。実際に会ってみて、意気投合したのだそうだ。

まずはタイトルのことから。エレジーは、「哀歌」とか、人の死を悼む「挽歌」とか、そんなふうに訳される。つまり、けして軽くはない感情がそこにある。

なので、なかなか“さよなら”というわけにはいかない。でもこの作品のタイトルは、しれっと「さよならエレジー」と言っている。まず、このあたりからしてすでに特色があるので気になった。

歌詞全体を眺めてみる。エレジーの正体を探ってみた。どうやらそれは、あまり上手くいかなかった相手との間に生まれた、様々なエピソードを指すようなのだ。

あの時、一緒に出掛けた場所、その時、着ていた服…。それらも対象となる。主人公は、ごそっとそのあたりと“さよなら”しようというのだろう。タイトルは、つまりそういうことなのだと解釈するのが良さそうだ。

次に、この作品における“愛”という言葉の扱い方である。大きな特色が出ている。この百万力な言葉もこの歌の場合は消えかけのUSBランタンのようだ。

[愛が僕に噛みついて]なんていう、ほかであまり見かけない表現が出てくる。この場合、“噛みついて”には肯定的なニュアンスがある。つまり、愛がもたらす拘束力を、いったん主人公は信じようとしたわけだ。
もっと分かりやすい、[僕が愛を信じても]というのも出てくる。しかし現状、相手はいなくなってしまいそうだ。[それならいらない]。主人公はそう吐き出す。なにが要らない? 愛などいらない、のだ。

この歌の場合、一般的に愛の効能とされることが、ことごとく機能していない。主人公に同情しちゃう。そりゃエレジーも生まれるよな、うん。

こうなったら希望を探そう。現時点での希望はないものか? [光れ君の歌]というのは、そうなのかもしれない。ただ、この言葉の前に[うんざりするほど]とある。まだまだ主人公には、相手にエールを送る余裕はない。

でも、“エレジー”と“さよなら”するんだから、1ヶ月後の主人公は、今より少しは笑顔かもしれない。

ちなみに僕個人がこの歌詞で一番好きなのは冒頭部分である。[僕は今]→[名の雲]っていう、ながったらしい現状を踏まえた自己紹介。ここ印象的。

photo_01です。 2016年5月18日発売
花瓶の水のなかに映し出される永遠

 今回は豪華二本(曲)立てである。さて次は、これも一般に知られているであろう「花瓶の花」。この作品といえば、披露宴の席で乞われて歌う本人を映す演出のミュージック・ビデオも話題となった。

なので、もちろん場に相応しい内容。やっと運命の人と出会えた。永遠の愛を誓う…。ポップ・ミュージックの題材としては珍しくない。


逆に、ソングライターとしての腕前が試される(実際に「花瓶の花」が書かれた背景としては実話にもとづく部分もあると聞くが、そこには触れず、歌詞の印象のみで進めさせていただく)。

「さよならエレジー」でタイトルにこだわったので、こちらもそこからいくなら、[花瓶の花]とは“愛情”そのものを指す言葉だろう。もちろんそこには期限があり、水は、互いがすれ違わないよう、心を潤す存在だ。

個人的に気になったのは、相手が[花瓶にくれた花]というのは、花瓶ごとくれたものなのか、花だけくれたものなのか、ということ。

僕としては、花だけくれて、花瓶は主人公の部屋にあった、という設定が望ましい。彼には、常日頃、花の美しさをわかる人間であって欲しいのだ。ただ、これは個人的な希望。花瓶でくれたっぽい気もする。

こういうタイプの歌の場合、愛情の強さを示す誇張表現の巧みさも、ソングライターの腕の見せ所となる。

[君を探していた]期間として[何年も何十年も何百年も]とある。何百年となると、もはやひとつの肉体に宿る時間を越える。二人は魂と魂の出会いを果たしたんだというロマンが広がる。

“何年も~”は、後半で内容を変えて二度ほど登場してくる。“何人も何十人も”となり、ここでは[傷つけた]と懺悔の言葉に変わる。さらに、“何人も”どころか“何万人も”のなかで君は輝いていて、そんな君を[やっとみつけたんだ]で歌は終わっていく。

この歌の余韻を汚すような無粋な言葉は要らないだろう。お幸せに!
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

ここのところ取り組んでいた単行本の原稿が、ほぼ書き終わった。これからまだまだ調整すべき点があるのだが、とりあえず、山は越えた。仕事場に拡げっぱなしだった資料などを片付けた。思った以上のスペースが出現した。それほど床が埋もれていた、ということなのだ。まあ、ここがすっきり片付いているのも一瞬だろうが…。