第133回 「シティ・ポップ特集」
 今月は、ここ最近、世界的にも注目が続いているという、日本のシティ・ポップについて書いてみたい。

ちなみにウィキペディアには、「1970年代後半から1980年代にかけて日本で制作され流行したニューミュージックの中でも、欧米の音楽の影響を受け洋楽志向の都会的に洗練されたメロディや歌詞を持つポピュラー音楽の呼称」なのだと説明されている。とはいえ本コラムでは、もちろん歌詞中心に見ていくことにする。

シティ・ポップの歌詞で押さえておくべきは、当時の若者の交際費が、今の若者より潤沢だったとおぼしき点である。シティ・ポップには、リゾートへ繰り出し羽を伸ばすようなシチュエーションも多く、また、80年代に勃興したカフェバー文化とも繋がりがある。カフェバーで遅くまでくだを巻いたら、町中華めぐりの何倍もお金が掛かったのだ。

ただ、シティ・ポップといってもだいたいの傾向はあるものの、これだ、という確固たる基準があるわけじゃない。ヒトによって思い浮かべるアーティストや楽曲は様々だろう。そもそも80年代のはじめの頃は、流れてくるポップ・ソングの大半がシティ・ポップだったと言えなくもないのである。

photo_01です。 1982年10月21日発売
稲垣潤一「ドラマティック・レイン」

抽象的なことをこれ以上書いても仕方ないので、具体的に一曲挙げてみよう。いま個人的にパッと思い浮かんだのは、稲垣潤一の「ドラマティック・レイン」という作品である。作詞は秋元康。

街という舞台装置が織り成す物語

 なぜこの歌が思い浮かんだかというと、都会という舞台装置を上手に用いて作詞されているからである。歌詞のなかのキラーワードは、タイトルにもある[ドラマティック]という言葉なのだが、これが実に効果的に使われている。

強い雨のなか恋に落ちていく男女が描かれるが、その当人達こそが、そもそも[ドラマティック]なのだと歌っている。二人の心情を描いているようで、冷静にその様子をみつめるもうひとつの目線があり、歌を聴いている我々は、両方のカメラを行ったり来たりする。

雨はかなり激しく降っている。この雨の対義語であるかのように登場するのはアスファルトだ。足下がぬかるむことはない。とても水捌けがいい歌であり、そこにもシティ・ポップらしさを感じる。

ここで温故知新。そもそも日本のアーティストが洋楽指向のメロディや歌詞で東京を歌い始めたのはいつ頃なのだろうか。その起源は、どうやら「はっぴいえんど」や「シュガー・ベイブ」といった東京ベースの当時気鋭だったアーティスト達のようだ。そのなかから取り上げてみることにする。

有名なシュガー・ベイブの「DOWN TOWN」という曲

photo_01です。 1975年4月25日発売
シュガー・ベイブ「DOWN TOWN」

 作詞したのは伊藤銀次だが、歌謡曲から借りてきた表現なども散りばめられ、遊び心も満載の作品だ。伊藤より前の世代のフォーク・シンガーなら、より実体験に基づいた詞を書きそうで、例えば「Down townへ くりだそう]などとはせず、この場合の“下町”がどこに該当するか具体的な地名など盛り込んだ可能性が高い。でもそれはせず、この歌の場合は、いい意味で“絵空事の良さ”なのだ。

もしこれがシティ・ポップだとしたら、どういう部分でそう言えるだろうか。ポイントは、この歌における主人公(達)の移動距離。例えばマイ・ペースの「東京」という歌と比較してみたい。あの歌は、主人公が地方と東京を移動したことで生まれた。その場合、距離は何百㎞ということになる。

それに較べてシュガー・ベイブの「DOWN TOWN」は、そもそも主人公は、そもそも賑やかで[陽気なこの街]に居た上で、さらに「Down townへ くりだそう]としているわけだ。移動距離としては、せいぜい20~30㎞というところ。

つまりシティ・ポップというのは、この街(大多数の歌で想像されるのは東京)のなかで完結するソングのことでもある(先ほど触れたリゾートへ繰り出す歌は除く…)。

さて最後に、「これぞシティ・ポップ」と言いたくなる作品をふたつ紹介する。まずは寺尾聰の「シャドー・シティ」である。作詞は有川正沙子だ。この人の作品で他に有名なのは、1986オメガトライブの「君は1000%」などがある。

都会の夜のアンニュイさをスキャットにのせて

photo_01です。 1980年8月5日発売
寺尾聰「シャドー・シティ」

 歌詞は短めの曲なのだが、寺尾聰の♪トットゥルットゥ~というスキャットも歌詞の一部だと思って聞くと、大都会のパノラマと、そこに佇む主人公達の心情が、間近に迫ってくる名作である。

歌詞のコラムなのだけど我慢できずサウンドのことを書くならば、コード進行や転調のセンスが、“一見客を寄せ付けない、ちょっと入り組んだ路地にある隠れ家バー”を彷彿させる作品である。

そしてこの歌は、カウンターに並ぶ男女の、お互いに台詞は与えられないものの“実に多弁な”ドラマを醸し出している。もちろん寺尾聰といえば「ルビーの指環」が有名だが、「シャドー・シティ」にもぜひ一票、投票して欲しいものである。

終電はとりあえず気にしないのである

photo_01です。 1982年12月21日発売
中原めいこ「2時までのシンデレラ」

 もうひとつ、中原めいこの「2時までのシンデレラ」を紹介したい。本人の作詞作曲である。彼女も再評価が著しいが、「君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね。」以外にも名作がいろいろあり、本作もそのひとつである。シティ・ポップを女性アーティストの側からみてみると、恋に積極的、という傾向も見受けられる。この「2時までのシンデレラ」もそうである。

シンデレラの魔法は12時に解けてしまうのに、ここでは2時間延長である。主人公は、愛する人と、ずっと居たいのである。せめて自分が眠るまで。

とてつもなく感動的なフレーズが出てくる。それは、ワイングラスに[Moon light]を浮かかべて[飲み干せば]のところである。なんてなんて、呆れちゃうほどロマンチックなんでしょう! 2時間延長。シティ・ポップの時代、ちまちま終電なんか気にしていたら、物語は生まれなかったのでした。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

執筆の日々。当然ながら、捗る日もあれば捗らない日もある。捗る時は、なるべくその状態が長続きすればと願うが、今度は体力切れ、という現実に直面したりもする。そういう時は休む。でも休み始めた途端、良さそうな切り口が浮かび、再び机に向かうものの、未だ体力を回復しておらず、再び休む、というようなことを、ここ最近は繰り返しているのだった。