第7回 井上陽水「少年時代」
photo_01です。 1990年9月21日発売
 井上陽水には何度か会ったことがあるが、みなさんが想像する通り、堂々とした存在感を醸し出しつつもちょっと不思議な人である。彼の居る部屋には独特の空気感があリ、それはそのまま作品へも繋がる。稀にみる美声の持ち主であり、男の色気が香る。でも作品は、時に大胆なほどシュールな切り口だったりする。当然、聴き始めは「?」が浮かぶ。でも聴き終えた時、歌がモノゴトの真理をズドンと衝いたものであることに気づき、さっきまでの「?」が「!」に変わる。
何となく聞いていると引っかからないけど、改めて読めば離れ業のような歌詞が多い。例えば「リバーサイド・ホテル」という有名なヒット曲なら、冒頭の“誰も知らない夜明け”という表現からしてそうだ。いずれこの歌もぜひ紹介したいが、今回は「少年時代」である。おそらく、陽水作品のなかで最も幅広い層から愛されているのがこの曲ではなかろうか。 ヒネリの効いた陽水作品の中にあって、まっすぐで誰でも口ずさみたくなる作風だ。その佇まいは唱歌のようでもある。もちろん、細かく見ていくと、そこには彼ならではのコトバのトリックも隠れているのだが…。そもそも、この歌はどのようにして生まれたのだろうか。

B面(カップリング)には良すぎる曲

 キッカケはふたつある。まず、陽水の作った「ギャラリー」という作品を、荻野目洋子が歌うこととなる。しかしシングル盤として出すにはB面(カップリング曲のこと)が必要だ。たまたま彼女のレコード会社に、陽水と同じビートルズ好きの人がいて、あるキッカケで親しくなる。一緒にカップリング曲をあれこれ考えつつ共作することにする。
その時生まれたのが、のちに「少年時代」として親しまれる曲だった。ビートルズ好きの二人の共作と言われると、確かにピアノの感じとか、ちょっと「レット・イット・ビー」とか連想したりする。ただ、その時は完成には至ってない。陽水は言う。「“♪夏が過ぎ 風あざみ”くらいは日本語があって、あとは“♪ダラララルルル〜”だった」。以前取材した際の回想である。さらに、「でもこれ、B面にしては良すぎないか?」という会話もあったという。
別に出し惜しみということではなく、あくまでこのシングル曲は「ギャラリー」がメインの曲なので、バランスというか、兼ね合いもあってのことだ。結局、この作品はB面には採用されず、そのままの状態で寝かしておくこととなる。

 時を同じくして、陽水のもとへある依頼がくる。藤子不二雄Aが『少年時代』という映画を制作することになり、音楽の依頼があったのだ(監督は篠田正浩)。彼はふと、作りかけていたあの曲が合うのではと思い、“♪ダラララルルル〜”とだけハミングしていた部分の歌詞も、そこから考え始める。
ここで『少年時代』という映画の概略なのだが、藤子不二雄Aが戦時中に疎開した、富山県朝日町が舞台となっている。東京からやってきた主人公の、現地で芽生えた友情、そして少年同士のさまざま確執などがテーマとなっている。それはもちろん、何らかの形で歌の作者にインスパイアを与えたのだろう。歌全体の自然豊かな牧歌的な雰囲気や、その場所が、定住の地ではなく疎開先であるということからくる“つかの間”な感覚などが聴き取れる。現実より夢の中の出来事を重視しているような歌詞の構成法であるようにも思われる。

陽水独特の表現「風あざみ」「宵かがり」

 歌い出しからも分かるとおり、夏が過ぎた秋の入り口あたりの季節設定だ。ただ2コーラス目になると盛夏の情景となり、最後は再び、夏が過ぎた辺りに戻る。そして、よく話題になるのが冒頭に出てくる「風あざみ」という言葉である。 教科書にも載ったことのある歌なので、このあたり、この言葉が“正しい日本語”かどうかに関心を持つ人も多いようだ。「あざみはそもそも春の花なのに、なぜ夏の歌に…」。「こういう植物は、どんな分厚い植物図鑑を開いても載ってない」。さらにこの歌は、「宵かがり」という、これまた辞書に載ってない言葉が出てくることでも有名である。
例えば「風あざみ」であるなら、陽水はあざみの季語が春であるのを知りつつ、そこに風という言葉を合わせることで、夏が舞台のこの歌に「春の記憶の残り香として登場させたのでは?」という想像は可能だ。
さらにもっと大胆に考えて、我々は“あざみ”を植物だと受け取っているが、この言葉は陽水が考案した「あざむ」という動詞の活用形であるのかもしれないのだ。メロディの制約からくるイントネーションにより、植物の名前に聞こえてしまっているだけかもしれないのである。
もしそんな動詞があったなら、イメージ的に、夏の偏西風がざぁざぁと聞こえる様を「あざむ」と表現した、なんて可能性もまったくゼロではないだろう(一方の「宵かがり」のほうは、よりストレートな短縮語として、宵にふいと目に浮かぶかがり火、みたいな想像が出来る)。

「知らないことを歌えるっていうのは、すごく嬉しい」

 作者本人の具体的な解説はない。しかし彼は以前、「知らないことを歌えるっていうのは、すごく嬉しい」と発言している。詳細に調べたことを歌にするのは、逆に「下品だ」とも言っている。これらから想像するに、きっと陽水は“確かこんな言葉あったような気がするなぁ…”くらいの認識で、辞書など調べず、これらの言葉を書いたと思われる。当て推量、という日本語があるが、それに近い。作者として無責任というのとも違う。後はお聴きの皆様が、自由に受け取って下さい、ということだ。
もしかしたら、これらは陽水が歌の中に仕込んだ巧妙な言葉のカプセルかもしれない。「少年時代」は3分20秒ほどの曲だが、「風あざみ」などのカプセルは、そこだけ情報量が圧縮されている。脳の中で時間をかけて“解凍”されるから長く留まる。平たく言えば印象的になる。
どんな辞書にも植物図鑑にも「風あざみ」は載っていない。この花に会いたくなった時はこの歌を聴くことにしよう。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

1957年東京は目黒、柿ノ木坂に生まれる。音楽評論家。
1980年、『ミュージック・マガジン』を皮切りに音楽について文章を書き始め、音楽評論
家として30年のキャリアを持つ。アーティスト関連書籍に小田和正、槇原敬之、
Mr.Childrenなどのものがあり、また、J-POP歌詞を分析した「歌のなかの言葉の魔法」、
自らピアノに挑戦した『45歳、ピアノ・レッスン!-実践レポート僕の「ワルツ・フォー
・デビイ」が弾けるまで』を発表。