“「うん。これでいいんじゃないかな。やっと書けたね…」
ディレクターがぽつりと言った。”   (第15回 『SAKURA』)
デビュー曲「SAKURA」の歌詞を40回も書き直したというエピソード、驚きました。具体的にはどのようなところを書き直したのでしょうか。
まずこの『いきものがたり』に載せた「SAKURA」の歌詞ノートは、かなり最終段階に近い形のもので、最初は全く歌詞の内容も違ったんですよ。ただの失恋ソングで、正直もう見せられないくらい未練たらしい曲でした。それを「恋愛の別れだけじゃなく、広く捉えられるものにしよう」というところからどんどん変えていきましたね。もともと<小田急線>という言葉も入ってなかったんですけど、ディレクターに「具体的なものが入っていたほうがイメージしやすいんじゃないか」と言われました。たとえ京王線や中央線に乗っていても(笑)、具体的な名前が入っていることで聴き手は自分が乗っている電車を思い浮かべるんじゃないかって。そういうやりとりをしながら、ひとつひとつの単語を何度も選びなおしましたね。
その厳しかったディレクターが「水野くん。あの言葉、僕は感動したよ」と褒めてくれたというのはどのフレーズですか?
<君が くれし 強き あの言葉は 今も 胸に残る さくら舞いゆく>というところですね。別れる相手が言ってくれた言葉をちゃんと胸に抱きながら前に進んでいく、という想いを込めたんです。このフレーズはオチサビの大事なところに来るので、何回も書き直したんですけど、何度目かに歌詞を送ったとき、ディレクターから留守電が入っていて「いやぁ…あれでいいんだよ、あれでいいんだよ…」って泣いているという状況でした(笑)。でも本当に初代ディレクターはアツい人で、彼が何度もセコンドのように僕の肩を叩いて戦わせてくれたからこそできた曲ですね。やっぱり「SAKURA」が僕の作詞の雛形になっていますし、最初に多くの人に聴いてもらえたのもこの曲だったので、いろんな意味でのスタートラインになっているのかなと思います。
“歌のなかで「終わりがあること」をはっきりと言うか、
もしくは明確に書かないとしても強く意識して、歌をつくる。”
                      (第30回『茜色の約束』)
第30回「茜色の約束」では、今に通じる水野さんの歌詞観が綴られておりました。この“終わり”を意識するという感覚は、昔から水野さんの中にあるものなのでしょうか。
そうですね。いきものがかりってわりとポップな存在で、「みんなが聴く音楽」を目指しているし、そう思われているとも感じます。でもポップソングってちょっと油断すると“恋や愛は永遠に続いていくもの”みたいな本当はありえないファンタジーを書いてしまいがちで、それはいけないなってすごく思っていたんですよね。だから自分は「みんなが聴くからこそブレーキを効かさなければいけない」という意思を強く持っていて。そのブレーキというのが“終わり”を描くことだったんです。普遍的であるべきポップソングにとって、最も普遍的なものって「死」であるし、みんな死ぬし、いずれは経験しなきゃいけないことだから、って生意気に言っていたんですけど…。
少しずつ考えが変わっていったんですね。
photo_02です。
震災があったりして、そういう悲しみを実際に目にすることもありましたし。あと同年代で亡くなるやつが出てきたりとか。自分自身も歳を重ねるにつれ、死による別れを経験することが少なからずあって、その中で思ったのは“終わりの先を生きなければならない人が結構たくさんいるんだということでした。そこから僕は“終わり”じゃなくて“終わりの先”も描いていかなきゃいけないんじゃないかって徐々に思ってきたんです。「いつか終わりが来る」って、それでわかったつもりになっていた僕は迂闊(うかつ)で、

死について一面的にしか見えていなかったんだなって当たり前のことを気づかされました。だから2014年のアルバムで言えば「春」とか、まさに最新作の「ラストシーン」とか、別れの先の想いを想像して書いた歌詞というのはそれまでになかったものですね。
“十数年、彼女のとなりにいても、その心が向き合っているものを、
その心が戦っているものを、僕は本当の意味では理解できていないと思う”                            (第45回『風が吹いている』)
第45回「風が吹いている」では、メンバーの吉岡聖恵さんに初めて「歌ってくれて、ありがとう」と想いを伝えたときのエピソードにグッと来てしまいました…。また、舞台の真ん中に立つ彼女についての心情が綴られていますが、きっと水野さんにしか見えない、歌っている時の聖恵さんの後ろ姿というものもありますよね。
そうですねぇ、それこそデビュー当初、初代ディレクターと吉岡が千本ノックのような過酷な歌の訓練をしていた時は「大変そうだなぁ」と思いつつも、彼女の心配をしている余裕さえ僕にはなかったというか(笑)。自分自身も曲を書くことでディレクターと向き合っていたし、山下も山下で精一杯だったというのが正直なところです。でも、お互いを見る余裕も多少はできてきた今、僕が思うのは「やっぱり真ん中に立つことってすごいことだなぁ」って。

photo_02です。
いきものがかりはもう何百本とライブをやってきて、僕はふざけて「みんな吉岡ばっかり見てますね!」とか言うんですけど(笑)、本当にお客さんは、歌をちゃんと聴きたいから吉岡をしっかり見ているんです。その視線を受けることのプレッシャーって、僕や山下に想像できることではないと思いますね。よく吉岡は「ずっとホームラン打ってなきゃいけないんだよ私は!」って言うんですよ。CDってホームランを打っている状態の声じゃないですか。だからお客さんはそのホームランを想像して、安くないチケットを買って、

時間を作って楽しみに会場に来てくれて。だから「私はライブでも毎回ホームランを打たないといけないんだ!」って気持ちが彼女はとても強いみたいで。

そういう彼女の後ろ姿を見ることができるのはおっしゃるとおり僕だけで、なんか自分のメンバーのことを言うのも恥ずかしいんですけど、やっぱり尊敬しますね。しかも弱さがないわけではないですからね。楽屋で不安そうになっている時ももちろんあるし、それをお客さんに見せるわけにはいかないけど、彼女にだってきっと悩みもたくさんあると思うんです。だから、彼女がただステージに立っているわけではないんだということは、僕も伝えられるかなぁ、伝えたいなぁと思いますね。
“曲を書くたびに、これで最後だなと思っていた。”  (第46回『ぼくらのゆめ』)
水野さんはソングライターとして“「風が吹いている」を書いたあとに、「笑顔」や「あなた」や「LIFE」を自分がかけるとは思っていなかった”と綴っています。それでも、また新たな曲を書くときの気持ちは、デビュー当時の“「SAKURA」だけに頼ってたまるか。”というエネルギーとはまた違うものですよね。
photo_02です。
そうですね、当時は「SAKURA」だけでいきものがかりの音楽人生が評価されてしまったら嫌だなと思っていましたし、「僕らにはもっとこんなカードもこんなカードもあるんだ!」って見せたい気持ちが大きかったんです。だから最初の頃の曲作りも、そういう無邪気さがあったんですよね。でもそれをもうある程度、出し切っちゃって(笑)。「風が吹いている」で一区切りついちゃったかなぁという感じはしているんです。だけど、そこからさらに曲を作っていくのは、もう自分たちだけのグループじゃないだろって気持ちがあるからなんですよね。それは最新作の「ぼくらのゆめ」の歌詞に込めたメッセージにも繋がっています。

まず聴いてくれる人がいて、全国ツアーをたくさんのスタッフが一緒に回ってくれて、それぞれの立場でいろんな想いでライブを作ってくれて、CDを出せば各地のプロモーターの方々がラジオ局に回ってくれて、みんなが一つの大きなチームなんです。だから自分は書けないかもと思っていても、そんな勝手に止めることはできないというか。本来なら足を止めてしまいそうなところを、もうちょっと走らせてもらって、走らせてもらったことによって、自分は最後だと思っていたその先が見えた、とか意外とそんなもんなんですよね(笑)。限界の先の景色を、みなさんに引き上げてもらって見せてもらっている、という感じが今なのかなと思っています。

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第1位 ブルーバード
第2位 ありがとう
第3位 YELL
第4位
きまぐれロマンティック
第5位 歩いていこう
第6位 笑顔
第7位 帰りたくなったよ
第8位 じょいふる
第9位 ハルウタ
第10位 SAKURA