あのひと

…………ははっ
幸夫……
あの野郎……

変わらないな…………あの人は……

俺にとって、おとぎ話のフェアリーゴッドマザーみたいな人だった

あいつは俺にとってのヒーローだった
テレビショッピングの販売士みたいなやつだった
あいつのこと……俺は嫌いだった……

あのひとのこと
俺の人生を変えた
あのひとのこと
今、思い出そう

小さい頃からメルヘンでロマンチックなおとぎ話が大好きだった。
少女漫画のヒロインのような自分の名前を気に入っていた。
でも、周りの友人には理解されない。笑われバカにされ
好きなものを好きと言えないもどかしさが、
いつも胸の中でわだかまっていた

幼い頃からヒーローになりたかった!
高三の時、念願だったオーディションに合格し、
特撮ヒーロードラマの主演に大抜擢された!
だが……十代で夢を叶えてしまった俺は、特撮ドラマが終わった後、
完全に燃え尽きてしまった

両親の影響で、幼い頃からバレエと格闘技という
両極端な二つのものを習わされた。
とりわけバレエで身体表現を学ぶ中で、
俺は舞台芸術の世界に魅了された。
だが、信じていた仲間に笑われたことがきっかけとなり、
バレエや舞台芸術の世界と距離を置くようになった

大衆演劇の一家に生まれ、幼い頃から芸事を仕込まれる毎日だった。
俺が演じたいのはド派手で破天荒な傾奇者。
しかし俺に回ってくるのはいつも女形ばかり……。
どんなに研鑽を積んでも、容姿しか見てもらえないことに
諦めのようなむなしさを感じていた

あのひとのこと
俺の人生が変わった
あの日のこと
今でも覚えている

高校一年の文化祭……俺は幸夫さんと演劇のファンになった。
演出として指示を出す幸夫さんはカッコよくて、
舞台の上はまるでおとぎ話の世界のようにキラキラしていた

たまたま出演した舞台の終演後……
客として来ていたあいつに声をかけられた

バイト先のショーパブで、立花幸夫に出会った

「劇団を立ち上げたばかりで役者を探してるんだ。
もし、紘くんが俺の劇団の看板役者になってくれたら、
紘くんは俺のヒーローだ! なんてね」

「実は善さんに最適な劇団があるんですよ!
とある有望な演出家が新しく劇団を立ち上げて、
なんと劇団員大募集中!こんなお買い得な機会なかなかありませんよ!」

ある日、幼馴染の麗仁が劇団を立ち上げると聞いて
オーディションを受けに行った
「皆さんが俺の劇団に入ってくれたらすごく嬉しいです。
でも演劇をやることで皆さんの人生がめちゃくちゃになっても、
俺は責任取れません」

俺はその時、はっきりこの男が嫌いだと自覚した。だが……

「お、俺が女形ですか!? しかもこんな重要な役を……」
「どうして俺を傾奇者の役にしたんだ?」
「だって柊さんの中身、誰よりも男らしいもん。
かっこいい役やってほしい。
逆に霞は心がどこまでもヒロイン気質だからさ、
今回の役に絶対に向いてると思ったんだ」

役者としての俺を理解してくれた……大嫌いなあいつ……

かけがえのない居場所と新しい夢を俺に与えてくれた

俺の視界を一気に広げてくれた。俺の人生のヒーロー

俺の願いを叶えてくれた……魔法使いのようなあのひと

「知ってる? 西洋ではカスミソウには
“everlasting love”という意味があるんだよ。
霞にも、ずっとこの劇団に寄り添って愛してほしいな……」
「きっと…………ずっと劇団のそばにいます」

だがある日……幸夫が姿を消した
幸夫が姿を消したことで、劇団はバラバラになった
今こそ俺がこの劇団のヒーローとして支えないといけないと思った
幸夫さんがいなくなり、俺は真っ先に劇団を去った……

あのひとのこと
俺の人生を変えてくれた
あのひとのこと
忘れることはない

やっぱり俺には……あの舞台に立つ資格なんてない……
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