白痴

彼の名前を憶えているのは僕だけ
どこにも居なくなってから
彼の物語は始まった。

綺麗な物語ばかりを見過ぎて
薄れてゆくものと、消えないものの
両方に手を引かれて宙に浮く。

彼はまた少しずつ、忘れてしまうのかな。
切り取った風景の中、笑うあなたの
においも思い出せないの。

汚いものばかり
嫌いなものばかり増えてゆく。
急に手を離されて
どこまでも落ちてゆく。
私はどこに居るの?
いつの間にか消えてしまうの?

彼は彼のことさえも忘れてしまうだろう。
きっと僕も彼のことを忘れてしまうだろう。
だからせめてあなたにだけは
全て憶えていて欲しい。
どうか、忘れないでください。
あなたの口癖も思い出せないけど。
あなたの感触も好きな色も
全て忘れて、僕は空気になる。
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