ひとの数だけ季節の思い出がある…。全14曲入りコンセプトアルバム!

 2023年8月23日に“あたらよ”がコンセプトアルバム『季億の箱』をリリースしました。今作には、昨年から今年にかけて連続で届けてきた各シーズンに寄り添う配信曲、さらにアルバムのための新曲3曲の全14曲を収録。インタビューでは、ボーカル&ギター・ひとみにお話を伺いました。アルバム収録曲のお話はもちろん。歌う道へ進んだ理由、バンドを結成した理由、そして“あたらよ”というバンド名になった理由…。思えば「運命」のような様々な出会いも語ってくださいました。あたらよの感性で切り取った季節の美しさと併せて、インタビューをご堪能ください。
(取材・文 / 井出美緒)
KERENMI & あたらよ「ただ好きと言えたら」作詞:ひとみ 作曲:KERENMI気づいてしまえばもう 始まっちゃうのにね見つめてただ「好きだ」と言えたなら こんなに貴方を想うのに
ありがとう今日は言える気がするよ そしてまた笑って明日を見に行こう
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ひとみの言葉ではなく、あたらよ・ひとみの言葉だから本音を書ける。

―― ひとみさんが最初に音楽に心を動かされた記憶というと何が浮かびますか?

父方の家系は歌が上手いのもあって、昔から音楽が身近にある環境だったんですけど、はっきり「心が動かされた」と実感したのは高校から音楽専門学校に上がるタイミングでした。もともと音楽に携わる仕事はしたかったものの、演者として食べていくのは難しそうだと思っていたので、裏方を目指そうと。それでPAさんの学科がある学校のオープンキャンパスにいろいろ行っていたんですね。

あるとき、オープンキャンパスでPA体験をさせてもらえる機会があり。そこに演者として「のぐち」さんというシンガーソングライターの方がバンド編成で来てくださっていて。のぐちさんがバンドで演奏する横でPA体験をさせていただいたんです。小柄な方なんですけど、裸足で真っ白な服を着て歌っているそのパワーを目の当たりにしたとき、「うわぁ…素敵だ」と思いました。あと生のバンドサウンドを体で感じたのも初めてで。

そのときに、「あ、私このままPAの道に行ったら、こういう体験を何度も重ねていくうちに絶対、演者側が羨ましくなっちゃう」って気づきました。それから進路変更をして、演者側の専門学校を探し始めたんですよね。それほど心が動いた瞬間だなと思います。

―― オリジナルの歌詞はいつ頃から書いていたのでしょうか。

高校生の頃から書いてはいたんですけど、誰かに見せることはなかったですね。友だちに向けて、「卒業したら別れちゃうけど…」みたいなニュアンスの歌を作った記憶があります。高校時代はフォークソング部に所属して弾き語りライブをしたり、ボイストレーニングに通い始めて、その教室で定期的に開催されるライブに出たりしていたんですけど、やっぱりオリジナル曲を人前で歌うことはありませんでした。

―― ライブではカバー曲を披露されていたのですか?

好きな女性シンガーソングライターの方が多かったので、阿部真央さんや片平里菜さんの曲をよく歌っていましたね。言葉だけで読んだら照れてしまいそうだけど、メロディーやコードによってストレートに刺さる歌にグッと来て。自分が歌詞を書く上でもかなり影響を受けていると思います。

―― バンド結成は、他メンバーの方々がひとみさんをスカウトするような形だったそうですね。

はい、音楽専門学校のプロミュージシャン学科で。そこにはボーカル・ギター・ベース・ドラムという4つの専攻があって、私はそのボーカル専攻でした。で、先生たちが専攻から何人か選抜して、選抜メンバーでバンドを組んでアンサンブル力を見るテストがあったんです。みんなその試験を通じて、各々の演奏スタイルや歌い方を知る。で、そのなかで紆余曲折あって、まーしーたちにスカウトされた感じです(笑)。

―― それもまた、「のぐち」さんとの出会いと同じく、ひとみさんにとって大きな転機となる縁ですね。

そうなんですよ。実は専門学校の2年という短い期間中、1年半くらいはいろんなバンドを組んでは解散して、というのを繰り返していたんです。それであるとき、「私ってバンドじゃないのかもしれない」と思って。原点に返ってみようと、シンガーソングライターとしての1発目のつもりで「10月無口な君を忘れる」を書いたんです。そうしたら、その曲がまーしーに刺さって。

―― あの代表曲の最初のファンはまーしーさんだったのですね。

本当にいちばん最初に見つけてくれたのが彼だなって思います。それで卒業間際にあたらよを組んだんですよ。あの曲がなかったら、あたらよも存在しなかったのかもしれません。

―― 「あたらよ」とは「明けるのが惜しいほど美しい夜」という意味なんですね。これはどのように出会った言葉なのでしょうか。

photo_01です。

それこそ「10月無口な君を忘れる」をYouTubeに投稿しようとなったとき、バンド名を決めてないことに気づきまして。もともと“ひとみバンド”というふわっとした名前で活動していたので(笑)。それぞれ何か言葉を考えてこようと。

で、私がSNSでたまたまある投稿に出会ったんです。その方は日本の美しい言葉と、ご自身が撮った写真を合わせて載せていて。そのなかに「あたらよ」って言葉とその意味と写真の投稿があって。それを見て、「バンドの雰囲気にも楽曲にも、すごくしっくりくる言葉だなぁ」と。メンバーに提案したら、もう満場一致で「いいね!」となって決まりました。これもまた縁ですよね。

―― また、ひとみさんには歌詞エッセイも書いていただきました。「基本よく喋るタイプではあるのですが、肝心な本音は心の内に隠してしまうことが多い」と綴られていましたね。

人前で歌っているなんて信じられないような幼少期でしたし、どちらかというと引っ込み思案で、店員さんとかにも話しかけられないタイプなんですよね。あと、実家が自営業をやっている関係で大人がよく家に来る環境だったので、大人の顔色を伺う子どもだった気がします。「今ここで自分がこう言うのは違うかな…」って、飲み込む機会が多かったというか。その癖がついているのか、素直に自分の気持ちを吐き出すのがずっと苦手で。

―― すると歌詞を書き始めた当初、すぐに本音を出すのはなかなか難しかったのではないですか?

そうですね。最初に自分の気持ちをありのまま吐き出せた「10月無口な君を忘れる」なんかは、作っているときの記憶がほとんどないんです(笑)。無我夢中で泣きながら歌ったというか。ギターを持って、ポチってボタンを押して、うわーって歌って、気づいたらできていて。それは初めての経験で、自分でもびっくりしました。

―― 今はもう気持ちをありのままに歌詞にすることは怖くないですか?

やっぱり自分の話し言葉として表に出すのは抵抗があります。でもメロディーとサウンドに結びつくと、それはひとみの言葉ではなく、あたらよ・ひとみの言葉だから本音を書ける。歌にすることで大丈夫になるんですよね。

―― タイアップなどが関係ない場合、どんなときに曲を書きたくなりますか?

基本的に自分にとって辛いことや悲しいことがあったり、心が動いた瞬間ですね。あと、よく散歩をするんですけど、そのときに綺麗な風景とかを見たら、「あ、これを歌にしたいな」ってきっかけになったりもします。

―― ちなみに「悲しみをたべて育つバンド。」のあたらよですが、幸せな曲を書きたくなることはありますか?

…書きたくないです(笑)。というより、書けないと思います。やっぱり本当に歌いたいことは「悲しみ」側にある気がしますね。もしいつか幸せな曲を書くなら、「元気いっぱいラブソング!」って感じにめちゃくちゃずば抜けたいんです。今の私が幸せな曲を書いても中途半端になってしまうだろうから、それはまだ先ですかね。

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