希望について私は書きしるす小室等 | 小室等 | 谷川俊太郎 | 小室等 | | 希望は全身で笑っているひとりの子どもにある その子の上の青空にある だがもっと強い希望はもう泣く力もなく ぼんやりと座っているひとりの餓えた子どもにある その子の下の大地にある そうしてもっとも強い希望は 死んでしまったすべての子どもにある その子らの姿を思い描くひとつの無名の心にある 風よ どこの国のものでもない風よ なんの主張もせぬ旗を ひるがえせ春の野に |
詩人の死小室等 | 小室等 | 谷川俊太郎 | 小室等 | | あなたはもういない 立ち去ったのではない 連れ去られたのでもない 人間をやめただけ 八月のあの炎天下 プラカードを掲げながら 国民でも人民でも市民でもなかった詩人 ただの自分でしかなかったあなた あなたを読むことができる 否定することもできる でももう傷つけることができない 思い出へと追いやらずに私は生き続ける ただひとりのあなたとともに 大勢の呟きと合唱と怒声に逆らって |
すきになると小室等 | 小室等 | 谷川俊太郎 | 小室等 | | すきになるのがぼくはすき だれかがぼくをきらいでも ぼくはだれかをすきでいたい すきなきもちがつよければ きらわれたってすきでいられる なにかをすきになるのもぼくはすき すきになるともっとそれをしりたくなる しればしるほどおもしろくなる それがうつくしいとおもえてくる それがそこにあるのがふしぎなきもち だれかをなにかをすきになると こころとからだがあったかくなる かなしいこともわすれてしまう だれともけんかをしたくなくなる すきなきもちがぼくはすき |
こどもとおとな小室等 | 小室等 | 谷川俊太郎 | 小室等 | | きみはこども ぼくはおとな きみはちいさい ぼくはおおきい でもおなじ いのちのおもさ あなたはこども わたしはおとな あなたはよわい わたしはつよい でもおなじ わらいとなみだ きみたちこども ぼくらはおとな きみたちおぼえる たいせつなこと ぼくらはわすれる たいせつなこと |
その日-August6小室等 | 小室等 | 谷川俊太郎 | 小室等 | | 苦しみという名で 呼ぶことすらできぬ苦しみが あなたの皮膚から内臓へ 内臓からこころへ こころから私が決して 行き着くことのできぬ深みへと 歴史を貫いていまも疼きつづける その日私はそこにいなかった 今日 子どもたちの 傷ひとつない皮膚が その日と同じ太陽に輝き 焼けただれた土を養分に 木々の緑が夏を歌う 記憶は無数の文字の上で 鮮度を失いかけている その日私はそこにいなかった 私はただ信じるしかない 怒りと痛みと悲しみの土壌にも 喜びは芽生えると 死によってさえ癒されぬ傷も いのちを滅ぼすことはないと その日はいつまでも 今日でありつづけると |
死んだ男の残したものは小室等 | 小室等 | 谷川俊太郎 | 武満徹 | | 死んだ男の残したものは ひとりの妻とひとりの子ども 他には何も残さなかった 墓石ひとつ残さなかった 死んだ女の残したものは しおれた花とひとりの子ども 他には何も残さなかった 着もの一枚残さなかった 死んだ子どもの残したものは ねじれた脚と乾いた涙 他には何も残さなかった 思い出ひとつ残さなかった 死んだ兵士の残したものは こわれた銃とゆがんだ地球 他には何も残せなかった 平和ひとつ残せなかった 死んだかれらの残したものは 生きてるわたし生きてるあなた 他には誰も残っていない 他には誰も残っていない 死んだ歴史の残したものは 輝く今日とまた来る明日 他には何も残っていない 他には何も残っていない |
おしっこ小室等 | 小室等 | 谷川俊太郎 | 小室等 | | 大統領がおしっこしてる おしっこしながら考えている 戦争なんかしたくないんだ 石油がたっぷりありさえすれば テロリストもおしっこしてる おしっこしながら考えている 自爆なんかしたくないんだ 恋人残して死にたくないもの 兵隊さんもおしっこしてる おしっこしながら考えている 殺すのっていやなもんだぜ 殺されるのはもっといやだが 男の子もおしっこしてる おしっこしながら考えている ほんとの銃を撃ってみたいな ゲームボーイじゃまどろっこしいよ 武器商人がおしっこしてる おしっこしながら考えている 銃がなければ平和は守れぬ 金がなければ自由も買えぬ 道で野良犬おしっこしてる おしっこしながら考えている 敵もいなけりゃ味方もいない ただの命を生きているだけ |
死んでから小室等 | 小室等 | 谷川俊太郎 | 小室等 | | 死んでからもうずいぶんたつ 痛かった思い出が死後はむず痒くなった 私という存在が何かに紛れてゆくが その何かを呼びたくとも 言葉はもう意味をなさない 見えてはいないのに青空が身近だ 生きていた頃はなにかと騒がしかったが いまは静かになった 前は聞こえなかった音が聞こえる どこか遠くでオーケストラが調弦している と思ったらそれは虹の音だった 私の骨は粉になったらしい それを海に撒き散らしたらしい 私の好みでは草原でもよかったのだが 老いては子に従えと格言は言う これから何が起きるのか もう何も起こらないのか もうちょっと死んでみないと分からない 私は良い人間だっただろうか もうおそいかもしれないが考えてしまう 死んでからも魂は忙しい |
殺す小室等 | 小室等 | 谷川俊太郎 | 小室等 | | その人は人を殺した 素手ではなく遠くから人を殺した 血は見えなかった 同情も感じなかった その日も空は青く澄んでいた その人は人を殺した 朝起きて顔を洗ってコーヒーを飲んで それから皆と一緒に人を殺した 殺したなどとは思わずに 誰にも咎められずに その人が殺した人は 殺されたとも気づかずに 呼吸が止まり心臓が止まり死体になったが 死んだのではなく殺されたのだ その日も赤ん坊が生まれていた 殺した人もいつか殺されるかも 殺された人もいつか殺していたかも 殺す人も殺される人もひとりになれない 仲良く統計の数字の墓場に眠って 未来の受肉を空しく待っている |
風と夢小室等 | 小室等 | 谷川俊太郎 | 小室等 | | どこから吹いてくるのだろう やさしい風 むごい風 どこへ吹いてゆくのだろう 風は怒り 風はほほえむ 傷ついた大地の上に 風が夢を運んでくる 苦しみの昨日から 歓びの明日へと 誰のこころに住むのだろう 楽しい夢 つらい夢 どんな未来見るのだろう 夢は実り 夢ははじける よみがえる大地の上に 夢が風を巻き起こす こころからこころへと ひとりからひとりへと |
しーん小室等 | 小室等 | 谷川俊太郎 | 小室等 | | しずかなのがいい おおごえはききたくない でもかみなりはきらいじゃない しずかなのがいい せかせかはすきじゃない おっとりしてるとほっとする しずかなのがいい げらげらわらうのもわるくないけど にこにこのほうがおちつく しずかなのがいい ばくはつのおとはききたくない ひめいもうめきごえも しずかなのがいい そよかぜがふいてきて ふうりんがなったりするのがすき しずかなのがいい いびきもおならもねごともかわいいけど しーんとしたほしぞらにはかなわない |
黙って小室等 | 小室等 | 谷川俊太郎 | 小室等 | | 黙っていたい 木のように 黙っていたい 蟻のように 黙っていたい 空のように ただ聞くだけ 風を 川音を 人の沈黙を 幼子の 笑い声を 黙っている 花々とともに 一枚の白紙とともに 動きやまない 雲を追って 今 |
木を植える小室等 | 小室等 | 谷川俊太郎 | 小室等 | | 木を植える それはつぐなうこと 私たちが根こそぎにしたものを 木を植える それは夢見ること 子どもたちのすこやかな明日を 木を植える それは祈ること いのちに宿る太古からの精霊に 木を植える それは歌うこと 花と実りをもたらす風とともに 木を植える それは耳をすますこと よみがえる自然の無言の数えに 木を植える それは智恵それは力 生きとし生けるものをむすぶ |