優しさばかりが傷になっていく、想い出ばかりが歌になっていく。

 2018年11月7日に“井上苑子”がニューシングル「ファンタジック」をリリースしました。ロックバンド・ヨルシカの“n-buna”がタイトル曲をプロデュース。疾走感あるポップで爽やかなサウンドは、高揚してゆく恋心にピッタリ!…でもあるのですが、表現されているのは儚く切ない物語です。幸せの代わりに高まってゆくのは、切なさなんです。

ファンタジックな 恋をして 今も 君が見れない
写真の向こうで 笑う君と 冬の部屋で 一人
髪を切っても 恋の歌 止まることさえ 知らないで
何もない日々と 失敗の染み ばかり数えて
「ファンタジック」/井上苑子


 ファンタジックな恋。それは、現実を忘れられて、ずっと夢を見ているかのような素敵な時間だったのでしょう。しかし、だからこそ<僕>は<君>がいなくなった現実を今、受け止められずに<冬の部屋で 一人>喪失感のなかを漂っています。ツラくて<今も 君が見れない>けど<写真の向こうで 笑う君>を片づけることもできずに…。

 そんな自分を変えたくて<髪を切って>みたりもしました。でも<恋の歌>は止まるどころか、いっそう<君>への想いを増して溢れてしまっている模様。そして、<君>がいないせいで<何もない日々>=“現在”と、<君>を失う原因となった<失敗の染み>=“過去”を見つめる時間ばかりが積み重なり、心の暗闇は深く濃くなってゆくのです。

ねぇ ほんの小さな灯りも 僕の胸は 覚えてる

君が言った 君が言ったんだよ
慣れない笑顔も 無理した優しさも 全部 人生だ
春を待った ただ舞った花びらを 掬い取った
色付いてく 空の色に ずっと 見惚れていたこと
夢のようでした
「ファンタジック」/井上苑子

 さて、その心の暗闇によって際立つのが<ほんの小さな灯り>です。つまり、ここから再生されてゆく“思い出”でしょう。サビで響き渡る<君が言った 君が言ったんだよ>という痛切な声。大切に記憶を噛み締めているようでもあり、自分自身に言い聞かせているようでもあり、どこか「それなのに…」と<君>を責めているようでもあります。

 「慣れない笑顔も 無理した優しさも 全部 人生だ」。おそらくこれが<君>がくれた言葉ではないでしょうか。<僕>の慣れない笑顔も、無理した優しさも、全部わかってくれたひと。初めて<人生>の意味を教えてくれたひと。そうやって<僕>は<君>に出会えたことで<色付いてく 空の色に ずっと 見惚れていた>のだと思います。

 あの頃<僕>の世界は<夢のよう>に変化していった。毎日が<夢のよう>に幸せだった。きっとそんな二人のあたたかな<春>の時間をもう一度、待っているのが今の<僕>です。<ただ舞った花びら>=“幸せな記憶”を、何度も掬い取っては見つめながら。だけど、その希望はもう<夢のよう>ではなく、本当に<夢>でしかないんですよね…。

優しさばかりが 傷になっていく
想い出ばかりが 歌になっていく

君が言った ただ 笑ったんだよ
慣れない笑顔も 無理した優しさも 全部 人生だ
春を待って 君を待って
「ファンタジック」/井上苑子

 やがて<僕>自身、このまま<春を待って 君を待って>も、同じ時間は戻ってこないことを、痛みを伴いながら思い知ってゆくことになるのです。たとえ忘れることはできないとしても、<優しさ>は<傷>になり、<想い出>は<歌>になり、時間が“変化”をもたらします。すると、次第に“待つ”だけだった<僕>の心も変わってゆくのです。

花が舞った 君を知ったんだよ
この恋も 想い出も 愛も 優しさも 全部 歌いたいよ
春を舞った ただ舞った花びらを 掬い取った
色付いてく 君の顔に ずっと 見惚れていたこと
夢のようでした 春のようでした
「ファンタジック」/井上苑子


 こうして幕を閉じてゆく歌。ラストでは<春を待った>これまでが<春を舞った>というワードに変わっております。曲を聴いただけでは気づかないかもしれません。でも、歌詞を見るとたしかに変わっているのがわかる。その小さな“変化”や小さな一歩が描かれているのが、井上苑子の「ファンタジック」なのでしょう。

 その変化があるからこそ、最後の<夢のようでした 春のようでした>というワンフレーズからは、切なくも“ちゃんと終わりを迎えられている”心模様が伝わってくる気がしませんか? ファンタジックな恋をして、前に進めずにいるあなたにも、どうかこの歌が届きますように…!

◆紹介曲「ファンタジック」
作詞:井上苑子・n-buna
作曲:n-buna

◆ニューシングル「ファンタジック」
2018年11月7日発売
初回限定盤 UPCH-89394 ¥2,000(税込)
通常盤 UPCH-80502 ¥1,200 (税込)